所有者
「僕がこの学院に来るまでは」
アルマークはウォリスの言葉を繰り返した。
「それは、どういう意味だい」
「学院長から聞いたのだろう。君が背負っている、それ」
ウォリスはアルマークの背を指差す。
「それが、何なのか」
アルマークも気付いていた。
ウォリスはマルスの杖を、さっきから一度も杖とは呼ばなかった。
「ああ。聞いたよ」
アルマークは答えた。
「これは、鍵だって」
「そして、君がその所有者に選ばれたこともか」
「ああ」
アルマークは頷く。
「聞いた」
ウォリスは口元を歪めて笑った。
「僕も、ここに来てからずいぶんそれを探していた」
ウォリスは言った。
「だが、見付からなかった。求める者の目には触れない護りの魔法がかけられていたからだ」
「君も、これを」
アルマークは目を見開く。
「どうして」
その問いには、ウォリスは答えなかった。
「魔術祭の劇になぞらえれば」
代わりにウォリスはそう言った。
「君は騎士ネルソン。僕は呪われた剣士アルマークだ。精霊王ウォリスの加護が呪われた剣士に与えられることはない」
「君が、呪われた剣士」
アルマークは眉をひそめる。
「それは、君の腕のそれと関係あるのか」
アルマークの言葉に、ウォリスは小さくため息をついて首を振る。
「僕の言ったのは、比喩だ。そのままの話をしているわけじゃない」
それから、その真意を掴みかねて曖昧な表情をしているアルマークを見て、ウォリスは微笑んだ。
「門と、鍵」
ウォリスは囁くように口にする。
「そして鍵の所有者。その三つが一つの場所に揃ったんだ。だからだよ、アルマーク」
「だから?」
アルマークは聞き返した。
「だから、何なんだ。ウォリス」
「だから、闇が活性化しているのさ」
ウォリスはさらりと口にした。
「喜んでいるんだ。暗き淵の君の復活が近付いたことを」
絶句するアルマークの顔を横目に見て、ウォリスは言った。
「だから、魔物が増える。この森にまるで北の森のような笛の音が響く」
「それは」
アルマークは言った。
「僕のせいなのか」
「君だけのせいじゃない」
ウォリスは冷たい目でアルマークを見た。
「君とウェンディと、それのせいだ」
ウォリスはそう言ってマルスの杖をもう一度指差した。
「僕と、ウェンディと」
アルマークは呟く。
「学院長を信用するな」
ウォリスは言った。
「あれは、僕の命の恩人ではあるが、命を救うという行為は必ずしも善心からのものだけとは限らない」
その口ぶりに嫌悪の感情が混じる。
「君と、ウェンディと、鍵。三つを集めて何をしようとしているのか」
ウォリスは目を細めた。
「本当の目的は分からない。君に、あれが何と言ったのかは知らんが」
「ウォリス」
アルマークは言った。
「僕は、君ほど賢くはない。だから教えてくれ、君の知っていることを全部」
「だめだ」
ウォリスは首を振る。
「僕は君の存在をまだ信用していない」
「それなら、君の目的を教えてくれ」
アルマークは言い募った。
「君は何を求めているんだ」
「僕か」
ウォリスが口元を歪める。
「僕の望みは……そうだな」
ウォリスの顔に、ほんのわずかに素とも言える表情が垣間見えた。
「卑近なことだ。口にするのも、ためらわれるほど」
しかし、次にアルマークを見たときには、もうウォリスは元の傲岸で冷静な表情に戻っていた。
「学院長を信用するな。僕が君に伝えたかったのは、それだけだ」
「僕は、この学院にいてもいいのか」
アルマークは言った。
「この杖を持つことを、別に僕が望んだわけじゃない。でも、これを持つことで、僕が学院のみんなを危険に晒すのなら」
「遅かれ早かれ、だ」
ウォリスは言った。
「君が学院を離れたところでこの森にもいずれ闇が押し寄せる。そのあたりのことは、イルミス先生たちもよくご存知だ」
それに、とウォリスは続けた。
「いずれ闇と戦わなければならないなら、皆、早めに慣れておくに越したことはないだろう。君たちのおかげでいい練習になるとも言える」
その言いようがどこかライヌルを彷彿とさせて、アルマークは無言で唇を噛む。
ウォリスはアルマークの表情を見て、口元を歪めた。
「それに、北でも動きがあるようだしな」
「北でも?」
アルマークは目を見張る。
「君は北の動きを知っているのか」
「北は、闇の本場だろう」
ウォリスは言った。
「暗き淵の君の肉体の眠る、闇深き場所だ」
「北に、何が起きているんだ」
「僕もそこまではっきりと知っているわけではない」
ウォリスは首を振る。
「だが、今までと違い、組織だった闇が動き始めたと、そんな話を耳にしただけだ」
「組織だった闇」
アルマークは呟いた。父や、近しい人たちの顔が浮かんでは消える。
「だから、闇の脅威が迫っているのは何もこの学院に限った話ではない」
ウォリスはそう言って、試すようにアルマークの顔を見た。
「それでも、学院を離れたいというのなら、僕は別に止めんがな。その代わり」
不意に、ウォリスの身体から禍々しい気配が立ち上った。
「それは置いていけ」
その目が、アルマークの背負うマルスの杖に向けられていた。
「僕が使う」
ウォリスが言う。その身体から溢れ出す、強い闇の気配。
それを感じながら、アルマークは無意識に自分の背中に手を伸ばした。
手に触れる、マルスの杖の感触。
以前に比べ、杖はずっと手に馴染んでいた。だが、それは果たしていいことなのか。
アルマークは目を閉じた。
悩んだとき、アルマークを動かすもの。
それは、言葉だ。
アルマークは、自分が今日まで出会ってきた人たちの言葉を思い出す。
北の人々。旅で出会った人たち。
クラスメイトや学院の人々。イルミス。学院長。
モーゲン。ウェンディ。
そして、父の言葉。
アルマークは息を吐いて、目を開けた。
マルスの杖を手に持つと、ウォリスを見る。
「ウォリス」
そう言って、マルスの杖をウォリスに向かって放り投げた。
杖は、放物線を描いてウォリスのもとに飛ぶ。
ウォリスは一瞬意外そうな顔をしたが、それを掴もうと手を伸ばした。
しかし、その手が杖に触れた瞬間、暗闇に火花が散った。
マルスの杖が地面に転がる。
ウォリスは忌々しげに右手を押さえた。
アルマークはゆっくりと歩み寄って、杖を拾い上げる。
「やっぱり君のものにはならないみたいだ」
そう言って杖を再び背負った。
「この杖の番人という人に言われたよ。所有者だと胸を張れって」
「番人」
ウォリスは呟く。
「あの男か」
「だから、胸を張ることにするよ」
アルマークは微笑んだ。
「これは、僕のものだ」
その言葉に、ウォリスがかすかに顔を歪める。
「いろいろと教えてくれてありがとう。でも、自分で判断するよ。学院長先生が信用できるかどうかも」
「好きにしろ」
ウォリスは言った。
「自分の頭で考えるのなら、それに越したことはない。君は、誰かの駒ではないのだから」
「ああ」
アルマークは頷く。
「よく考えたら、僕にはウェンディを置いて一人でここを出ていくなんてできるわけがなかった。気付かせてくれてありがとう」
「君が勝手に気付いたことまで、僕の手柄にする必要はない」
ウォリスが肩をすくめた。
いつの間にか、闇の気配は消えていた。
ウォリスの表情も頼れるクラス委員のそれに戻っていた。
「汗が冷えるな。帰ろう」
ウォリスは言った。




