北と南と
モーゲンが石を手に持った。
「じゃあ、投げるよ。アルマーク」
「ああ、いいよ」
アルマークは手を挙げて答えた。
「強めでいいからね」
「本当かい」
モーゲンは目を細めてアルマークを見ると、大きく振りかぶった。
「ふんっ」
アルマーク目掛けて投げられた石を、アルマークの作った光の網が捕らえた。
と見えた瞬間、その粗い網目をすり抜けてそのまま石がアルマークの顔面に飛んだ。
「あっ」
モーゲンが慌てた声を上げるが、アルマークは首をひねってそれを難なくかわす。
石が大きな音を立てて床に転がった。
「網目が粗くてすり抜けたよ」
アルマークは表情も変えずに、ほっとした顔のモーゲンに言う。
床から石を拾い上げると、アルマークは首を振った。
「これじゃダメだ。もっと網目を細かくしないと」
「そうだね」
モーゲンは頷く。
「その網で捕まえられるのは牛とか馬だね」
「どうしたら網目が細かくなるんだい」
「イメージさ」
モーゲンは指でこめかみを叩く。
「小さいものを掬うんだっていう具体的なイメージだよ」
「小さいものか」
言いながら、アルマークは石をふわりと放物線を描くようにモーゲンに投げた。
モーゲンが手を振ると、石はまたも光の網に絡め取られる。
「僕の場合は、カリヤドシイの実を掬うイメージをしているよ」
モーゲンはそう言って石を床に置くと、両手を広げた。
「一抱えにしてどかっと投げられたカリヤドシイの実をね、もったいないから一つ残らずこぼさずに掬うんだ」
カリヤドシイの木は、秋になると小指の先くらいの小さな実をたくさん付ける。
焼いたり茹でたり、いろいろな食べ方のできるおいしい木の実だ。
「なるほど」
アルマークは頷く。
「君らしいね」
飛んでくるものを見て、それに合わせた網目を作っていたら間に合わない。
自分の中で前もってしっかりとしたイメージを固めておくのがいいのだろう。網目の大きい時はこれを、細かい時はこれを掬い上げるイメージで作る、というように。
「いろいろな物で、イメージしてみるよ。どんどん石を投げてくれ」
「分かった」
モーゲンが石を両手に持つ。
「ほんとにどんどん行くよ」
「いいね」
アルマークは微笑む。
「僕は頭よりも身体で考えたほうがうまくいくことが多いんだ。実戦みたいな速さで頼むよ」
「いや、君と実戦なんて怖くてできないけど」
モーゲンは苦笑いして首を振る。
「でも君が実戦で求める速さなら、僕も知ってるよ」
「ありがとう」
アルマークは軽く膝を曲げて腰を落とす。
「モーゲン、いつでも」
「反撃してこないでよ」
アルマークの姿勢を見て、モーゲンは真剣な顔で言う。
「でも、やっぱりアルマークはかっこいいな」
そう言うと、モーゲンは石を振りかぶった。
モーゲンが石を投げるたびに、アルマークの光の網がそれを捕らえる。
だが、網目の大きさは毎回まちまちだ。
何度も石は網をすり抜け、アルマークは時にはそれを手で受け止め、時には首をひねってかわした。
「モーゲン、次は」
アルマークは言いかけて、モーゲンが両手を挙げているのに気づく。
いつの間にか、モーゲンが持ってきた石は全てアルマークの足元に転がっていた。
「ずいぶん投げてもらったね」
アルマークは言った。
「疲れたかい、モーゲン」
「疲れてないと言ったら嘘になるけどね」
モーゲンは言いながら、アルマークに歩み寄る。
「場所を代えよう。今度はこっちから石を投げるから、僕のいたところに行って」
「分かった」
頷いて、アルマークはモーゲンの額に浮かぶ大粒の汗に目をやる。
「少し休憩するかい」
「ううん、大丈夫だよ」
モーゲンは首を振った。
「何か掴めそうなんでしょ。君の表情で分かる」
そう言って、アルマークに微笑む。
「続けよう」
「君は本当に目がいいな」
アルマークは素直に称賛の言葉を口にした。
「それじゃあお言葉に甘えて」
アルマークは、さっきまでモーゲンのいた場所に立つ。
モーゲンは足元の石を一箇所にまとめると、再び両手に石を持った。
「さあ、どんどん行くよ」
「うん」
アルマークは腰を落とす。
「いいよ。投げてくれ」
モーゲンの投げる石を光の網で捕らえる練習が再び始まった。
モーゲンはアルマーク目掛けて遠慮なく石を投げつける。
どんなに強く投げたところで、アルマークを傷つけることはないとモーゲンには分かっていた。
網で捕らえるのを失敗したとしても、アルマークは石を苦もなくよけるか、そうでなければろくに見もせずに手で受け止めた。
アルマークの中で何かを掬うイメージが固まってきているようで、石が網をすり抜ける回数が明らかに減ってきている。
モーゲンにも、アルマークが何か自分のイメージの核となるものを掴みかけているのだと分かった。
だがおそらくそれは、たとえばモーゲンがイメージで使う両手いっぱいの小さな木の実のような、そういった楽しいものとはかけ離れているのだろう。
それは、その目の険しさで分かる。
決して表情自体が険しいわけではない。
だが、モーゲンが石を投げた瞬間、光の網を作り出す時のアルマークの目の奥に、一瞬険しさが宿るのだ。
モーゲンはまた一つ石を投げる。
アルマークが光の網でそれを受け止める。
その目から、またちらりと覗く。
北のアルマーク。
アルマークの背後にある、厳しい北の世界についてモーゲンは何も知らない。
自分は北の傭兵の息子だと、それは確かにアルマークの口から聞いた。
けれど、それがどういう意味を持つのか、モーゲンにも本当の意味では分かってはいなかった。
北の傭兵。
その言葉は、南では、野蛮な人殺し集団と同義だ。
野盗や山賊と何が違うのか。はっきりと答えられる南の人間はそんなにいないだろう。
中原を越えたはるか北の果て、貧しい地方でずっと殺し合いをしている人々のことに、南の人たちは別に興味などないのだ。ただ、漠然とした恐怖感と忌避感、嫌悪感があるだけだ。
その感覚は、南の庶民であるモーゲンにだってもちろんある。
だが、モーゲンの中でその感覚とアルマークは結びつかない。
夏の休暇で出遭った、本物の北の傭兵たち。
彼らのまとう雰囲気は、南の人とはまるで違った。
人を殺し慣れた屈強な大人たち。
確かにアルマークも彼らを斬った。
けれど、彼らとアルマークが同じ人種であるとは、モーゲンには思えなかった。
だから、モーゲンはこう思うようにしている。
北でも南でもない。
アルマークは、アルマークだと。
そう思うだけで、難しいことを考えるのはやめた。
細かいことを気にしない、大雑把なモーゲンの性格。
そのせいで今までにいろいろと失敗もしてきた。
でも、アルマークを余計な先入観なしで見ることができた。
そこはモーゲンも自分の性格に感謝していた。
モーゲンの目から見たアルマークは、強くて優しい、少しお人好しでどこかずれたところもある少年だ。
どこにでもいる少年、とはとても言えないけれど、北の傭兵の息子、と聞いて南の人たちが抱くであろうイメージとはまるで違うのは確かだ。
ただ、そんなモーゲンでさえ、時々アルマークが見せる北の一面には、その背後に存在するのであろう厳しい環境や経験を想起せずにはいられない。
今日のように、魔法を使うためのイメージひとつとってもそうだ。
アルマークのイメージは、きっと北の何かに結びついているのだろう。
だから、あんなに険しい目をするのだろう。
別にそれが怖いとも、可哀想だとも思わない。
ただ、モーゲンは思うのだ。
やっぱりかっこいいな、と。
僕の友達アルマークは、想像もつかないような厳しい、苦しい経験を、優しい心で包んで、どこまでも真っ直ぐに進んでいく。
それがモーゲンには眩しい。
だから、アルマークの信頼に応えたくなる。
モーゲンが投げた石を見て、アルマークが目を細める。
その目に宿る、暗い炎。
次の瞬間、光の網が石を捕らえた。
最初とは比べ物にならないほどの精緻な網目。
「いいね、つかめてきたんじゃない」
モーゲンは明るい声を出した。
「どんどんいくよ」
「ああ」
頷くアルマークの目には、もうさっきの一瞬の険しさは見えない。
いつもの優しい穏やかな目でモーゲンを見ている。
けれど、本当はそこにあるのだ。
見えなくなっただけで、あの険しさは確かにアルマークの中にある。
そのどちらもが、アルマークだ。
モーゲンはそう結論づける。
「次は二ついっぺんに投げるよ」
モーゲンが言うと、アルマークは微笑んだ。
「よし。やってみるよ」




