絆
「それなら、力づくだ」
その言葉に、ようやくグリーレストがアルマークに向き直った。
アルマークに向かって数歩歩んだところで、立ち止まる。
「雰囲気が変わった」
そう言って、アルマークの立ち姿を眺めた。
「そうか」
グリーレストは一人、納得したように頷く。
「目か」
アルマークはそれに答えなかった。
グリーレストの試練は、まるでイルミスや友人たちとの補習のように、練習を積み重ね、やり直しのきくものだった。
昨日までは。
だが、今日、それはやり直すことのできない命の奪い合いへと変わった。
マルスの杖を失えば、ウェンディの命が危険にさらされる。
もっと直接的な、コルエンとポロイスの命の危機も目の当たりにした。
その時、アルマークの中で何かが切り替わった。
アルマークの心に戻ってきたのは、本気で剣を振るうときは、ごく自然に具えていたはずの心構えだ。
命を守る。そのために、命を奪う。
それは覚悟と呼ぶのも大げさな、北ではごく当たり前の心構えだった。
魔法を使うときには、その心構えが欠けていたのか。
そう問われても、アルマークには答えることはできないだろう。
それは自由に出し入れできる類のものではない、アルマーク自身にもはっきりとしない感覚だった。
だが、友人の危機を目の前にして、アルマークの中でそれが目覚めた。
ボラパとの戦いのときのように、自ら意識して南から北に自分の意識を変換しようとしたわけではない。
コルエンの命の危険を前にしたアルマークは、無心に、ただ本気だった。
「どうした」
挑発するように、グリーレストが言う。
「力づくで我を止めるのではないのか」
「慌てるな」
アルマークは答えた。
「すぐに行ってやるから」
その左手の中で風が渦を巻く。
「また、それか」
グリーレストはため息をつく。
「さっきの跳ねっかえりの小僧がやっていたばかりではないか」
アルマークは無言でグリーレストを見る。
その表情に、グリーレストは怪訝な顔をした。
「汝は、少し……」
アルマークが不意に腕を振った。
グリーレストは虚を衝かれたように身をかわす。
アルマークの投げた石が木の幹に当たって乾いた音を立てた。
その時には、アルマークは地面を蹴っていた。
走り出しながら、右手に持ったマルスの杖を突き出す。
気弾の術。
それを払おうとしたグリーレストの手が逆に弾かれた。
「むっ」
グリーレストが初めて目を見張る。
決して、大きな魔力で作った空気の塊ではない。
だが、空気を包む魔力が今までになく凝縮されていた。
アルマークが杖を突き出す。
これも、さして大きな空気弾ではない。
だがグリーレストはそれを弾ききれず、後退した。
それに合わせて投げられたアルマークの石つぶてを、グリーレストはうるさそうにかわす。
走るアルマークは表情を変えない。
グリーレストが反撃の気弾の術を撃ち返した。
大きな空気の塊が、三つ。
アルマークはごくわずかな動きでそれを全てかわした。
目に見えない空気弾を造作もなくよける。だが、それは魔法ではない。
それは、戦場の傭兵の動きだった。
「ここへ来て、多少は」
そう言って笑うグリーレストのローブが大きく翻る。
グリーレストの魔法が発動し、アルマークの足元の地面が消失した。
しかしそれでもアルマークはうろたえなかった。
アルマークの頭脳が、力を得たように生き生きと回転する。
戦場の感覚。命の熱がアルマークを動かす。
アルマークは躊躇なく杖を天にかざした。
杖は一瞬で鳥に変わり、羽をばたつかせてアルマークの身体をわずかに浮かせる。
それだけで十分だった。アルマークは身をよじって、魔法の範囲外の地面に着地した。
その瞬間に四方から木の枝が伸びてくるが、アルマークはまるで長剣を振るうようにマルスの杖を振るった。
火花を散らして枝が弾かれる。
それと同時に目の前を遮るように現れた岩の壁に、魔力を込めた杖を突き出す。
邪魔だ。
先鋭化した魔力は、最小限にして最大の力を発揮した。
岩の壁に穴が穿たれ、そこからアルマークが飛び出してくるのを見て、グリーレストは目を見張る。
「なんと、これは」
アルマークはまるで何事もなかったようにグリーレストに向かって走った。
それを阻むようにグリーレストが地面に手をかざす。
アルマークを包むように、地面が格子状の青白い光を放った。
その直後、光が爆ぜた。
だがアルマークは表情も変えなかった。
その魔法は、さっき見た。
戦場で、同じ相手に二回も同じ技が通用するかよ。
アルマークは、光の乱反射に合わせて身を躍らせていた。
全身に走る衝撃と痛みを、歯を食いしばってこらえる。
高く。
アルマークは空中で無理やりに体勢を立て直すと、相手の衝撃波を利用してさらに跳んだ。
遠く。
着地したところは、もうグリーレストの目の前だった。
グリーレストが目を見開く。
そこで初めて、アルマークが表情を変えた。
南ではついぞ見せたことのない、凶暴な笑顔。
獲物を前にした、狼。
なおも手を振って魔法を行使しようとしたグリーレストが、アルマークの左手に気付く。
そこに渦巻く、一陣の風。
「まだ」
持っておったのか。
そこまで言う余裕はなかった。
とっさに後方へ飛ばされるのを防ごうと、グリーレストが足を踏ん張る。
持ってるに決まってる。
アルマークの戦場の思考の中に、時折、囁きのように混ざる声があった。
それが何か、アルマークには分かっていた。
師の言葉。
友の声。
アルマークが風を解き放つ。
グリーレストの身体が予想外の方向へ飛ばされた。
上。
それはイルミスがアルマークに授けてくれた魔法だった。
吹き上げの術。
ここだ。
アルマークは歯を食いしばってマルスの杖をかざした。
その頭上が眩く輝く。
光の網。
モーゲンが、ウェンディが、教えてくれた魔法。
吹き上がる風に対して、上から光の網を叩きつける。
風と網で、グリーレストの身体を挟んで押し潰すように。
「むうっ」
グリーレストが両腕を突っ張った。
その力に風と網がきしむ。
だがそれを強引に押さえ込むように、アルマークは右手の杖で光の網の、左手で風の、それぞれの力を同時に強めていく。
まるですり潰すように上下からの力がぶつかり合う中で、徐々に杖の力で勝る光の網が風を圧していく。
残りの魔力を絞り出すように、アルマークは声にならない叫びを上げた。
マルスの杖が、ひときわ強く輝く。
風が止んだ。
大きくえぐれた地面に、光の網が広がっていた。
グリーレストは輝く網によって、地面に縫い付けられていた。
最後のあがきのように腕を曲げようと試みるが、網はびくともしない。
グリーレストは諦めたように息を吐いた。
それを見届け、アルマークは今度こそ、全ての魔力を使い果たしてその場に座り込んだ。
それでもなお地面で輝き続ける網は、アルマークと友人たちとの絆の証のようにも見えた。
「見事」
その声に、アルマークは顔を上げる。
グリーレストが、何事もなかったように立ち上がっていた。
だが、その身体にはもはや実在する質量が伴っていないのが分かった。
「汝は我を捕らえた」
グリーレストの口調の意外な穏やかさに、アルマークはその顔を見た。
「世話の焼ける所有者殿よ」
グリーレストは目を細めた。
「慣れぬ演技をあまりさせるな」
「あなたは」
アルマークが言いかけるのを、グリーレストは首を振って制した。
「追い詰められねば発揮できぬとは。それも自分ではなく、他人がだ。実に難儀な性質。だが、さすがはレブラッドの認めた所有者よ」
グリーレストがアルマークに向けた目は、優しかった。
「汝の力の形、このグリーレストが確かに見届けた」




