目
アルマークが、重ね合わせた両手をそっと開くと、そこから勢いよく小鳥が飛び出した。
小鳥はしばらく実践場の空中をぱたぱたと飛び回った後、アルマークの肩にふわりと止まる。
「うん」
ウェンディが頷く。
「合格」
その言葉にアルマークはほっと息を吐いた。
したたる汗を拭って小鳥にそっと手を触れる。
小鳥は溶けるように姿を崩して元の石に戻った。
「君にいっぺんに三つも課題を出されたときは焦りそうになったけど」
アルマークは言った。
「よかった。三つともちゃんと成功して」
「うん。すごいよ」
ウェンディは微笑む。
「ネズミも蝶も鳥も、ちゃんとできていたもの」
その言葉にアルマークは照れたようにうつむいた。
「蝶が久しぶりだったから、緊張したよ」
「変化の術を教えてくれたのはレイラだったっけ」
「うん」
アルマークは頷く。
「この前の補習でね。試験で出る魔法の中で、一番難しいのに挑戦しなきゃって」
「さすがレイラだね」
ウェンディは頷く。
「厳しいね、自分にも人にも」
「でもおかげでいろいろなことが見えたし、思い出せた」
アルマークは表情を緩めてもう一度汗を拭った。
「ありがたかったよ」
「うん」
ウェンディはアルマークの表情を見て、納得したように頷く。
「さあ、今日はこれで全部かな」
アルマークはそう言ってウェンディを見た。
「今日一日ですごくたくさん魔法を使った気がする。それも全部、頭を使いながら」
「うん。今までアルマークは魔法を使うこと自体で頭がいっぱいだったと思うけど」
ウェンディは言った。
「今は、魔法を使いながらきちんと考えることができてるように見えるよ。魔法を使うことに慣れてきて、頭と心に余裕が生まれたんだと思う」
「なるほど」
アルマークは頷く。
「確かに前よりは、魔法を使いながら他のことを考えられるようになった気はするよ」
他のことと言っていいのか。
「いや」
アルマークは自分の言葉に首を振った。
「魔法を使うってことは、単純に魔力を練ってイメージをするだけじゃないんだってことに気付いたんだ。きちんと魔法を使うには、それ以外のことも色々と考えなきゃならない」
「すごい」
ウェンディは素直に称賛する。
「試験対策なんてとっくに超えているね」
「いや、偉そうなことを言って試験で落第したら話にならないけど」
アルマークは苦笑した。
「でも、途中からみんなの教えてくれることが興味深くて、楽しくなってしまって」
「試験だってみんなの教えてくれたことの延長線上にあるんだもの、きっと大丈夫だよ」
ウェンディは微笑んだ。
「頑張ろうね」
「うん。ありがとう、ウェンディ」
アルマークは頷き、イルミスを振り返る。
「先生、今日はこれで」
「待って、アルマーク」
「え?」
アルマークは驚いて振り返った。
ウェンディが真剣な表情でアルマークのローブの袖を掴んでいた。
「終わりじゃないのかい」
「うん、試験対策はこれで終わり。でも本当の最後はまだ残ってるの」
ウェンディの言葉に、アルマークはきょとんとする。
「最後が、まだ?」
言われてみれば、さっきアルマークが変化の術で最後と言ったとき、ウェンディは微妙な表情をしていた。
「試験対策は終わりってことは、試験とは関係ないってことかい」
「ええ」
ウェンディは頷く。
「みんな、一つずつあなたに魔法を教えたでしょ。だから私もあなたに一つ教えるわ」
その真剣な表情に戸惑いながら、アルマークは頷く。
「それはもちろん、大歓迎だよ。でも、何を」
「飛び足の術」
ウェンディの言葉を聞き、アルマークは気まずそうにうつむいた。
「ごめん、ウェンディ」
アルマークは言った。
「飛び足の術はキュリメに習ったばかりなんだ」
だがウェンディは全く動じなかった。
「それは、物に魔法を込めたんでしょ?」
「うん。本に」
アルマークが頷くと、ウェンディは首を振った。
アルマークの目の前に、自分の足を伸ばす。
「違うよ、アルマーク。あなたが飛び足の術をかけるの」
ウェンディの真剣な目にアルマークは言葉を失う。
「私の足に、直接」
しばらく沈黙が流れた。
アルマークはウェンディの細い足をじっと見つめていた。
「君の足に、直接」
ようやくアルマークがそう言うと、ウェンディは頷く。
「ええ」
飛び足の術を、直接、足に。
それは夜の森で、アルマークがウェンディに頼んだことだった。
そしてウェンディは僅かな時間の中で、見事にそれを成功させ、アルマークはその力でボラパを斬った。
だが、それは実際のところ、恐ろしく危険な行為だった。
「だって、ウェンディ。もしも魔力の調整を誤ったら、君の足が」
「分かってる」
ウェンディは一瞬の躊躇もなく頷く。
「かけて。アルマーク」
「練習でやることじゃない」
アルマークは首を振った。
「危険すぎるよ」
「分かってる」
ウェンディは頷いた。
「でも、かけて」
「ウェンディ」
アルマークは困った顔でウェンディを見た。
だが、ウェンディはアルマークの目をじっと見つめ、視線をそらさない。
「練習でできないことは、本番ではできない」
ウェンディはそう言ったあと、小さく首を振る。
「あなたの場合は違うのかもしれない。あなたは本番に強い人だから、本番ではやり遂げてしまうのかもしれない」
アルマークの強い瞳。
ウェンディは、夜の森でボラパを見据えたあの瞳を今でもはっきりと思い出せる。
あのときのアルマークには、勝つために必要なことが全て見えていた。
「でもそれは、剣があったからだと思うの」
ウェンディの言葉が、アルマークの痛いところをついた。
アルマークが顔を歪める。
「剣と同じように、魔法でも本番で力を発揮するには、こういう練習が必要だと思う」
言葉は違うが、レイラと同じことを言っている。
アルマークにもそれは分かった。だがそれでも、首を振る。
マルスの杖を変化させるのも危険だったが、ウェンディの足に直接魔法をかけるというのは、まるで次元が違う。
「そうは言っても、危険すぎる」
「アルマーク、あなたは」
ウェンディは一瞬ひどく辛そうな顔をしたが、それでも口を開いた。
「魔法で人を傷つけることを恐れている」
アルマークは目を見開く。
「もちろん、みんな魔法で人を傷つけるのは怖いし、わざと人を傷つけたことのある子なんてほとんどいないと思う」
ウェンディはアルマークの目を見ながら、自らも苦しそうな顔で、でも、と言った。
「あなたは他の人とは違うもの。アルマーク、あなたが剣を持った時の姿。強い目」
アルマークはきっとそれを自分では意識していないだろう。ウェンディにもそれは分かる。
だが、背負った剣を抜く時のアルマークの目。
剣を構えた立ち姿。
まるで、気高い狼のような。
その牙で、その爪で、敵対するものを引き裂くことに、恐れもためらいもしない狼。
「剣を持つあなたには、もうこれで大丈夫、と周りに思わせる強い力があるの」
アルマークの顔が苦しそうに歪む。
ウェンディはそれを見て、自分の心も締め付けられるような苦しさを覚えた。
だが、それでも言葉を絞り出す。
「モーゲンが言っていたわ。剣を持ったアルマークは無敵だって」
私も、きっとそうだと思う。
剣をまるで自分の身体の一部のように、もう一人の分身のように、自在に操る。
アルマークは、素人目にも、子供には長すぎるのではないかと思うその剣を相棒のように構えて、微塵の躊躇もなく魔物の群れに向かって走っていった。
あの日のアルマークの姿を思い出して、ウェンディは自然と涙がこぼれそうになる。
いけない。
泣いている場合ではない。
きちんと伝えるんだ。
自分が気付いたこと。
言いづらいからって、逃げちゃだめなんだ。
試練に悩むアルマークの力に少しでもなれるなら、嫌われたっていい。
「あの強い目を」
ウェンディはもう一度アルマークをしっかりと見た。
「魔法を使う時、あなたはしない」




