強く
途方に暮れたようなアルマークの表情を見て、覚悟していたはずだったウェンディの心を後悔が襲った。
言うんじゃなかった。
反射的にそう思った。
私の言葉で、アルマークを傷つけてしまった。
大事な人を、自分の言葉で。
だが、そう考える自分を、ウェンディは叱咤した。
違う。
アルマークはこの程度で挫ける人じゃない。
私はアルマークを信じる。
アルマークの、強さを。
私の気付きを、アルマークはきっと役立ててくれる。
心に言い聞かせながら、ウェンディはまた口を開いた。
「もちろん魔法を使う時のあなたの目だって、真剣だわ」
その言葉に、アルマークがウェンディの顔を見る。
アルマークの表情に息が詰まりそうになりながらも、ウェンディはそれを顔には出さなかった。
「さっき治癒術を使ったときも、あなたは真剣な目で私の傷を治してくれた」
ウェンディは傷跡の全くない自分の指先を見ながら、言う。
「嬉しかった」
自分を治すために、あんなに真剣な目をしてくれた。
「私も知ってる。真剣な時のあなたの目は、いつもと違うの」
ウェンディはそう言ってアルマークを見る。
アルマークが本当の意味で真剣になると、その目にも、火が宿るように力がこもる。
他の生徒とは一線を画す、強い目。
それはアルマークの大きな魅力だ。
けれど。
「でも、その目ではないの」
ウェンディは首を振った。
その目が本当は大好きなのに。
そして、今から言おうとしているアルマークの目は、むしろ彼をどこか遠い人のように感じさせるものでもあるのに。
それでもウェンディは、違う、と言った。
「あなたには、もっと強い目がある」
ウェンディの言う、その強い目。
それは、力のこもった真剣な目とはまた違う。
力よりも、凍てつくような冷徹さを宿した目。
ウェンディが夜の森で見た、アルマークの目だ。
闇に飲まれかけたラドマールに剣を叩きつけた時。
モーゲンの身を挺した奮闘の後、ボラパに向かって駆け出していった時。
自分や仲間が本当の命の瀬戸際に立った時、アルマークが見せるあの目。
あの目を何と呼べばいいのか。
いつものアルマークの目を、南の目とするなら、あれは。
北の目。
ウェンディの知らないアルマークの、目。
それはきっと、北の傭兵の目だ。
北の傭兵。
その言葉は、今でもウェンディの心を暗くする。
それは、自分自身の悲しい記憶のせいでもあり、そしてアルマークの心を自分が傷つけてしまったせいでもある。
執事のウォードが手紙で言っていた。
アルマークは、自分が北の傭兵の息子だということを知られることを恐れているのだと。
だから、ウェンディは言葉を慎重に選んだ。
自分がそこに触れないように。
けれど、伝えるべき意味が決して変わらないように。
「あなたが魔物を斬った時の目」
ウェンディは言った。
「ボラパを斬った、あの目」
記憶をたどり、ウェンディは声を励ます。
「あの目で、魔法を使えば」
その言葉に、アルマークの瞳が揺れる。
「きっと、誰もあなたには敵わないわ」
アルマークの顔が苦しそうに歪んだ。
ごめんなさい。
ウェンディは思った。
ごめんなさい。あなたを傷つけて。
アルマークの口から、息が漏れる。
その表情に、ウェンディは一瞬、アルマークが泣き出したのかと思った。
だが、彼がそんな表情を見せたのは、ほんの一瞬だった。
本当に今そんな表情をしたのか、とウェンディが自分の目を疑うほどの一刹那でその表情を隠したアルマークは、ウェンディを見ると、言った。
「分かった。やってみるよ」
その穏やかな声に、ウェンディの胸は詰まった。
足をそっと伸ばすウェンディの前に、アルマークは屈みこんだ。
大きく息を吸って、それからゆっくりと吐く。
アルマークの心を表すかのように、その身体の中で魔力が頼りなげに揺れていた。
しばらくアルマークは、決心がつきかねるようにウェンディの足を険しい表情で見つめていた。
だがやがて、覚悟を決めた顔で右手をウェンディの足にかざす。
アルマークの目が徐々に鋭さを増すのを、ウェンディはじっと見守った。
アルマークの額に汗がにじむ。
その身体の中に、強い魔力が渦巻くのをウェンディも感じた。
ぽたり、と汗が床に落ちた。
手をかざしたまま、アルマークは動かない。
ウェンディも、アルマークを見つめたまま動かない。
だが、魔力はいつになってもアルマークの手から流れ出さなかった。
アルマークの身体の中では、よく練られた魔力が行き場を探して渦巻いているというのに、当のアルマークはその魔力を持て余しているようにさえ見えた。
気付けば、アルマークの足元には何滴もの汗が染みを作っていた。
それでもアルマークは魔力をウェンディの足に流しこもうとしなかった。
ウェンディも、黙ってアルマークの表情を見つめていた。
どれくらいの時が流れただろうか。
アルマークが不意に手を下ろした。
深く息を吐き、ウェンディを見上げる。
ひどく悲しそうな目だった。
「ごめん」
アルマークは言った。
「僕には、できない」
魔術実践場を出て、並んで歩きながらも、二人の間には会話はなかった。
アルマークは沈んだように何かを考え込んでいたし、ウェンディはまたも襲ってきた後悔と戦うのに精一杯だった。
澄んだ夜の空気の中を、二人は黙々と歩いた。
やがて寮の灯が遠くに見えてきた頃。
アルマークがぽつりと言った。
「本当は、自分でも分かっていたんだ」
その言葉に、ウェンディはアルマークを見る。
アルマークのウェンディを見る目は、穏やかで優しかった。
「でも、君に言われてはっきりと自覚した」
言葉に詰まるウェンディに、アルマークは深々と頭を下げた。
「ありがとう、ウェンディ。言いづらいことを、君に言わせてしまった」
それを見たら、もうだめだった。
ウェンディは堪えていた涙がこぼれ落ちるのを感じながら、それでも言った。
「ごめんなさい、アルマーク。私」
「君が謝ることは何もないよ」
アルマークは首を振る。
「ウェンディ。僕は強くなるよ」
穏やかだが、はっきりとした声でアルマークは言った。
「君を泣かせたりしない、強い男になる」
違う。
そう言おうとしたが、言葉にならなかった。
ウェンディの頬を流れる涙を、アルマークの手がぎこちなく拭った。
涙に濡れたウェンディの目にも、そのローブの袖にこびりついた血が見えた。
「ほう」
ゆらりと姿を現したグリーレストは、アルマークの表情を見て薄く笑った。
「今宵は少し、雰囲気が違う」
「グリーレスト」
アルマークは言った。
「あなたの試練は、今の僕には荷が重いと思っていました」
そう言いながら、アルマークは黒衣の魔術師にゆっくりと歩み寄っていく。
「でも今日は、あなたの試練があって、本当に良かったと思っています」
その手に握るマルスの杖から不穏な光がこぼれる。
「僕の今の思いを、思い切りぶつけても、あなたなら大丈夫そうだ」
「若い」
グリーレストは楽しそうに笑った。
「いや、幼いと言うべきか。世話の焼ける所有者殿よ」
そう言って、ゆっくりと腕を伸ばし、マルスの杖に触れる。
「だが動機が何であれ、我は構わぬ。さあ、見せよ」
グリーレストは両腕を広げた。
「力を」




