ウォリス
ウォリスは実践場に入ってくると、ぐるりと周囲を見回した。
「イルミス先生はいないのか」
「まだ、来ていないよ」
アルマークが答えると、ウォリスはそっけなく頷く。
「そうか。なら、先に始めているか」
「ああ」
アルマークは頷いた。
「君さえよければ」
「ここでは手狭だな」
ウォリスは整った顔をわずかにしかめて、金髪をかき上げた。
「外に出よう」
そう言って、親指を立てて入ってきた扉を示す。
「外か。構わないけど」
頷いたアルマークがほんの一瞬、逡巡した顔を見せたのを、ウォリスは見逃さなかった。
「先生がいないからか」
ウォリスの言葉にアルマークは頷く。
「君は何でもお見通しだな」
それに構わず、ウォリスは顎に手を当てた。
「そうか。先生に断りなく外に出るのはまずいか」
そう言って、壁際に座っていたラドマールに顔を向ける。
「君」
「はい」
ラドマールが素早く立ち上がって返事をした。
「先生が来たら、僕たちは外に行ったと伝えてくれるか。ウォリスが連れて行ったと言えば先生も何も言いはしないはずだ」
「分かりました」
ラドマールは頷く。
「伝えます」
その姿にアルマークが目を丸くした。
「どうしたんだ、ラドマール。君らしくない」
「緊張してるんじゃないか」
ウォリスは穏やかに微笑んだ。
「急に上級生に話しかけられたら、誰だってそうなる」
「いや、ラドマールはそんなタイプじゃ」
アルマークは言いかけるが、ラドマールが直立不動の姿勢を崩さないのを見て口をつぐむ。
「さあ、行こう」
ウォリスがアルマークの肩を叩いた。
「うん」
アルマークは心配そうにラドマールを見やってから、ウォリスの後に続いた。
ウォリスがアルマークの前に立って夜の道を歩いていく。
その先は、すでに闇に包まれた森だ。
「どこまで行くんだい」
アルマークが声をかけると、ウォリスは振り向きもせずに答える。
「そうだな。少し開けたところまでだ」
「ふうん」
アルマークは頷いて、その後をついて歩く。
森に入っても、ウォリスは歩く速度を緩めなかった。
灯の術を使うでもなく、暗い道を、夜目でも利くかのようにためらいもせずに歩いていく。
その後ろを同じ速度で歩きながら、アルマークは言った。
「やっぱり君は不思議だな」
「何がだ」
やはり振り返ることなくウォリスが尋ねる。
「君のすることは、時々、こっちの人じゃないみたいだ」
アルマークは答えた。
こっちの人。
アルマークが南で出会った、優しい、暖かい人々。
ウォリスも、普段はその雰囲気をまとっている。
けれど、時折不意に顔を出す、荒々しい、ぞんざいな気配。
殺伐としたその空気を、アルマークはよく知っていた。
だがアルマークの言葉にウォリスは何も答えず、黙って歩く。
やがて、木々が開けた原っぱで、ウォリスがようやく足を止めた。
「この辺でいいな」
そう言って、原っぱの中央あたりに座り込む。
「始めよう」
「何をするんだい」
アルマークが訊くと、ウォリスは自分の右手を上げた。
「僕が今から言う魔法を使ってみせろ」
その美しい顔に、月明かりが濃い陰影を作る。
「直してやる」
「分かった」
アルマークは頷いて、杖を背中から下ろした。
「それは使わなくていい」
ウォリスが冷たい声で言い放つ。
「素手だ」
「そうか。分かった」
アルマークが再び杖を背負い直すと、間髪入れずにウォリスが言った。
「火炎の術」
「いきなりか」
アルマークは素早く魔力を集中して、手から炎を放つ。
「右肩」
ウォリスが言った。
「右肩を少し下げろ」
アルマークが言われたとおりにすると、炎の勢いがわずかに強まる。
「あっ」
驚きの声を上げて目を見開くアルマークに構わず、ウォリスは次の魔法を口にする。
「湧水の術」
慌ててアルマークは炎を消し、今度は手から水を吹き出させた。
「息を深く吸え」
ウォリスが言う。
そのとおりにすると、水の流れが先程までよりも明らかに勢いを増す。
「ツタ括りの術」
ウォリスの言葉に、アルマークが足元の草を操る。
「夏だ」
ウォリスは言った。
その言葉が引き金となって、アルマークの心に夏の青く茂る草が思い浮かぶ。
足元の草が、生き生きと動き始めた。
「風の術」
ウォリスはアルマークが放った風を見て、一言告げる。
「背骨を意識しろ」
アルマークがそうするだけで、風が威力を増した。
その後も、ウォリスは魔法の名を次々に挙げ続けた。
そして、アルマークがその魔法を見せると、わずか一言、アドバイスをする。
それがどんな意味を持つのかの解説は一切なかった。
だが、そのとおりにするだけで、アルマークの魔法の威力が、効率が、確実に改善した。
「よし」
どれくらい魔法を使っただろう。
一度も詰まることなくアルマークに助言を送っていたウォリスが、ようやく頷いた。
「そのへんでいい」
矢継ぎ早に魔法を使い続けたアルマークは、全身から汗を流していた。
大きく息をついて空を仰ぐ。
「今言ったことを忘れるな。寮に帰ったらもう一度思い出して整理しろ」
ウォリスは淡々と言った。
「そうすれば、まあ卒業試験で落第することはないだろう」
「ウォリス」
アルマークは畏敬の念を持ってウォリスの顔を見た。
「これはどういう仕掛けなんだ。君の言うとおりにしただけで魔法が安定した」
「仕掛けも何もない」
ウォリスは肩をすくめる。
「君の魔法の至らない点を直しただけだ」
「でも、あんな一瞬で」
「一瞬だろうが一年だろうが」
ウォリスはつまらなそうにそう言いながら、ゆっくりと立ち上がった。
「見える人間には見えるし、見えない人間には見えない」
木々が、不意に冷たい風で揺れた。
ざざざ、という波のような枝擦れの音が森を包む。
「風が出てきたな」
ウォリスは言った。
「補習は終わりだ。少し、話をしよう」
「話?」
アルマークが怪訝な顔をすると、ウォリスは小さく頷く。
「以前、この森に魔物が出たな。覚えているだろう」
そう言って、アルマークを見る。
「君とトルクが下級生を助け出したという、例のあれだ」
「ああ」
アルマークは頷いた。
「ジャラノンにエルドがさらわれた件のことか。もちろん覚えているよ」
「そうか」
ウォリスは森の奥に目をやった。
その表情は、アルマークからはちょうど陰になっていて見えない。
「魔物が森のあんなに浅いところに出る。そんなことはここ何年もなかったそうだ」
ウォリスはまるでまたそこからジャラノンが現れでもするかのように、森の奥を見つめていた。
やがて、ウォリスが再び口を開いた。
「夜の森で、笛のような音が鳴るのを聞いたことは?」
「あるよ」
アルマークは頷く。
「北ではよく聞いた。南に来てからは、ここの森が初めてだったけど」
「そうだろう」
ウォリスは薄く微笑んだ。
「そんな音は、今までしたことがなかったんだ」
そう言って、不意にアルマークを振り向く。
「アルマーク」
その声の響きが、また奇妙に歪んだように聞こえた。
「君が、この学院に来るまではな」




