試練
アルマークがマルスの杖を振るう。
強烈な風が巻き起こって、グリーレストの漆黒のローブが激しくはためいた。
足を踏ん張ったグリーレストの身体を、光り輝く網が包み込む。
「捕らえた」
アルマークが杖を引き、網を絞り上げる。
と見えた瞬間、網はちぎれるように霧散した。
「粗い」
グリーレストは言った。
「ほれ」
グリーレストの指が光った途端、アルマークは上下の感覚を失う。
「うわっ」
突然空中に放り出されたような錯覚に陥り、気付くと地面に転がっていた。
「くそっ」
アルマークは地面を叩く。
グリーレストの告げた第二の試練の内容は、簡潔明瞭だった。
「我を汝の魔法で捕らえてみせよ」
「捕らえる」
アルマークは目を見張る。
それは奇しくもコルエンがグリーレストを相手に盛んに試していたことだった。
「汝との繋がりを復旧した今なら、我の身体にはいかなる魔法も通用する」
グリーレストはそう言って両手を広げた。
「汝の力を存分に試すがいい」
「どんな魔法でもいいんですか」
アルマークが確かめるように聞くと、グリーレストは頷く。
「どんな魔法でも。それ、この間、どこぞのはねっかえりが我にかけようとしたような魔法でもだ」
グリーレストの言うはねっかえりというのが、コルエンのことを指しているのだとアルマークもすぐに気付く。
ということは、やはりコルエンが魔法で捕まえようとした時は、グリーレストの身体は別の魔法に守られていたということか。
「魔法で、あなたを捕まえればいいんですね」
アルマークの問いに、グリーレストは鷹揚に頷く。
「左様」
そして、マルスの杖を構えるアルマークを、笑いを含んだ目で見た。
「無論、多少の抵抗はさせてもらうがの」
「まさか、もう終わりではあるまい」
倒れたままのアルマークに、グリーレストが拍子抜けしたように言葉をかける。
グリーレストが近付いてくる、その瞬間をアルマークは待っていた。
ツタくくりの術。
グリーレストの足元から草が一斉に伸びる。
「ほ」
グリーレストが撫でるように手を触れると、草は力を失ってぐにゃりとくず折れる。
「冬には」
グリーレストは楽しそうに言った。
「その術は、ちとそぐわぬ。草に力がないからの」
次の瞬間、アルマークの身体に硬いものが巻き付いてきた。
木の枝が、まるで意思を持つもののように伸びてきたのだ。
「冬ならこちらよの。葉がない分、魔力がよく通る」
枝くくりの術。
草よりもはるかに硬い木の枝を自在に操る魔法は、アルマークはまだ習っていない。
「ぐっ」
力を込めて逃れようとするが、枝はがっちりとアルマークを捕らえて離さない。
多少の抵抗、と言ったじゃないか。
これが、この人の多少か。
「これでは立場が逆かな」
そう言いながらグリーレストは、動けずもがくアルマークに歩み寄る。
「逃げられぬか」
その瞬間、アルマークの魔力がマルスの杖を通してほとばしった。
火炎の術。
杖から噴き出した炎を、グリーレストは腕を広げて一瞬で抑え込んだ。
「気をつけい。火事になるわ」
グリーレストは笑う。
アルマークは答えず、もう一度魔力を込めた。
電光がひらめく。
稲光の術。
さすがにグリーレストもそれをこの至近距離で防ぐことはできなかった。
ばちっという鈍い音とともにグリーレストの身体が揺れた。
一瞬、アルマークを締め付ける枝の力が緩む。
今だ。
アルマークは全身の力を込めて枝の圧迫から抜け出した。
「ふむ」
まるでダメージを感じさせない口調で、グリーレストは頷く。
「此度の所有者は、身体が強い」
その言葉に構わず、アルマークは杖を振るった。
気弾の術。
グリーレストの足元の地面がえぐれ、土が舞い上がる。
「む」
グリーレストが腕を上げて土を払う、その隙にアルマークは走った。
悪い足場をものともせず、茂みを飛び越え、風のようにグリーレストの側面に回り込む。
「ほうほう」
グリーレストが、慌てる素振りもなく、目だけでアルマークを追う。
「速いのう」
アルマークは魔力を込めた杖を思い切り突き出した。
全力の、気弾の術。
だがグリーレストがそちらを見もせずに同時に突き出した手から放たれた魔力が、空気の巨大な圧力を打ち消した。
「捕まえる、の意味が分かっておるのか」
グリーレストは笑う。
「こちらを殺す気か」
アルマークは答えずにさらに走る。
足は止めない。
相手は伝説の魔術師の分身だ。
捕まえるのは、全力でこちらの魔法をぶつけて動けなくさせてからでいい。
アルマークの手の中で炎が渦を巻いた。
「やはり、分かっておらぬようだな」
グリーレストの手が光った。
アルマークの目の前に、突如轟音とともに岩の壁が現れた。
思わず足を止める。
その瞬間、再び背後から木の枝が巻き付いてきた。
とっさに身体をよじるが、枝の動きは速いだけでなく、アルマークの動きを読んだかのように巧妙だった。
「くそっ」
アルマークはうめいた。
身体が、枝に絡め取られる。
岩の壁が音もなく消え、口元を歪めたグリーレストがゆっくりと歩み寄ってきた。
「さて、これならどうかな」
グリーレストがそう言って、探るようにアルマークの持つマルスの杖を見た。
今度は先程と違い、腕までしっかりと二本の枝に挟まれている。マルスの杖をグリーレストに向けることもできない。
「これは、もうしばらくかかりそうだの」
そう言ってグリーレストが伸ばした手が、マルスの杖に触れた。
手と杖の両方が淡い光を放つ。
次の瞬間、グリーレストの身体が質量を失ったようにその存在感を薄めた。
「繋がりを切った」
グリーレストは言った。
「今日はここまでじゃ。また明日、来るがいい。我はまたこの辺をぶらついておるでの」
その姿が消えていく。
「いや、待ってください。僕はまだ」
アルマークが思わずそう言いかけると、グリーレストは首を振った。
「案ずるな。まあ、そう悪くはない」
ほとんど消えかけたグリーレストはそう言って、口元を歪めて笑った。
「さして良くもないがの」
気付くとアルマークを締めつけていたはずの木の枝は元に戻り、アルマークは身体の自由を取り戻していた。
アルマークは腕をさすりながら、グリーレストの消えてしまった辺りを見つめた。
逃げられた……わけではない。
その逆だ。
今日は諦められた。
試練に合格することができなかったのだ。
グリーレストは、また明日、と言った。
まだチャンスをくれるということなのだろう。
だが、いつまで付き合ってくれるつもりなのかは分からない。
「……本当にやれるのか」
アルマークは呟く。
圧倒的な魔法の技量の差。
今の自分にはまだとても彼を捕まえられる気はしなかった。




