光の網
「それじゃあ、今日練習する魔法を発表するよ」
モーゲンはそう言うと、壁際の箱から何個か石を持ってきた。
「この石を使うよ」
「石刻みの術かな」
アルマークが言うと、モーゲンは笑顔で首を振る。
「石刻みの術は初歩の初歩だからね。アルマークもできるでしょ。もう僕なんかが教えることはないよ」
「いや、そんなことは」
アルマークが言いかけたとき、ちょうどイルミスが実践場に入ってきた。
「先生、こんにちは」
モーゲンの挨拶に、イルミスは軽く頷く。
「焼き菓子の匂いが外までしていた」
そう言って、薄く笑う。
「モーゲン。今日は君だと思っていたよ」
「さすが先生」
そう言って、モーゲンは急いで袖から焼き菓子の袋を取り出す。
「先生も一つどうぞ」
「ありがとう。だが、それは私には甘すぎるようだ」
イルミスは微笑んだ。
「分かるんですか」
アルマークが目を丸くする。
「匂いで、大体のところはな」
イルミスはこともなげに答えた。
「カークレオの蜜を使っているのだろう」
「はい」
モーゲンが驚いた表情で頷く。
「そのとおりです」
「試験勉強には甘いものが必要だ」
イルミスは言った。
「疲れた時に君が食べなさい」
「はい」
モーゲンは頷いて袋を袖に戻した。
イルミスがラドマールのところへ行ってしまった後で、アルマークはそっとモーゲンに囁く。
「モーゲン、イルミス先生の石刻みの術を見たことがあるかい」
「え?」
モーゲンはきょとんとした。
「もちろんあるよ。授業で何度も手本を見せてくれたじゃないか」
「違う違う」
アルマークは首を振る。
「もっと、先生が本気のやつさ」
「本気?」
モーゲンは眉を寄せる。
「先生はいつも真剣だけど……でも、そんないかにも本気っていう感じで魔法を使うところは見たことないなあ」
「そうだろう」
アルマークは頷く。
「魔術祭の初日に、僕とウェンディがライヌルに襲われたじゃないか。その時に、イルミス先生が助けてくれたんだけど」
「ああ」
モーゲンは思い出したように頷いた。
「そう言っていたね」
「そこで、先生が本気の石刻みの術を見せてくれたんだ」
「石刻みの術をねえ。ほかのもっと派手な魔法じゃなくてかい」
モーゲンが要領を得ない顔をする。
「それで、どうなったんだい。巨大な岩が砕けたかい」
「そんなもんじゃないよ」
アルマークは首を振った。
「闇の大波に風穴が開いたんだ」
「闇に風穴」
モーゲンは目を見開く。
「それはもはや石刻みの術じゃないね」
そう言って首を振った。
「イルミス先生は絶対に本気で怒らせたらだめだね」
「ああ」
アルマークは頷いて、モーゲンが持ってきた石に目を落とす。
「ごめん、モーゲン。余計な話をしたね。今日はこの石で何をするんだい」
「ああ、そうそう。これはね」
そう言ってモーゲンは石を一つ掴み上げてアルマークに手渡す。
それから自分はアルマークからやや離れたところに立つと、両手を大きく振った。
「こっちに向かって投げてよ」
「分かった」
アルマークは手に持った石を振りかぶる。
「強めかい」
「いやいや、ふわっとだよ」
モーゲンが慌てて言う。
「本気で投げないでよ」
「ふわっとだね」
アルマークが石を、優しくふわりと放物線を描くように投げた。
モーゲンがそれに向けて手を突き出す。
空中に出現した光の網が、石を捕らえた。
モーゲンが腕を引くと、それに合わせて網がぎゅっと狭まり石を締め付ける。
モーゲンはそのまま網を手元に引き寄せると、石を自分の手で掴んだ。
「光の網か」
アルマークが言うと、モーゲンは頷く。
「うん。ずっと練習していたんだ」
そう言って、恥ずかしそうにアルマークを見た。
「夜の薬草狩りでボラパと戦ってから」
夜の薬草狩り。
闇の魔人ボラパ。
モーゲンの言葉に、アルマークはその日のモーゲンの様子を思い出す。
ラドマールが、小箱から呼び出した不定形の闇と同化した時は、アルマークの剣で引きずり出した闇をウェンディの精緻な光の網で捕らえた。
ラドマールが闇の力で無理やりその網を引きちぎろうとした時に、加勢してくれたのがモーゲンの光の網だった。
そのおかげでラドマール自身と闇とを分離することには成功したが、モーゲンの光の網自体はウェンディのそれと比べるとずいぶん大雑把な作りをしていた。
それに続く、ボラパとの一戦。
アルマークは実際には最初しか目にしていないが、モーゲンはボラパの攻撃のほとんどを、不可視の盾の術で防いでいたのだという。
ウェンディは、ボラパの放った火の蛇を素早く光の網で捕らえていた。
「ウェンディの光の網は、もう実戦でしっかり使えるレベルだったよね」
モーゲンは言う。
「あの時に、自分の力のなさを痛感したんだ」
何気ない口調ではあるが、モーゲンは少し目を伏せた。
「もう少しきちんとした魔法が使えれば、ボラパ相手にも、防戦一方ってことはなかったのかな、とか思ったりしてね」
そう言いながら、モーゲンは人差し指を立ててアルマークに次の石を催促する。
アルマークが石をもう一度、放物線を描くように投げると、モーゲンは今度は手を自分の目の前で横に振った。
光の網が、それと呼応するように現れ、軌道の横からかっさらうようにして石を捕らえた。
その網目のきめ細かさが、アルマークにもはっきりと見て取れた。
「本当だ。練習したんだね、モーゲン」
アルマークは言った。
「分かるよ。君の努力が見える」
「次は、同じ失敗はしないって決めたんだ」
モーゲンは照れたように答える。
「いざその瞬間に後悔しても、間に合わないって分かったからね」
「君のそういうところだ」
アルマークは微笑んだ。
「僕は、君のそういうところを心から信頼しているんだ。君なら本当にもう二度と同じ失敗はしないと、信じることができる」
「またそういうことを」
モーゲンは顔をしかめて言いかけ、それから思い直したように苦笑して首を振った。
「君が先だよ、アルマーク」
「え?」
言っている意味が分からず、アルマークはモーゲンを見た。
「僕が先?」
「うん」
モーゲンは頷いた。
「君が、僕を信じてくれるから。僕がそういう人間だと思ってくれるから」
そう言って、笑いを含んだ目でアルマークを睨む。
「だから僕は、そういう人間になるしかないんだ」




