責任
アルマークが歯を食いしばって駆ける。
その表情に、グリーレストが目を細めた。
地面を断ち切らんばかりの勢いで振り下ろされたマルスの杖から強烈な風が巻き起こる。
枯れ草を地面ごと巻き上げ、折れた枝とともに風がグリーレストの身体にまともにぶつかった。
「むっ」
グリーレストが声を上げる。
そのローブがちぎれんばかりにたなびいた。
アルマークは魔法の効果を確認もしなかった。
次の魔法を。
切り払うように水平に振られた杖から、今度は炎がほとばしった。
グリーレストが腕を振るいそれを振り払うが、炎は簡単には消えず、グリーレストの周りで渦を巻いた。
アルマークの魔力が、身体の中で歓喜の声を上げる。
そうだ、やれ。
もっと俺たちを使え。
俺たちに、形を。
力を行使しうる形を。
アルマークはその声に身を委ねた。
ウェンディの足を前に何もできなかった、自分の不甲斐なさを、それで振り払おうとした。
僕は、弱い。
そう思いながら、魔力を練る。
ウェンディの決意と覚悟。それに比べ、僕の弱さはどうだ。
杖を振るい、グリーレストに魔法を叩き込む。
僕は、弱い。
そう思うたびに、逆に暗い悦びとともに自分の中の魔力が膨れ上がった。
アルマークの振るう杖が、剣のような風切り音を立てる。
そのたびに火が、風が、水が、稲光が、休む間もなくグリーレストに叩きつけられ続けた。
アルマークの全身に魔力がみなぎる。
使っても使っても、魔力が無尽蔵に湧いてくるような感覚。
杖の先端に魔力が、ぐん、と集まるのがはっきりと分かる。
「があっ」
雄叫びとともに杖を振る。
研ぎ澄まされた風の刃が、周りの木の枝を瞬時に切り落としながらグリーレストにぶつかった。
さすがにグリーレストは両断されはしなかったが、ローブの切れ端が舞い、その身体は大きくよろけた。
そのまま、そこにいろ。
アルマークはグリーレストに気弾の術をぶつける。
放たれた大きな空気の塊を、グリーレストが腕を伸ばしてかき消す。
だが、アルマークはその一撃では終わらなかった。
二度、三度、四度。
アルマークは剣を振るうように杖を振るい、それに合わせて気弾の術が次々にグリーレストを襲う。
グリーレストの身体が揺れた。
くそ。
自分の情けなさごと叩きつけるかのように、気弾の術をグリーレストにぶつける。
くそ、くそ、くそ。
ふらふらとよろけるグリーレストに、魔法を叩き込み続ける。
何度も、何度も。
だが、終わりは不意に訪れた。
突然足から力が抜け、アルマークはよろめいた。
体勢を立て直して杖を振るおうとしたが、今度は腕の力が抜けた。
手が震え、思わず杖を取り落とす。
長剣をこんな風に落としたことは一度もなかった。
杖は、長剣よりもはるかに軽いはずなのに。
慌てて杖を拾い上げたアルマークは、呆れたような顔のグリーレストと目が合った。
「空になったか、魔力が」
グリーレストは言った。
「えっ」
アルマークは目を見開く。
だが、そう言われてみれば、あれほどはっきりと聞こえていた魔力の声が、いつの間にか聞こえなくなっていた。
魔力の声ではなく、自分の声だけを聞いていた。
魔力切れ。
にわかには信じられなかった。
そんなばかな。
ついさっきまで、魔力が無尽蔵に湧いてくるように感じていたのに。
「それはそうよ。人間の魔力には限りがある」
グリーレストはつまらなそうに言った。
「自分が“門”にでもなったつもりでいたか」
それでも、アルマークは杖を構えてグリーレストを睨む。
「やれやれ」
グリーレストは手で自分のローブを払った。
ローブの裾が多少ちぎれてはいたが、あれだけの魔法を受けても、グリーレストは傷一つ負っていなかった。
「あまり手を煩わせるな」
そう言ってため息を一つつくと、グリーレストは静かに一歩踏み出した。
「それは、汝には過ぎたものだったようだ」
その手が、小さく動いた。
と思ったときには、アルマークはみぞおちに思い切り空気の塊を打ち込まれて地面に倒れていた。
「ぐ、うっ」
まともに声も出せずに悶絶するアルマークに、グリーレストはゆっくりと歩み寄る。
「これ以上の試練はもはや不要」
グリーレストの口調は今までと明らかに違った。
「何かあるのかと我慢して受けてみたが、なんのことはない。子供の癇癪を魔法に変えただけの代物であった」
その目が冷酷さを帯びる。
「思い切りと言ったな」
どん、と音がした。
鈍い衝撃とともにアルマークは地面を転がった。
激痛。
「この程度が、汝の思い切りとやらか」
グリーレストは意外な速さでアルマークの身体を追ってきた。
言葉も出せないアルマークが、それでもまだ離さないマルスの杖。
それを握る右手を、グリーレストの足が強く踏んだ。
「力なき者に鍵は守れぬ。操れぬ」
グリーレストは言った。
「所有者の選択を誤れば、それはこの世に大きな不幸と悲しみしかもたらさぬ」
冷たい声で言いながら、グリーレストはアルマークの右手を踏んだ足に力を込める。
「手放すがいい。汝にそれは相応しくない」
「いや、だ」
やっとそれだけ、アルマークは絞り出した。
グリーレストは低く笑う。
「あの程度の魔法が使えれば、魔法を使えぬ人々から魔術師と呼んでもらうことはできよう。それが汝にはちょうどいい。それで満足しておけ」
あの程度の魔法。
その言葉を聞いた瞬間、アルマークの心は沸騰した。
貴重な時間を割いて、丁寧に、自分たちのやり方で、魔法を教えてくれた級友たちの顔が浮かぶ。
あの程度の魔法、だって?
「あの程度、だって?」
アルマークはうめいた。
「訂正しろ」
「その必要はない」
グリーレストは答えた。
「見ろ、我の身体を」
そう言って両手を広げる。
「汝の魔力を全てつぎ込んで、一体我にどれだけの傷を負わせた。我を捕らえることはできたのか」
「それは、僕のせいだ」
アルマークの腕に力がこもる。
「だけど、あの程度の魔法じゃない」
「どうでもよい話だ」
グリーレストは吐き捨てた。
「離せ、その手を。その鍵には、もっと相応しき所有者を探す」
「いやだ」
アルマークが、今度ははっきりと言った。
全身の力を込めて、グリーレストの足の下から腕を引き抜く。
「これは渡さない」
そう言いながら、アルマークは立ち上がった。
杖を構えてグリーレストと向かい合う。
「汝は力を示せなかった」
グリーレストは言った。
「我は汝を所有者とは認めぬ」
「関係ない」
アルマークは首を振った。
「僕が、決められた所有者だとか、そうでないとか」
アルマークの胸に、門であると告げられた日のウェンディの涙が蘇る。
「そんなことは関係ない。僕は、ウェンディとともに行く。僕にはこれが要るんだ」
「それこそ番人たる我には何の関係もない話だ」
グリーレストは口元を歪めて、首を振った。
「力なき者に鍵は渡さぬ。それが我が使命」
そう言って、アルマークの手に握られたマルスの杖を見る。
「手放さぬなら、腕ごと落とすか」
グリーレストは言いざま、手を振った。
とっさに身をかわしたアルマークのローブの袖が、ざっくりと裂ける。
アルマークは後方へ飛びずさりながら、杖を構えた。
なけなしの魔力をかき集める。
グリーレストが呆れたように息を吐き、一歩足を踏み出した、その時だった。
炎が躍った。
闇夜を切り裂くように飛んできた五つの火の玉を、グリーレストがうるさそうに素手で払う。
「面白そうなことやってるじゃねえか」
そう言いながら現れた少年を見て、アルマークは叫んだ。
「だめだ、コルエン」
「何がだめだ」
コルエンは笑う。
「俺も混ぜろ」
その後ろから、もう一人の少年も姿を見せた。
「怪我をしているな、アルマーク。僕らも手伝うぞ」
「だめだ、コルエン、ポロイス。これは遊びじゃない」
アルマークが叫ぶ。
「やれやれ」
グリーレストは大儀そうに首を振った。
「汝がさっさと手放さぬからこういうことになる」
グリーレストが次に発した言葉は、ぞっとするほどの冷たさを帯びてアルマークの耳に響いた。
「責任は、己で負うがいい」




