悩み
悔しさで、夜眠れない、という経験がアルマークにはあまりない。
生来の性格もあるだろうが、傭兵育ちであるということもその理由の一つだろう。
自分の働きと戦の勝敗は必ずしも一致しない。
その日、自分の命が保てれば、それが自分の勝利のようなものだ。
だから、悔しさなど感じる必要もない。その日の自分の働きに納得がいかなかったとしても、すぐに切り替えなければ翌日の戦で命を落とす。
だが、その日アルマークは眠れないほど悩んだ。
グリーレストを捕らえる。
ただ単にそういう話であったなら、アルマークもそう悩むこともなかったかもしれない。
不屈の闘志で相棒の長剣を構えてグリーレストを追いかけていったかもしれない。
だが、グリーレストは一つ条件を付けた。
魔法を使って捕らえること。
そう言われた途端、アルマークの選択肢は一気に狭まる。
手持ちの魔法をどうやってぶつけていくのか。
今までの学院生活や、イルミスやクラスメイトたちとの補習を通してアルマークの魔法は格段に上達した。
だが、今日見た限りではアルマークの魔法はどれもグリーレストに通じなかったではないか。
全力で振り抜いたマルスの杖から発せられた気弾の術を、ろくに見もしないで打ち消されたのだ。
明日、また挑戦したとして、グリーレストを捕らえられる気がまるでしない。
気分を変えようとベッドから這い出して机で勉強を始めてみたが、なかなかそちらにも集中はできなかった。
翌朝。
寮から出てきたウェンディは、大扉の脇に立つアルマークを見て顔を綻ばせた。
「あ、アルマーク。おはよう」
「おはよう、ウェンディ」
アルマークは笑顔で手を挙げる。
「誰か待ってるの?」
ウェンディの質問に、アルマークは頷いた。
「君を待ってたんだ」
「私?」
「うん。一緒に歩こう」
アルマークはウェンディと並んで歩き始める。
その横顔を見て、ウェンディが、ふふ、と楽しそうに笑った。
「アルマーク、楽しそうだね」
「楽しそう?」
アルマークは驚いてウェンディの顔を見る。
「そう見えるかい」
「うん」
ウェンディは頷く。
「充実してるでしょ、今」
「充実、か」
アルマークは腕を組んだ。
「毎日、やることには困らないけど。そうとも言えるのかな」
「考えることもいっぱいでしょ」
「うん」
「でも、それが机の勉強じゃなくて実践だから、頭がぐるぐる回ってるの」
ウェンディはそう言って、指をくるくる回す。
「当たってるでしょ」
そう言われると、確かに昨日の夜から頭の中ではずっとそのことを考え続けている。
それは、何か他のことをやっているときでもそうだ。頭の片隅ではいつもグリーレストを捕まえる方法を考えていた。
「アルマークの顔に出てるもの」
ウェンディの笑顔につられて、アルマークも照れ笑いを浮かべる。
「そうかな」
「うん。楽しそうでよかった」
自分のことのように嬉しそうに言った後で、ウェンディはアルマークの顔を覗き込んだ。
「それで、今日はどうしたの」
ウェンディの真っ直ぐな目が、アルマークの目を見つめる。
「何か、私に話すことがあるんでしょ」
「うん」
アルマークは素直に頷いた。
「謎の答えが分かったんだ」
「謎ってあの黒ローブの男の人の?」
「うん。答えは、鍵だった」
鍵、と聞いてウェンディの表情がこわばる。
「鍵」
「うん。鍵だ」
言いながらアルマークは、背負っていたマルスの杖を右手に持つ。それをウェンディは怪訝そうに眺めた。
「鍵が、大事じゃないけど大事なものなの?」
「うん。ええと、何から話せばいいかな」
「ゆっくり歩こう」
アルマークの長い話が始まることを察したウェンディが、そう提案した。
「すぐ校舎に着いちゃうから」
「ありがとう」
アルマークは歩く速度を落として、身振り手振りを交えてウェンディに説明を始めた。
モーゲンとの補習。
彼のお菓子袋から謎の答えを連想したこと。
男が最初に姿を現したのが、レイラと補習をした日だったこと。
レイラの補習でマルスの杖を龍に変化させたこと。
ともすれば、ラドマールを怒らせたことやキリーブのぼやきが止まらないことなどの枝葉末節にそれそうになるアルマークの話を、ウェンディがうまく誘導してくれたおかげで、校舎が見えてくる頃には、アルマークは首尾よく、昨日グリーレストに全く敵わなかったところまで話し終えることができた。
「ということなんだ」
「ふうん」
ウェンディは不思議そうに、マルスの杖を見た。
「あの男の人は、その杖の番人だったんだね」
「そういうことらしいんだ」
アルマークは頷く。
「僕は、あの人は学院長先生の話していた、善の魔術師の一人なんじゃないかと思う」
「善の魔術師、か」
ウェンディは小さく頷く。
「やっぱり」
「やっぱり?」
アルマークが聞き咎めると、ウェンディは微笑んだ。
「ほら。私、言ったでしょ。あの人はアルマークに害を及ぼす人じゃない気がするって」
「ああ」
アルマークは頷く。
コルエンたちと一緒にグリーレストと遭遇した後、ウェンディは確かにそう言っていた。
「言ってたね。でも、どうして分かったんだい」
「答えを聞いた後だから、理由は色々とこじつけられるけど」
ウェンディは困ったように言った。
「正直に言うとね。何となく」
「何となく?」
「うん。そんな気がしたの」
ウェンディはマルスの杖にそっと触れると、アルマークを見た。
「でも、合ってたでしょ?」
「そうだね」
アルマークは笑顔で認めた。
「合っていたよ。ウェンディの言うことはいつも正しい」
「いつもじゃないけど」
ウェンディは照れたように首を振る。
「じゃあ、アルマークがずっと考えてるのってそのことなの?」
「うん」
アルマークは頷いた。
「あの人を捕まえるいい方法が全然思い浮かばないんだ」
「そう……」
ウェンディはアルマークの顔を見て眉を寄せる。
「でも、その試練もきっと何か方法があると思うの」
「あるかな」
「あるよ、絶対」
ウェンディは声を励ました。
「だって、アルマークはマルスの杖の所有者と認められたんだもの。それに闇の罠だって何度も乗り越えてきたじゃない」
「うん」
「魔術祭の劇だって、練習では苦労したけど、本番では大成功だった」
「そうだね」
「だったら、これだって乗り越えられない試練じゃないはずだよ」
「そうかもしれないな」
アルマークは頷いた。
その言葉には、何の根拠もない。
けれど、ウェンディに言われると、本当にそんな気がしてくるから不思議だ。
「ありがとう、ウェンディ」
アルマークが言うと、ウェンディは照れたように微笑んで、
「私もその人を捕まえる方法、考えてみるね」
と言った。
だが、結局いい方法も思いつかないままで放課後になり、アルマークは難しい顔で魔術実践場に足を踏み入れた。
「悩んでるね、アルマーク」
笑いを含んだ声。
「やあ、キュリメ」
アルマークは微笑む。
「分かるかい」
「普段のあなたは、分かりやすいの。すぐに顔に出るから」
キュリメは言った。
「今日は、そんなあなたにちょうどいいかもしれない」




