顔
その日の寮への帰り道、グリーレストが姿を現す気配はなかった。
もう鍵の所有者を確認することができたからだろうか。
背中に背負うマルスの杖も何の反応も示さない。
アルマークは安心して、キュリメと他愛のない話をしながら道を歩いた。
「補習に来ていないのも、これで残りはあと二人だね」
キュリメがそう言ってアルマークを見る。
「明日は、誰だと思う?」
「あと、残っているのはウェンディとウォリスだけなんだ」
アルマークは答える。
「そうすると、明日はやっぱりウェンディかな」
「正解」
キュリメは微笑んだ。
「どうして分かったの」
「ウォリスはクラス委員だから」
アルマークは言う。
「きっと、自分で最終日にするって言うと思ったんだ」
「それも正解」
キュリメは頷く。
「ウェンディ、すごく張り切ってたから期待しててね」
「うん」
アルマークは微笑む。
「そういえば、ウェンディにはいつもいろいろなことを教わってるけど、ウォリスにきちんと何かを教わるのって初めてかもしれない」
アルマークが言うと、キュリメは少し顔を曇らせた。
「私、ウォリスのことだけはよく分からないの」
「分からない?」
アルマークはキュリメを見る。
「確かに、僕も彼のことはよく分からないな」
「ええと、言い方が悪かったね。分からないっていうか……見えない」
「見えない」
アルマークは繰り返す。
「さっきイルミス先生も言っていた、君の洞察力でも見えないってことかい」
「うん」
キュリメは頷く。
「私、話していると、この人はどんな人だってことがだいたい分かるんだけど」
そう言って、誰もいない周囲にちらりと目を配る。
「ウォリスは、分からないの。見えたって思うときもあるんだけど、次に話したときにはまるで別の人みたいで」
「ああ……」
アルマークにも思い当たることはあった。
普段ウォリスが見せている、人当たりのいい頼れるクラス委員としての顔。
アルマークと二人で武術大会のやり直しをしたときのような、冷静な判断力を見せつつも、いたずら好きで自分の危険までも楽しむ優雅な王族のような顔。
それとは別に、時折垣間見せる、まるで歴戦の傭兵のような冷たい殺気を持つ顔。
さらに、武術大会で闇の魔術師相手に見せた、闇の力の使い手としての顔。
ウォリスには、いくつもの顔がある。
夏季休暇の始まる前日の夜、一人で学院を去っていったウォリスは、いったいどんな顔をしていたのだろう。
「僕も、そう思うことがあるよ」
アルマークが言うと、キュリメはアルマークの顔を見て頷いた。
「うん」
「あっ」
アルマークはその仕草の意味に気付いて顔を赤らめる。
「また、僕が知ったかぶりをしたと思ったね」
「ごめんなさい」
キュリメは手で口を覆って首を振る。
「自分でも無意識にやってしまうの。悪く思わないで」
「悪くなんて思うわけないさ」
アルマークは微笑む。
「僕も、知ったかぶりはあまりしないように注意するよ」
「ありがとう」
そう言ったあとで、キュリメはアルマークの顔をもう一度見た。
「でも、アルマークは今まで私が見たことのないタイプの人だわ」
「僕だけ、北の人間だからね」
アルマークが快活に答えると、キュリメは目を伏せた。
「うん……そうなのかな」
「そうだと思うよ」
アルマークはそう言って、それから大きく息を吐いた。
白い息が、アルマークの後方に流れていく。
「明日は、ウェンディか」
そう言ってから、アルマークはキュリメを見た。
「僕がどれくらい明日が楽しみか、分かるかな」
「ええ」
キュリメは微笑む。
「分かるわ。あなたが、ウェンディのことをどれだけ大切に思っているのか、よく見える」
「それならよかった」
アルマークは頷く。
「みんなのおかげで魔法がうまくなったところを、ウェンディに見てもらいたいんだ」
アルマークはウェンディの姿を想像して微笑んだ。
「僕のことを、まるで自分のことみたいに喜んでくれるんだ。早く見せたい」
その表情を見て、キュリメは、ふふ、と笑った。
「本当に、アルマークは面白いね」
「そうかな」
「うん」
キュリメは頷くと、改めてアルマークを見た。
「あなたの魔力は、人よりも大きいから、強く、速く、大きく、はもうできているのよ。後は」
「後は」
アルマークは眉を上げる。
「弱く、ゆっくりと、小さく」
キュリメは言った。
「それはつまり、一言で言うと」
「丁寧に、ってことだね」
アルマークの言葉にキュリメは頷いた。
「ええ」
キュリメはアルマークを見て、微笑む。
「あなたならできるわ」
「ありがとう、キュリメ」
アルマークは言った。
「君に言ってもらうと、自信になる」
その言葉に、キュリメは笑う。
「誰の言葉がなくても、あなたはやるわ。あなたは、きっとそういう人だもの」
乱暴に地面に転がされたアルマークの上に、呆れたようなグリーレストの声が降ってきた。
「弱い、遅い、小さい」
言いながら、黒衣の魔術師はゆっくりとローブを翻す。
「なんとも中途半端な魔法よ」
寮で夕食を済ませてから、アルマークは再度校舎への道に舞い戻った。
マルスの杖を掲げると、待っていたかのように姿を現したグリーレストが、杖の先端に触れた。
「さて、始めるとするか」
質量を取り戻した身体で、グリーレストは言った。
グリーレストの足音に反応して瞬時に立ち上がったアルマークの振るったマルスの杖から、石をも切り刻む斬撃の風が飛ぶ。
風切りの術。
だが、その魔法はグリーレストのローブにすら届かなかった。
「身体の動きは大いに結構」
造作もなくアルマークの魔法を打ち消したグリーレストが振り向く。
「だが、魔法はまるで児戯」
そんなはずはない。
アルマークは足を止めずにグリーレストの側面に回り込む。
魔力は大きい、とキュリメが言ってくれた。その点はイルミス先生だって認めてくれた。
それなのに、その全力の魔法を、弱いと言われた。小さいと言われた。
「おかしいのう」
グリーレストは呑気に顎に手を当てる。
「出てくる時期を間違えたのか? あの変化の術は、汝がかけたのではないのか」
それに答えず、アルマークは立て続けに気弾の術を放つ。
舞い上がる土でグリーレストの目をくらませておいて、頭上から光の網を覆いかぶせた。
「それにしては、物足りぬのう」
腕のひと振りで、光の網をちゃちな蜘蛛の巣のように振り払うと、グリーレストは言った。
「まあ、とにかく出てきてしまったものは仕方ない」
背後に回り込んだアルマークの足元から地面が消失する。
空中で足をばたつかせたアルマークは、気付いたときには近くの木の幹に叩きつけられていた。
「しかと己の役割を果たさせてもらうまでよ」
グリーレストはそう言うと、痛がるそぶりも見せずに立ち上がったアルマークの姿に目を細める。
「さあ、まだまだ夜は長いぞ。存分に示せ、汝の力を」
グリーレストが両腕を広げた。
アルマークは杖を構えて、また走り出す。




