答え
「本当に出るんだね、噂のおじさん」
ラドマールと別れた後、まるで近所のおじさんのように黒ローブの男をそう呼んだセラハは、階段の前でアルマークに手を振って自分の部屋に帰りかけて、思い出したようにもう一度アルマークのところに戻ってきた。
「言い忘れちゃった」
恥ずかしそうにそう言って、アルマークを見る。
「明日はモーゲンが来ます」
「モーゲンか」
アルマークは微笑む。
「それは楽しみだな。今日はありがとう、セラハ」
「どういたしまして」
セラハはもう一度手を振って、今度こそ自分の部屋に戻っていった。
その背中を見送って、アルマークは大きく伸びをする。
さあ、座学の勉強を頑張ろう。
休日にウェンディと勉強して疑問点を解消して以来、勉強の効率は格段に上がっていた。毎日のクラスメイトとの補習もいい刺激になって、以前イルミスに補習の中断を言い渡された時のような焦りはもうあまり感じなくなっていた。
階段を上りかけて、騒々しく寮に入ってきた三人の姿に気付く。
「コルエン」
アルマークは声をかけた。
顔に泥を付けたコルエンが、アルマークを見て手を挙げる。
「よう、アルマーク」
その隣には、ポロイスとキリーブがいる。
「ポロイス。キリーブも」
アルマークは微笑んで、上りかけた階段から下りた。
「結局、コルエンに付き合わされているのか」
「いや、結構会うんだよ、あの黒ローブに」
コルエンがそう言ってにやりと笑う。
「今日も出くわしたんだぜ」
「えっ、僕も今日会ったよ」
アルマークは驚いて言った。
「何か変わったことは言っていたかい」
「いや」
ポロイスが首を振る。
「いつもと同じだ。大事ではないが、大事なもの」
「やっぱりそれか」
アルマークは頷いて、今日ラドマールが答えを出した状況を三人に話した。
「僕はその答えに、なるほど、と思ったんだけどね。向こうのお気には召さなかったみたいだ」
「なるほどな」
アルマークの言葉にポロイスが腕を組む。
「確かに面白い答えだがな」
「しかしそいつ、ずいぶん歪んでるな」
キリーブがおかしそうに言った。
「僕には他人の人生なんてどうでもいい、か。くくく。思っていても口には出さんぞ、普通は」
「まあな」
ポロイスは頷いて、アルマークに目を戻す。
「僕らもここのところ、その質問を考えていてな。今日、やつに答えをぶつけてみたんだ」
「君たちもか」
アルマークは目を見張る。
「何て答えたんだい」
「僕は、誇り、と答えた」
ポロイスは言った。
「誇り」
アルマークは目を瞬かせる。
ポロイスが、誇り、だって。
ポロイスといえば、3組の中でもエストンと並んで貴族としての誇りを特に重視する少年だったはずだ。
それが自ら、誇りを『大事ではないもの』と定義するとは。
「こいつの答えらしくねえだろう」
アルマークの心を読んだように、コルエンがそう言って笑う。
「ガレルとあんな決闘までやらかしておいてな。どの口が言ってんだか」
「ガレルの話はいいだろう」
ポロイスは顔をしかめた。
「僕は自分の身体に流れる我が一族の血に誇りを持っている。誇りは僕の人生を支える大事なものだ」
険しい顔でそう言うと、アルマークを見てふと表情を緩める。
「だが、このところ、僕にもいろいろと考えさせられることがあった。誇りに囚われすぎるのも良くない。時には誇りを捨てる必要もあるのではないか。今はそう思っているところだ」
「なるほど」
アルマークは感心して頷いた。
「それを聞くと、とても君らしい答えだ。で、なぞかけ黒ローブ男はなんて?」
「なんだ、その呼び方は」
ポロイスは顔をしかめる。コルエンが横から口を挟んだ。
「それは我が求める答えにあらず」
男の口ぶりを真似してそう言うと、アルマークににやりと笑いかける。
「はずれだってよ」
「そうか」
アルマークはポロイスの顔を見た。
「いい答えだと思ったけどな」
「ありがとう」
ポロイスは薄く笑う。
「僕の答えも聞け」
キリーブが口を挟んだ。
「僕のはポロイスみたいな自己満足の回答とはわけが違うぞ」
「なんだと。誰が自己満足だ」
ポロイスがキリーブを睨む。
だが、本当に怒っているわけではないようで目の奥は笑っていた。
「僕の答えはこうだ」
キリーブは胸をそらした。
「川で溺れた時の、ポケットの中の金貨」
「え?」
アルマークが目を丸くすると、キリーブはバカにしたようにため息をついた。
「分からないか? 仕方ない。解説してやろう」
そう言って、アルマークの返事を待たずに説明を始める。
「金貨が大事な物であるのは言うまでもない。お前のような異境の民でもそれは分かるだろう。だが、溺れた時にその金貨がポケットに入っていたらどうなる? 重くて身体が沈んでしまうじゃないか。金貨も大事だが、命ほどじゃない。大事だが、大事ではない。まさに言葉通りの答えだろう」
「なるほど」
アルマークは頷いた。
「すごくひねりが効いていて、面白い答えだと思う。なぞかけ黒ローブ男は何て?」
「だから何なんだ、その呼び方は」
ポロイスが顔をしかめてそう言ってから、コルエンを見た。
「何てもなにも、なあコルエン」
「ああ」
にやにやと笑いながらコルエンは頷いた。
「キリーブが喋ってる途中で首を振りながら消えちまったよ」
「無礼なやつだ」
キリーブは怒りの声を上げた。
「そもそも、求めている答えと違うだなんていう言い方が許されるなら、それは心の中を読めと言っているに等しいじゃないか」
キリーブの言葉にポロイスが頷く。
「それは確かにな。こちらもせっかく知恵を絞ったのに」
「そうだね。本当に答えがあるのかどうかも分からない」
アルマークも頷いた。
「で、コルエン」
そう言って、コルエンを見る。
「君はなんで泥にまみれてるんだい」
「またやったからに決まっているだろう」
ポロイスが呆れたように言った。
「懲りるということを知らないんだ、コルエンは」
「また魔法をかけようとしたのかい」
アルマークが苦笑すると、コルエンは、おお、と頷いて胸を張る。
「この前、引き寄せの術がそのまんま返されたからよ。ほかに効く魔法があるんじゃねえのかと思って考えてたんだが」
「何を使ったんだい」
「泥掴みの術だ」
コルエンは答えた。
泥掴みの術。
相手の足元の地面をぬかるみにしてそこに足を取らせる魔法。ほかの魔法と組み合わせることで力を発揮する魔法の一つだ。
「引き寄せの術みたいに強い力が作用する魔法はまた返されちまうんじゃねえかと思ってな。搦手から攻めてみた」
「それで、結果は」
「ご覧のとおりだ」
コルエンの代わりにポロイスが答える。
「自分が泥の中に突っ込んだ」
言われてみると、コルエンは足元も泥まみれだった。
「また魔法がそのまま返ってきたのかい」
「ああ」
コルエンは悔しそうに頷く。
「あいつ、身体そのものに返しの術が掛けられてるのかもしれねえな」
「いい迷惑だった」
キリーブがそう言って、自分のローブにはねた泥をアルマークに示す。
「こいつが転んだ拍子に、こっちにまで泥が跳ねてきた。冬の洗濯物はなかなか乾かないんだぞ」
「せこいこと言ってんじゃねえ」
コルエンは気にする様子もなく笑う。
「とりあえずお前らが答えを見つけるのが先か、俺があいつを捕まえるのが先か、勝負だな」
「魔法はかからない気がするがな」
ポロイスが思案顔で言う。
「試すにしても、跳ね返ってきた時に自分の命が危なくなるような魔法は使うんじゃないぞ」
「分かってる分かってる」
コルエンはさして気にも留めていない様子で頷いた。
「しかし、あの黒ローブもずいぶん付き合いが良くなった」
ポロイスがアルマークに言う。
「最初にコルエンが突っかかった時には、すぐに消えると思ったんだが。その後でちゃんと僕とキリーブの答えを聞くまで消えなかったからな」
「僕の答えはまだ途中だったぞ」
キリーブが不満そうに言う。
「解説まで聞けば、やつも正解にせざるを得ないから逃げたんだ。卑怯なやつだ」
「まあ、みんな怪我がなくてよかったよ」
アルマークが言うと、コルエンが身を乗り出した。
「今度また一緒に行こうぜ、アルマーク」
「ああ。機会があればね」
アルマークはそう言って、まだわいわいと騒いでいる三人と手を振って別れた。
「大事ではないが、大事なもの、か」
口の中でそう呟く。
それは、果たして何だろう。
キリーブたちの言うとおり、答えはいくつもある。
その中で、あの男の求めている答えは。
アルマークは男の低い笑い声を思い出す。
なぜ、男は笑っていたんだろう。
部屋に戻ってもしばらくその疑問が残っていたが、やがてアルマークは首を振って勉強に集中した。




