環
「瞑想が終わったら、僕の魔法を見せてやるからそれまでにアルマークとの練習を終わらせておけよ」
ウェンディにそう言い残してラドマールが去っていくと、アルマークはウェンディと向かい合った。
休日に二人で自習をしたとはいえ、こうして正式に向かい合って練習するのは、やはり何か特別な感じがする。
教室で普段から見ているはずの、そのきれいな睫毛も柔らかそうな髪も、この魔術実践場で見ると、なんだかいつもとは違う雰囲気があるように思えてくるから不思議だ。
「いつ君が来るのかと思っていた」
アルマークは言った。
「明日かな、明日かなって。何度も他の人に聞きそうになったよ」
その言葉にウェンディは照れたように笑う。
「ごめんなさい」
「でも、今考えれば、君がこの順番でよかった」
「どうして?」
ウェンディが首を傾げる。
「みんなにいろいろなことを教われたんだ」
アルマークは微笑んだ。
「君に、僕の成長したところを見せたい」
「うん」
ウェンディは頷く。
「私も、見せてほしい。アルマークとみんなの努力の成果」
それから、持ってきたたくさんの荷物を見回す。
「そのために、いろいろと用意してきたの」
「そうみたいだね」
アルマークは頷く。
「何からやろうか」
アルマークがウェンディの顔を見ると、ウェンディは微笑んだ。
「今日は、試験の徹底対策をしようと思って。出題範囲の魔法の予想問題を全部作ってきたの」
「全部」
アルマークは目を見開く。
「全部って全部かい」
「うん、全部」
ウェンディは頷く。
「そうか、全部か」
アルマークは微笑んだ。
「ありがとう、僕のために。準備、大変だっただろう」
「言ったでしょ」
ウェンディも微笑み返す。
「それが自分の勉強にもなるの」
「うん」
アルマークは頷く。
分かっている。
ウェンディは、あなたの力になりたい、と言うことはあっても、あなたの力になってあげた、とは決して言わない。
いつも、アルマークの力になりたいと願っていて、そして自分の成果に満足はしない。
ウェンディが表情を改めた。
「さあ、時間がもったいないよ。どんどんやろう」
「分かった」
アルマークが頷くと、ウェンディは荷物の中から金属製の輪をひと束、じゃらりと取り出す。
「まずは、浮遊の術からね」
ウェンディはそう言いながら、いくつもの輪をふわりと空中に浮かばせると、小ぶりの石をアルマークに手渡した。
「この石を浮かせて、全部の輪を一筆でくぐらせてね。石が輪にぶつかったらやり直しだよ」
「ぶつかったらやり直しか」
アルマークはウェンディの浮かべている輪を見た。
大きさは、石とそんなに変わらない。
「さっそく難しいな」
「習ったんでしょ」
ウェンディはアルマークを見る。
アルマークは頷いた。
「ああ、デグにね」
「それなら大丈夫」
「うん」
アルマークは石を浮かす。
「デグの名誉のためにも、きちんとやるよ」
そこから、ウェンディの準備した怒涛のような模擬試験が始まった。
浮遊させた石を輪に二度接触させてやり直したアルマークは、その後、稲光の術、湯沸かしの術、姿消しの術、風切りの術、模声の術と試験を想定した厳しい設問に次々に挑戦した。
それぞれの魔法の陰には、それを教えてくれたクラスメイトたちがいる。
アルマークは彼ら一人ひとりの顔を思い浮かべて、またその教えを思い出した。
レイドーの教えてくれた魔力の活性化のさせ方。
ピルマンの教えてくれた姿消しのコツ。
それから、ネルソンの教えてくれた、ぎゅっとした魔力を、ぐっとして、わっとして、
「どーん!」
アルマークの手から放たれた風が空中に浮かぶ石を割る。
アルマークは振り向きざまに、黒い布の陰から飛び出してきた次の石に風を放った。
「どーん!」
石が割れる音を聞きながら、アルマークは自分の周囲に張り巡らされた黒い布を見回す。
最後はどこから出てくる。
アルマークの斜め後方から音もなく飛び出してきた石目掛けて、アルマークは身を翻しざまに手を突き出した。
「どーん、あっ」
今のは少し、ずーん、が混ざった。
石は表面の破片を散らしながら床を転がっていく。
「惜しい」
ウェンディが声を上げる。
「あと一つだったね」
「いや、惜しくない。だめだ」
アルマークは顔をしかめた。
「最後、わっとするはずのところで一瞬ぶわっとなったんだ。そのせいでどーんに少しずーんが混ざってしまった」
「あなたにこれを教えたのはネルソンね」
ウェンディは苦笑いする。
「あなたが何を言っているのかはよく分からないけれど、自分で失敗の原因を分かっているのなら大丈夫だね」
そう言って、新たな石をふわりと五つ宙に浮かべて布の陰に隠す。
「さあ、アルマーク。もう一度だよ」
「うん」
アルマークはもう一度手の中に風を作る。
「まあ、僕に任せておけば大概のことはなんとかなるよ」
その言葉に、ウェンディが目を見張る。
「そっくり」
「そうかい?」
アルマークは頭を掻いた。
「うん」
ウェンディは頷く。
「モーゲンの声そのものだったよ」
「それならよかった」
自分の声に戻ったアルマークは微笑んだ。
「模声の術はガレインとフィッケが教えてくれたんだ」
「ガレインが、模声の術を」
ウェンディは一瞬意外そうな顔をしたが、すぐに、そうか、と言って微笑む。
「ガレインとフィッケはルームメイトだもんね」
「うん。だから、フィッケの声も出来るよ」
アルマークは笑顔で声にフィッケをイメージした魔力を被せる。
「ほら。俺の声、もうフィッケだろ?」
「本当だ」
ウェンディは笑顔で頷く。
「でも、声はそっくりだったけど、モーゲンの方はああいう言い方はしないかな」
「え?」
「きっとモーゲンなら」
ウェンディの声が、魔力をまとう。
「仕方ない、僕がやってみるよ。怖いけど」
「すごい」
アルマークは目を見開いた。
アルマークの声もモーゲンにそっくりだったが、ウェンディのそれはレベルが違った。
まるでモーゲンが目の前で喋っているようなその精度にアルマークは感嘆の息を漏らす。
「怖いけど、か」
アルマークは苦笑した。
「君の言いたいことは分かるよ」
そう言ってウェンディを見る。
「モーゲンは奥ゆかしい人間だからね。できることもできると言わないんだ」
「そうだね」
ウェンディは頷いて足元を見て、でも、と続けた。
「きっとモーゲンは自分がどこまでできるのか、なんてそんなに考えていないと思う」
「え?」
アルマークが眉を上げると、ウェンディは顔を上げて微笑んだ。
「だって、できなくたって、いざとなったらやる人だもの。モーゲンは」
いざとなったらやる人。
「そうだね」
アルマークは頷いた。
「君の言うとおりだ」
どんなに努力の裏付けがあっても、結果はそれとイコールではない。
訓練で素晴らしい剣さばきを見せていたのに、戦場でその力の何分の一も出せずに命を落としていった傭兵を、アルマークは何人も知っている。
モーゲンは努力家だ。
もちろんアルマークもそれは知っている。
だがそれ以上に、モーゲンは自分の努力をきちんと成果に変えることの出来る人間だ。
彼の努力と結果とを繋いでいる環は、きっと。
彼の持つ、勇気。
「でも、僕はね。ウェンディ」
アルマークは言った。
「モーゲンはあれくらいのことを堂々と言ってもいいと、常々思っているよ」




