魂
グリーレストは、座り込んだアルマークがしっかりと握りしめたままのマルスの杖を見た。
「最後は、魔力が汝の身体としっかり噛み合っていた」
その声には賞賛の響きがあった。
「鍵が、それに応えた。今までとは比べ物にならない戦いぶりであった」
アルマークはその言葉を疲労しきった表情で聞いていたが、不意に、少し離れた地面に倒れている長身の少年のことを思い出した。
「コルエン」
そう呟いて腰を浮かす。
「助けに行かないと」
「案ずることはない」
グリーレストは首を振った。
「少しばかり派手にやったので、今は意識はないかもしれぬが、芯まで届かせてはおらぬ。じきに目を覚ます」
「あれも、演技だったんですか」
アルマークはグリーレストを見た。
「あなたはコルエンの首を踏み折ろうとした。僕には、演技には見えなかった」
「さあて」
グリーレストは肩をすくめる。
「汝がどう思うかは分からぬが」
そう言って、倒れたままのコルエンに目をやった。
「我の生きた時代には、大きな目的のために必要な犠牲は、当然のものとして許容されておった」
「それは」
アルマークが目を開くと、グリーレストは口元を緩める。
「それを残酷だと思うか。我は思わぬ」
アルマークが返答に窮すると、グリーレストはアルマークを穏やかな目で見た。
「汝の目に我がどう映ったのか、その姿を否定はせぬよ。汝の生きる時代が、我の時代からどれくらいの時を経た未来なのかは分からぬがな」
「時代……」
グリーレストの言葉に、おそらく嘘はない。
グリーレストは、コルエンを殺してもいいつもりでいたのだ。アルマークの力を引き出すためならば、それは必要な犠牲であると。
だが、それは残酷であるとか邪悪であるとかいうこととは違うような気がした。
アルマークが以前感じた、貴族と平民との違い。それよりももっと遥かに大きな壁が、グリーレストとアルマークの間には横たわっているように感じた。
アルマークは改めてグリーレストを見た。
アルマークの中にある魔術師のイメージを具現化した姿。
黒いローブの、禍々しさすら感じさせる容貌。
だが、それは当然本来のグリーレストの姿ではない。
そして、ウェンディは一度出遭っただけで、彼がアルマークには害を及ぼさないだろうと見抜いた。
あなたの魂は、汚れてなどいない。
ウェンディが劇で、アルマークに言ってくれた言葉。
ウェンディには外見に囚われることなく、その魂の本質のようなものを見抜く力があるのかもしれなかった。
「命の価値は、時代によって変わる」
グリーレストは言った。
「変わらぬのは、一度失ったら二度と戻らぬということだけよ」
「やっぱり、あなたはコルエンを本当に殺すつもりだったんですね」
アルマークは言う。
「僕も戦場に出たことがあるから、あなたの目で分かった」
「そうでもしなければ、本気が出せぬように見えたのでな」
悪びれるでもなくグリーレストは言った。
「結果、あの跳ねっかえりの小僧も死なずにすんだ。汝も我を捕らえることができた。我の行動は正しかったことになる」
そう言った後で、自分の言葉に顔をしかめる。
「星読みのようなことを言ってしまったわ」
それから、アルマークの顔を見た。
「怒っておるのかね」
「いえ」
アルマークは首を振った。
「あなたが彼を殺そうとしていたなら、僕は救えてよかった。そう思っただけです」
「変わっておるな、此度の所有者殿は」
グリーレストは拍子抜けしたように言った。
「最初は癇癪を起こした子供のようであったのに、最後は老練な戦士のようであった。激しさの中に、不思議な穏やかさが同居したような」
それからグリーレストは表情を改めて、アルマークに告げた。
「試練は合格だ」
「ありがとうございます」
アルマークは微笑んだ。
「合格すると、何かあるんですか」
アルマークはそう言って、自分の持つ杖を見る。
「この杖が、すごく強くなったりとか」
「ないな」
グリーレストはあっさりと首を振った。
「何もない」
「そうなんですか」
今度はアルマークが拍子抜けする番だった。
「苦労したのに、何もないんですか」
「うむ」
グリーレストは頷く。
「レブラッドは此度も人選を誤らなんだ。そして選ばれた所有者は順調に成長しておる。そう納得するだけよ」
「誰がですか」
「我がだ」
グリーレストは自分を指差した。
「本当に、それだけなんですか」
「そうだな、強いて言えば」
グリーレストは少し考えてから、答えた。
「胸を張ってもよい」
眉をひそめるアルマークに、グリーレストは微笑んで付け加えた。
「己が鍵の所有者であると、堂々と胸を張っても良い。なにせ、このグリーレストに認められたのだからな」
不意に、低いうめき声とともにコルエンが上体を起こした。
「コルエン」
アルマークは力の入らない足を引きずってコルエンに駆け寄る。
「おう、アルマーク」
そう言ってから、コルエンは首に手を当てて顔をしかめた。
「いってえな、くそ」
「汝の闘志は見事であった」
アルマークの後ろに立つグリーレストにそう声をかけられて、コルエンは思わず驚きの声を上げる。
「うおっ、黒ローブ」
「大丈夫だ、コルエン」
落ち着かせようとするアルマークに構わず、グリーレストはコルエンの前に立った。
「最初の攻撃は良かった」
「え?」
コルエンがグリーレストを見上げる。
「手に握りこんだ風を相手の至近距離で叩きつけるという使い方は、魔法の技量に差がある今回のような時こそ有効に働くであろう。身体能力の高さと、それを生かす方法を知っている点も良い」
「あ、ああ、そりゃどうも」
目を丸くして、それでも突然褒められて頭を下げるコルエンに、グリーレストは言葉を続ける。
「だが、何よりも良かったのはその闘志。そして、我が魔法が発動する直前に察知して身を引いた勘の良さ。これは、教えられて身につくものではない。大事にせよ」
「はあ」
目を瞬かせて頷くコルエンに微笑むと、グリーレストは向こうの木の下で倒れているポロイスに目を向けた。
「あの者にも伝えよ。雷撃も草縛りも、汝ら三人の中で魔力が最も安定していた。基礎がしっかりしている証拠だ」
コルエンは返事をすることも忘れたように、ぽかんとグリーレストを見上げている。
グリーレストは厳しい表情で言った。
「だが、魔術師には一歩踏み外す勇気も必要だ。その一歩が、汝を大きく成長させるであろう。そのように、伝えるがいい」
コルエンは戸惑ったようにアルマークを見る。
「ええと、あれか。これは」
コルエンはおそるおそる言った。
「なぞかけ黒ローブ男じゃなくて、その正体はアドバイス黒ローブ男だったのか」
アルマークは苦笑して首を振ると、グリーレストを見た。
「あのわずかな時間で、そこまで見ていたんですか」
そう尋ねかけて、グリーレストの身体がさっきよりも薄くなっていることに気付く。
「身体が」
「役目を終えたのでな」
グリーレストは微笑んだ。
「もう現世に身体を繋ぎ止めておけぬ」
「消えてしまうのですか」
「うむ」
グリーレストは頷く。
「最後に、我からの助言だ」
そう言って、アルマークをまっすぐに見た。
アルマークも思わず姿勢を正す。
「汝には守る勇気がある」
グリーレストは言った。
「だが、時には奪う勇気を持つことだ」
「え?」
アルマークが目を見張る。
「胸を張れ」
グリーレストは笑った。
その姿が、霞のように薄くなっていく。
「久しぶりに楽しかった。礼を言おう、はるか未来の小さな勇者たちよ」
グリーレストは消えた。
アルマークは息を吐き、グリーレストのいたあたりに深々と頭を下げた。




