脱線
結局、その日もグリーレストの、「これは、また明日だのう」という声とともに終了を告げられ、アルマークは疲れた体を引きずって寮に帰った。
今日も、全く突破口は見つからなかった。
アルマークは自分の思いつく限りの魔法を試し、最後にはエルデインと戦って以来使うことのなかった竜の炎まで使おうとしたが、準備段階であっさりとグリーレストに潰されてしまった。
また明日、とグリーレストは言ったが、明日になって何か変わるとも思えない。
これは、僕の実力ではまだ超えることのできない壁なんじゃないか。
そんな気持ちが脳裏を掠める。
グリーレストが自分で呟いていたとおり、レイラに促されて分不相応の魔法を使ってみたために、本来まだそんな実力もないのに第二の試練を受けることになってしまったのか。
だが、アルマークはその弱気に長い時間浸ることはしなかった。
ま、その時はその時だ。
すぐに、そう気持ちを切り替えた。
補習で様々なクラスメイトの考えに触れるうちに、アルマークにも彼本来の傭兵育ちのしなやかな精神力が戻ってきていた。
初日のショックは大きかったが、今日はそこまででもない。
実際、他にやることがありすぎて、くよくよと悩んでいる余裕もなかった。
アルマークは眠い目をこすってその日やるべき勉強をこなし、それから気を失うようにして眠った。
翌日の昼休みのことだ。
わいわいと騒ぎながら、賑やかな一団が教室に入ってきた。
「おう、アルマーク」
やって来たのは、3組のコルエンとポロイス、キリーブのいつもの3人だった。
「やあ、コルエン」
アルマークが返事をすると、通りがかったネルソンがコルエンの肩を叩いた。
「よう、コルエン。最近よくうちの教室に来るな」
「面白いことがありゃ、どこにでも顔を出すぜ。俺は」
コルエンはそう答えてにやりと笑った。
「俺の性格は知ってるだろ、ネルソン」
「ああ、そうだったな」
ネルソンは笑顔で頷き、素知らぬ顔で彼の方を見ようともしないポロイスとキリーブを一瞥して去っていく。
コルエンはアルマークの机に歩いてくると、開口一番、「いねえんだよ」と言った。
「いない」
アルマークは目を見張る。
「何が?」
「例の、あれだ」
ポロイスが補足する。
「君が名前を付けた、ほら、例の」
「ああ。なぞかけ黒ローブ男」
「それだ」
ポロイスが頷き、コルエンが、くくっ、と笑う。
「ひでえ名前だ」
「ここ二日、やつの姿を見ない」
キリーブが身を乗り出した。
「せっかく答えが分かったというのに」
「ああ……」
アルマークは曖昧に頷く。
なぞかけ黒ローブ男ことグリーレストが他の生徒の前に姿を現さなくなった理由は分かる。
アルマークが「鍵」という答えを出してマルスの杖の所有者と認められたからだ。
だが、そのことを彼らに伝えるということは、マルスの杖のことも話さなければならないということだ。
それは、アルマークだけの問題ではない。ウェンディにも関わることだ。話すわけにはいかなかった。
「そういえば、そうだな」
アルマークは言った。
「僕も見てないな」
「そうだろ?」
コルエンが頷く。
「いろいろと、あいつを捕まえられそうな魔法を考えたんだけどな」
「たとえば?」
ここ二日、そのことで悩んでいたアルマークは、思わずその話題に食いついてしまう。
「たとえば、俺だけ姿消しの術で隠れていて、あいつが出てきた瞬間に組み伏せる」
「なるほど」
「それか、あいつの通りそうなところに事前に伏雷の術を大量に仕込んでおいて、そこに誘導して、動きを止めたところをぶん殴る」
伏雷の術は、トルクが補習で使ってみせた、地面や壁などに雷撃の力を隠しておいて、そこに相手が触れるとその力を発動させるという魔法だ。
コルエンの言葉を聞いて、アルマークは、彼が別に魔法で捕らえるということにこだわっていないことに気付く。
それはそうだ。
その条件を付けられたのは、アルマークだけなのだ。コルエンは、捕まえられさえすればいいと思っている。
だが、そこにアルマークは仄かな光が差すように感じた。
「面白いな」
アルマークが珍しく身を乗り出したので、コルエンも嬉しそうな顔をする。
「そうだろ。それからな」
「そんなことはどうでもいいんだ。僕の出した答えを聞け」
キリーブが強引に割って入った。
「ああ、キリーブ。何かいい答えが出たのかい」
「出たから、こうして来てやってるんだ」
キリーブは胸を張る。
「偉そうにもったいぶってんじゃねえよ」
コルエンがその背中を蹴った。
「早く言え」
「痛いな、くそ」
キリーブが顔を歪めてコルエンを睨む。
「覚えていろよ。いつか、今まで蹴られた分を全部まとめて返すからな。その時までに人生のやり残しのないようにしておけ」
「キリーブ」
ポロイスが顔をしかめる。
「また脱線している」
「ああ、そうだった。くそ。貴様は無駄に長い足をしているから人を蹴りたくなるんだ。半分に切れ」
「キリーブ」
「分かっている。くそ」
キリーブはそう毒づいた後、アルマークに向き直った。
「大事じゃないが、大事なもの。それは、試験前の恋だ」
「は?」
予想外の言葉にアルマークが目を丸くすると、コルエンが手を叩いて笑う。
「いいぞ、アルマーク。その顔、最高だ」
その隣で、ポロイスも口を手で押さえて肩を震わせている。
「何がおかしい」
キリーブは顔を赤くして二人を睨んだ。
「試験前のこの大事な時期に、誰かと恋に落ちたりしてみろ。勉強が手につかなくて大変なことになる」
「じゃあしなきゃいいだろう」
コルエンが言うと、キリーブは大げさにため息をついた。
「バカだな、貴様は。恋はするものじゃなくて、落ちてしまうものだ。自分でするかどうか決められるものじゃない、気付けば落ちているんだ」
「足元に気をつけて歩け」
コルエンはそう言って笑う。
「じゃあ、別に大事なものじゃねえんじゃねえのか」
コルエンの言葉に、キリーブは大きく首を振った。
「これだから、頭ではなくて身体で考える人種は。恋は、人生で最も尊いものだ。大事に決まっているだろう」
「何から何までお前の主観じゃねえか」
コルエンは実に楽しそうに言う。
「だけど、そういうの好きだぜ。キリーブ」
「好きとか嫌いじゃない。正解だ、これは」
「でも、一理あるね」
アルマークがそう言ったので、コルエンとポロイスは驚いたように彼を振り返った。
「そうだろう」
キリーブが、我が意を得たりとばかりに頷く。
「分かるか、僕の気持ちが」
「うん、なんとなく分かるよ」
アルマークは頷いた。
「大事なものが二つあって、どちらも捨てられなくて困ることってあると思う」
「実感がこもってるな、キリーブと違って」
ポロイスがそう言って、少し興味を惹かれたようにアルマークを見た。
「そういう時は、君ならどうするんだ」
「僕は欲張りだから」
アルマークは微笑んだ。
「僕だったら、二つとも手放さないよ」
「試験も恋もか」
キリーブが難しい顔で言い、コルエンが「それはお前の話だろ」と笑う。
「二つともか」
そういう問答が嫌いではないのだろう、ポロイスが笑いながら頷く。
「だが、こういう場合の設問は」
「そうそう」
コルエンも頷いた。
「どうしても一つしか手に入らないって設定なんだ。だとしたら、どうする」
そう言って楽しそうにアルマークを見る。
「それでも、二つとも取ろうとするのか。結局一つも手に入らないかもしれねえぞ」
「どうしても、という時は」
アルマークはコルエンを見て微笑んだ。
「僕の命を手放すよ。それで二つとも手に入れる」
その答えに、ポロイスが首を振る。
「むちゃくちゃな答えだな」
「だけど、アルマークらしくていい」
コルエンが嬉しそうに言った。
「だから、俺はお前が好きなんだ」
「おい、僕の答えはどうした」
キリーブが不機嫌に口を挟む。
「お前は恋にでも落ちてろよ」
コルエンが笑顔で答えた。
アルマークは三人としばらく話したが、結局ポロイスが、
「大事じゃないが大事なもの。あの男自身のことかもしれないな。試験前に生徒の心を惑わせる亡霊のようなものだ。それに彼も気付いて自ら姿を消したんだ」
と分かったような分からないような結論を付け、残念だが探すのはもうやめにする、と言って帰っていった。




