滝
「ウェンディ!」
向こうでラドマールが手を振っている。
その隣ではイルミスが渋い顔をしている。
「僕の魔法を見せるぞ、こっちに来い」
「あ、うん」
ウェンディは返事をしてから、困ったようにアルマークの顔を見た。
「僕は大丈夫」
アルマークは頷く。
ちょうど湧水の術を終えて、風の術と風曲げの術に入るところだった。
「こっちで風の術の練習をしているから、ラドマールの魔法を見てあげてくれ」
「うん」
ウェンディは頷いて、それでも気遣わしげにアルマークを見た。
「ごめんなさい。すぐに戻るね」
「大丈夫。ちゃんと見てあげてよ」
アルマークはそう言って、マルスの杖を構えた。
ラドマールが自分の中で魔力を練る。
イルミスの隣に立ったウェンディは、その魔力の質に目を見張った。
「先生」
そう声をかけてイルミスを見上げる。
「ラドマールの魔力」
「うむ」
イルミスは口元を緩める。
「だいぶ成長しただろう」
「はい」
ウェンディは頷いてラドマールに目を戻した。
「すごいですね。魔術祭のときとはもう別人みたい」
魔力を練り終えたラドマールが、芝居がかった仕草で手を突き出す。
「霧の魔法」
そう叫ぶと、手から真っ白い霧が噴き出した。
霧はたちまちのうちに実践場内を覆っていく。
「すごい」
ウェンディが歓声をあげ、ラドマールが誇らしげに笑ったときだった。
びしゃっという音がした。
ラドマールの手から床に水が落ちる。
集中を欠いたラドマールの魔力が霧から水に変わっていた。
「ぬっ」
ラドマールは顔を赤くして魔力を操作しようとするが、一度水に変わった魔力はなかなか霧状になってくれない。
「く、くそ」
「いったん止めろ、ラドマール」
イルミスが厳しい声を上げた。
「魔力を大量に消耗してしまうぞ」
「いや、まだ」
ラドマールはそれでも必死の形相で、水を噴き出す手を突き出したまま、魔力の制御を試みようとする。
ばしゃばしゃと派手な音を立ててこぼれ落ちる水が、床に水たまりを作っていく。
「ラドマール」
顔をしかめてイルミスが一歩踏み出そうとしたその時だった。
「先生、私が」
ウェンディがそう言って、ラドマールのもとに走った。
ウェンディはラドマールの背後に回ると、そっとその手を支える。
「なっ」
ぎょっとしたように振り返るラドマールに、ウェンディは厳しい顔で首を振る。
「集中して」
そう囁くと、ラドマールの腕を水平より上の高さまで持ち上げる。
その手から流れる水が、さっきまでよりもさらに大きな音を立てて、床で跳ねた。
「あなたの手から床に落ちるまでの、この水を見て」
ウェンディはラドマールの後ろで囁く。
「イメージするの。この水が、床に落ちきる前に霧になって飛び散ってしまう様子を」
そう言って、自分の腕が濡れるのも構わずに、さらにラドマールの手を上に上げる。
「この水の流れが小さな滝だと思って。それが強い風に吹かれて飛び散る光景を強くイメージするの」
真っ赤な顔でどうしていいか分からない様子だったラドマールの目が、ウェンディの言葉とともに徐々に落ち着きを取り戻していく。
「滝か」
「ええ」
ウェンディは頷く。
「僕の国にも滝がある。大きくはないがとてもきれいな滝だ」
ラドマールは言った。
「僕の国と同じだ。ヴォルカドも、大きくはないが美しい」
「そう」
ウェンディは表情を緩める。
「その滝に、強い風が吹くの。そうして、水が霧になる」
「ああ」
ラドマールが頷く。
「見える」
不意に水音が止んだ。
イルミスが片眉を上げる。
その手から流れ落ちていた水が、途中で霧に変わって実践場の中へ流れ出し始めた。
やがて水が霧へと変わる位置は少しずつ上に上がっていき、最後には水の流れはすっかり消え、手からそのまま霧が噴き出すようになった。
それを見届けて、ウェンディはラドマールを支えていた手を離す。
「できたね」
「ああ」
「あなたの霧だって、きっとヴォルカドの滝と同じくらいきれいだよ」
ウェンディが言うと、ラドマールは真剣な顔で頷いた。
「滝ならずっと見てきたからな。はっきりとイメージができた」
そう言って、自分の霧の流れる先を見つめる。
「さっきも言ったが、ヴォルカドの滝はきれいだ」
霧が周囲を包んでいく。
それに紛れるようにして、ラドマールは小さな声で言った。
「ウェンディ。お前もいつか、見に来い」
「ウェンディの前だからと、いい格好をしようとしたな」
霧がすっかり消えた後。
イルミスは厳しい声で言った。
「ラドマール。自分の魔法をかっこよく見せようとか、いつもよりもうまくやってやろうとか、そういう余計な感情は魔術師にとっては大敵だ」
「はい」
ラドマールは渋々頷く。
「芝居がかったような余計な動作は不要だ。練習のとおりに、ありのままの自分の魔法を使えばいいのだ」
イルミスはそう言って、ラドマールの顔を覗き込む。
「分かるな」
「はい」
ラドマールは返事をしたあとで、うつむいてちらりとイルミスの隣に立つウェンディを見た。
それを見て、ウェンディがとりなすように言う。
「でも、魔力はきれいに練れていたし、失敗した後にちゃんと立て直せたのはすごかったよ」
その言葉に、ラドマールが嬉しそうに顔を上げる。
だがイルミスは首を振った。
「ウェンディ、褒めなくていい。普段はもう少しできる」
「はい」
ウェンディは首をすくめる。
「すみません」
「だが、よくやってくれた」
イルミスは微笑んだ。
「ありがとう。君のおかげで彼の不安定さがよく分かった」
「いえ、そんな」
恐縮するウェンディを優しい目で見やると、イルミスは背後を振り返った。
「アルマークの続きを見てやってくれ」
「はい」
ウェンディは頷いて、ラドマールに向かって胸の前で握りこぶしを作ってみせる。
「頑張ってね、ラドマール」
「ああ」
ラドマールはいつもの無愛想な表情で答えるが、その頬はいつもと違って赤く染まっている。
ウェンディはラドマールに小さく手を振ってアルマークのもとに駆け戻った。
「ごめんなさい、アルマーク」
走って戻ってきたウェンディを見て、アルマークは心配そうにそのローブの袖を手に取った。
袖は、じっとりと重く濡れている。
「大丈夫かい、腕がずいぶん濡れてしまったみたいだけど」
「あ、見てたの」
ウェンディが決まり悪そうな顔をした。
「あ、いや」
アルマークは慌てて袖から手を離して否定しようとするが、すぐに諦めて頷く。
「うん、実は見てしまった。ちょっと気になって」
「大丈夫」
ウェンディは微笑む。
「ラドマール、うまくなってたよ。魔力の質もすごく良くなってた。きっとアルマークやみんなのおかげだね」
そう言ってから、付け加える。
「あ、もちろん一番はイルミス先生のおかげだけど」
「そうか」
アルマークは頭を掻いた。
ラドマールの魔力の質が良くなったことは、もちろん知っている。
毎日同じ実践場で練習しているのだから。
気になったのはそっちじゃないんだけどな。
そう思いながら、アルマークはウェンディの濡れた袖口をもう一度心配そうに見た。
「帰る前に魔法で乾かしたほうがいいよ。風邪を引いたらいけない」
「ありがとう」
ウェンディは頷いて、自分の袖を見る。
「大丈夫。ここは暖かいからすぐに乾くよ。さあ、続きをやりましょう」




