ウェンディ
放課後になった。
隣の席のウェンディが笑顔でアルマークを見る。
「アルマーク、先に魔術実践場に行っててくれる? 私、倉庫から道具を持ってくるから」
「え、それなら僕も一緒に行くよ」
アルマークがそう答えて立ち上がりかけると、ウェンディは首を振る。
「いいの。アルマークは先に行って待ってて」
「でも」
「すぐに行くから」
ウェンディに笑顔で促され、アルマークは頷いた。
「分かった。先に行ってるよ」
「うん。じゃあ後でね」
手を振って教室から駆け出していくウェンディを見送ってから、アルマークも立ち上がる。
「今日は、ウェンディの日かい」
のんびりと歩いてきたレイドーにそう声をかけられ、アルマークは頷いた。
「うん、今日ウェンディ、明日ウォリスで、クラスのみんながちょうど一周するんだ」
「そうか。もうそんなにまわったんだね」
意外そうな顔のレイドーに、アルマークは微笑んで頷き、指を折りながら数えていく。
「うん。ネルソンから始まって、君、レイラ、バイヤー、ノリシュ、ピルマン、デグ、ガレイン、リルティ、トルク、セラハ、モーゲン、キュリメ。今日のウェンディで14人目だ」
「それは、みんなからずいぶん色々と教われただろうね」
「うん。本当に毎日色々と」
アルマークは頷いた。
「君の補習を受けたのが、もうだいぶ前のことみたいだよ」
「僕が何を教えたのか、まだ覚えているかい」
レイドーは爽やかに笑いながらアルマークの顔を覗き込む。
「も、もちろんだよ」
アルマークは慌てて頷く。
「湯沸かしの術を、木の実を使ってすごく分かりやすく教えてくれたじゃないか」
「覚えていてくれてよかった」
レイドーはアルマークの表情を見ていたずらっぽく笑った。
「次の僕の補習では、水の温度を下げるからね。僕も教え方を研究しておくよ」
「ありがとう。君も自分の勉強があるのに、すまないね」
「いいんだ。むしろ、勉強のいい気分転換になるよ」
レイドーは窓の外の早くも暗くなり始めた空を見た。
「もうすぐ冬の休暇だね。あと少し、頑張ろう」
「そうだね。ありがとう、レイドー」
アルマークはレイドーに手を振って別れを告げてから、駆け寄ってきたリルティと二人でネルソンとノリシュの言い合いの仲裁をし、トルクから皮肉を言われながらデグとガレインに手を振ると、隅の方でごそごそしているモーゲンとバイヤーの肩を叩いて、教室を出た。
「じゃあまた明日ね、アルマーク」
そう言って帰っていくセラハに笑顔で挨拶を返し、続いて出てきたキュリメにも手を振ると、無表情のレイラにも手を振って挨拶をする。
彼の顔をまじまじと見てから小さく頷いたレイラが帰っていくのとは反対の方向に歩き始めたところで、アルマークは背後から声をかけられた。
「アルマーク」
ウォリスだった。
「やあ、ウォリス」
アルマークが振り返ると、ウォリスはじろりとアルマークの姿を見た。
「一応、答えくらいは分かったようだな」
その言葉に、アルマークは眉をひそめる。
答え、というのがグリーレストのなぞかけのことだということはアルマークにも分かった。
だが、なぜウォリスがそのことを知っているのか。
「ウォリス。いったい君はどこまで知っているんだ」
「君も学院長あたりから、触りくらいは聞いたのか」
ウォリスは冷たい表情でそう言って、肩をすくめた。
「面倒だから、事前に言っておく。僕に何かを隠す必要はない。君たちが今、秘密だと思っている程度のことは、とっくに承知の上だ」
「君は、いったい」
アルマークの困惑した顔を見て、ウォリスは微笑んだ。
「明日は僕の補習だ。だが最後になると、もう順番がばれてしまうんだな。もう少し前にすればよかったか」
その表情は、もういつもの優等生のクラス委員のそれに戻っている。
「ネルソンに言われた時は、順番を隠して何が面白いのかと思ったが。みんなの話を聞いていると、なかなかどうして、悪くない趣向だったな」
そう言って、アルマークの肩を叩いて通り過ぎていく。
「また明日の補習で話そう、アルマーク」
その『アルマーク』の発音が、一瞬奇妙に歪んだように聞こえた。
アルマークが魔術実践場に足を踏み入れると、中にいたラドマールがぱっと顔を挙げ、今まで向けたことのないきらきらとした眼差しでアルマークを見た。
だが、アルマークが驚いて彼を見返すと、ラドマールは失望したようにすぐに顔を背けた。
「ラドマール」
アルマークはあからさまなラドマールの態度に思わず苦笑する。
「君、ウェンディが来たのかと思ったんだろう」
「ふん」
ラドマールはそっぽを向く。
「別に」
「僕で悪かったね。大丈夫、もうすぐ来るよ」
「別に、と言っているだろう」
ラドマールは不機嫌に言った。
「イルミス先生が来たのかと思っただけだ」
「そうか」
アルマークはそれ以上突っ込まずに実践場の中央でウェンディを待った。
ラドマールが壁際で瞑想を始めるが、やはりなんだかそわそわとして落ち着かないようで、ちっとも魔力が練れてこないのが分かる。
だがそれはアルマークにしても同じことで、いつもは先生役の生徒が来ない時は自分で勝手に他の魔法の練習をして待っていることもあるのだが、今日はウェンディがいつ来てもいいように扉から目を離さずにいた。
やがて、がちゃりと扉が開いて、顔を出したイルミスは二人の熱い視線を浴びて一瞬うろたえた顔をする。
「なんだ、二人とも」
「あ、いえ」
慌てて苦笑いとともに手を振るアルマークと、何事もなかったように目をつぶって瞑想に戻るラドマールを見て、イルミスは察したように頷いた。
「なるほど。私では期待はずれだったということか」
「いや、そういうわけでは」
アルマークの言葉に、イルミスはまじめな顔で答える。
「私もウェンディを見習って、生徒があんな表情で私を待ってくれるような教師に、いつかはなりたいものだな」
「いえ、先生。本当にそういうつもりでは」
アルマークは一生懸命取り繕うが、ラドマールは素知らぬ顔で目を閉じている。
そこに、ばたばたと足音が聞こえてきた。
「ごめんなさい、遅くなっちゃった」
そう言いながら扉を開けたウェンディは、アルマークを見てほっとした顔をし、すぐにラドマールに気付いて笑顔を見せる。
「あ、ラドマール。久しぶり。練習頑張ってるんだってね」
そう声をかけられ、ラドマールは赤い顔でうつむいた。
「別に。たいして頑張ってなどいない」
「そんなことないでしょ。いつもアルマークが褒めてるわよ」
笑顔のウェンディが両脇に抱えた荷物を、アルマークは駆け寄って受け取る。
「やっぱりこんなに道具があったんじゃないか。手伝うって言ったのに」
「こんなに増える予定じゃなかったの」
ウェンディは恥ずかしそうに言う。
「倉庫に行って、あれもこれもって考えてたら、こんなに増えちゃった」
荷物をアルマークに預けて身軽になったウェンディは改めてイルミスのもとに駆け寄り、頭を下げる。
「先生、今日は私がアルマークと練習します。お願いします」
「ウェンディ、私も今日は勉強させてもらうことにするよ」
イルミスに笑顔で言われ、ウェンディは目を丸くする。
「え?」
「生徒のやる気の引き出し方をな」
「それは、先生」
アルマークが困った顔で首を振る。
「ウェンディだからというわけでは」
「アルマークは、ウェンディが来るのをそわそわして待っていたんだ」
ラドマールが口を挟んだ。
「鼻の下を伸ばしてな」
「え?」
ウェンディがアルマークを振り返り、アルマークは慌てて手を振る。
「いや、鼻の下は伸ばしてないよ。もちろん楽しみにはしていたけど」
そう言ってラドマールを見た。
「君だって僕と同じで、ウェンディが来るのを楽しみにしていたじゃないか」
「な、ななな何を」
ラドマールが顔を真っ赤にして立ち上がる。
「断じてそんなことは」
ウェンディはそんな二人の様子を見て、くすりと笑った。
「二人とも楽しそう。今日は来てよかった」




