本質
本を押し付けあって笑っている二人のところに、イルミスが歩み寄ってきた。
「今日はもう終わりかね?」
「あ、先生」
キュリメが表情を改める。
ちょうどイルミスの背後で、帰り支度を終えたラドマールが出ていくところだった。
「はい。今日はこれで終わります」
「そうか」
イルミスは頷いてキュリメを見た。
「だいぶ、表情が明るくなった」
「え、あ、はい」
キュリメは恥ずかしそうにうつむく。
「みんなが、私の、その」
「魔術祭からだろう」
「はい」
キュリメは赤い顔で頷いた。
「あれから、すごく心が楽になりました」
そう言ってから、もの問いたげな顔のアルマークを見る。
「アルマーク、あのね。私、みんなとなるべく距離を取ろうとしていて」
「距離を」
「うん」
キュリメは頷く。
「その、話していると見えてしまうものがあるっていうか」
「前に少し話したことがあるかもしれないが」
イルミスが穏やかに口を挟む。
「キュリメには、物事の本質を見抜く力がある」
「それって」
アルマークは目を見張る。
「星読みってことですか」
アルマークの脳裏を、学院長や、月影通りで出会った老人の姿がよぎる。
「いや」
イルミスは首を振った。
「星読みとはまた違う。キュリメの場合は、生まれつき備わった天性の洞察力のようなものだろうな」
「先生はそう言って、認めてくださるんだけど」
キュリメは小さな声で言った。
「私は、自分のそういうところが嫌で。人と少し話すと、その人がどういう人か大体分かるし、言葉の裏も読めちゃうし、でもそれを伝えたらものすごく嫌がられたり嫌われたりするし」
そう言って、辛そうな顔をする。
「だから、人と話すのが苦痛になって、でも、そういう風に考える自分も嫌で」
「なるほど」
アルマークは頷く。
「分かるよ」
その言葉に、キュリメは微笑む。
「だから、あなたが今、本当は分かっていないことも分かる」
「すごいな」
アルマークはきまり悪そうに頭を掻いた。
「ごめん。僕には少し難しいな。僕も、いい人と悪い人の区別くらいは何となくつくけど」
「君のは野性の勘に近いな」
イルミスがそう言って、低く笑う。
「私、本を読むのが楽なの」
キュリメは言った。
「人と接すると、入ってくる情報が多すぎて、いろいろと考えすぎて疲れちゃうし、自分が嫌にもなるんだけど、本なら、文字とゆっくり向き合えるでしょ」
「そういうものか」
アルマークは頷く。
「それではもったいないと、私も思ってはいたのだがな」
イルミスはそう言って苦笑した。
「契機は、魔術祭の劇かね」
「はい」
キュリメは頷いて、アルマークを見る。
「私が台本を書くことになった日のこと、覚えてる?」
「ああ、もちろん」
アルマークは頷く。
みんなが好き勝手に自分たちのやりたい劇の話をしていたが、最後にトルクが、台本は誰が書くんだと言ったところで教室が静まり返った。
「あの時、みんなの話すことを聞いていたら、自分の中で急に物語が広がったの」
キュリメは恥ずかしそうにそう言って、小さく腕を広げた。
「ばあっ、て頭の中で。私の目に映るみんなが、それぞれの本質を持ったままで」
「そこをウォリスに見抜かれたんだね」
「うん」
キュリメは頷いた。
「指名された時は驚いたし、恥ずかしかった。でも頭に浮かんだ物語がすごく素敵なものに思えて、書きたいっていう衝動に負けちゃった」
「いや、負けたんじゃないよ」
アルマークは首を振る。
「勝ったんだよ、書きたいっていう君の意思が」
「ありがとう」
キュリメは小さく笑う。
「それでも、自分が見えているものをどこまで表現したらいいんだろうってしばらく悩んでいたの。そんなものを突きつけられたら、みんな嫌な気分になるかもって。そうしたら、ウォリスに言われたの」
キュリメはアルマークを見た。
「やるからには全力を尽くせ。自分の能力を出し惜しみして生きていけるほど、世の中が甘いとは思わないことだって」
「厳しいな」
アルマークが腕を組むと、キュリメは笑顔で頷く。
「うん、厳しいよね。でも、それで吹っ切れたの。そこまで言うなら、全部書いてやろうって」
「ウォリスの言葉は、厳しいが本質を突いてもいる」
イルミスが言った。
「本来であれば、教師である私が言うべき言葉だったのかもしれないが」
「いえ」
キュリメはイルミスを見た。
「きっと、先生にそう言われたら、萎縮しただけだったと思います。クラスメイトに言われたから、私もやってやろうと思えたんです」
「それでできたのが、あの台本なんだね」
「うん」
キュリメは頷く。
「みんなに見せる日はすごく不安だった。ウォリスは、大丈夫だって言ってくれたけど、それでも、みんな怒るんじゃないかって。でも、みんなすごく喜んで、自分の役を受け入れてくれたでしょう」
「うん」
アルマークは頷いた。
台本を初めて読んだ時の胸の高鳴りを、アルマークはまだ鮮明に覚えていた。
「だって、すごくわくわくしたよ。台本を読んだだけで、自分が演じる物語が、僕の目の前にもみんなの演技付きで見えた」
「ありがとう」
キュリメは微笑む。
「それから、練習、本番ってどんどん役を深くしていくみんなを見ていたらね」
その声が不意にかすれた。
アルマークはキュリメを見る。
キュリメの目から、ぽろりと涙がこぼれた。
「自分が恥ずかしくて。私、人って自分の本質を他人に指摘されることを受け入れられないものだと思っていた」
涙を拭こうともせず、キュリメは言った。
「でも、みんな、それを受け入れるだけじゃなくて、私に見えていたところなんかよりも、もっとずっと先まで行っちゃった。すごいと思った。観客席で、私、感想を書きながらずっと震えていたの」
「震えて?」
アルマークは眉を上げる。
「どうして?」
「クラスのみんなから、私だけ置いていかれている気がして。練習であんなにぶつかっていたネルソンとノリシュが。人と交わらなかったレイラが。一番無理をさせてしまったセラハが。ずっとつまらなそうにやっていたはずのトルクが。それに、あなたとウェンディ」
キュリメは絞り出すように言った。
「すごかった」
アルマークは何と言っていいのか分からず、キュリメの涙を見つめる。
「それで分かったの」
キュリメは言った。
「本質を受け入れられないのは、『人』なんて大きな主語じゃなくて、『私』だったんだって」
「それで、君も変わったわけか」
イルミスは穏やかに言った。
「自分が見えるものを、恐れなくなった」
「そう言うと、なんだかかっこよく聞こえますけど」
キュリメはそこで初めて手の甲で涙を拭い、恥ずかしそうに笑った。
「みんなと、きちんと向き合おうと思いました。今、変わろうともがいているところです」
「もがくことを恐れてはいけない」
イルミスは言った。
「不格好に見えるかもしれないが、その動きの中に新たな真実が含まれている」
「はい」
キュリメは頷いた。
「君も答えが見えたようだな」
帰り際、イルミスにそう声をかけられ、アルマークは頷いた。
「はい、なぞかけの答えは、どうにか分かりました」
それから、イルミスを見る。
「先生は、僕から聞いてすぐに答えが分かったんですか」
イルミスは肩をすくめ、それには答えなかった。
「謎を解いて終わり、とはいかなかっただろう」
「はい」
アルマークが頷くと、イルミスは笑いを含んだ目でアルマークを見た。
「それも含め、試験だと思って臨むことだ」
そして、先程の言葉をもう一度繰り返した。
「もがくことを恐れてはいけない」
「はい」
アルマークは頷いた。




