謎
治癒術の練習を終え、アルマークとセラハは慌ただしく立ち上がる。
「イルミス先生、僕らも終わります」
アルマークが声をかけると、イルミスはわずかに微笑んだ。
「うむ。気をつけて帰りなさい」
「はい」
アルマークが返事をしたときには、セラハが小走りに駆け出していた。
「待って、ラドマール」
セラハは帰ろうとしていたラドマールの背中に声をかける。
「一緒に帰ろうよ」
「え、僕とか」
振り向いたラドマールは戸惑った顔をする。
「アルマークと帰ればいいじゃないか」
「アルマークとも帰るけど」
セラハはにこにこと笑いながらラドマールに歩み寄った。
「ラドマールも一緒に帰ろう」
「僕はいつも一人で帰るんだ」
せっかくの女子の誘いにもラドマールは無愛想に答える。
「自分のペースで歩きたいからな」
「じゃあ今日はラドマールのペースで歩くよ」
セラハは言った。
「私はどうせめったに来ないし、付き合ってよ」
そう言ってラドマールに微笑む。
「せっかく知り合いになったんだから、もう少し話しながら帰ろう」
「まあ、そこまで言うなら」
ラドマールはまんざらでもない顔を無理にしかめてそう言った。
「僕は別に構わんが。だが、アルマークが嫌がるんじゃないか」
「えっ」
セラハの後ろでやり取りを聞いていたアルマークは目を丸くする。
「どうして僕が。嫌なわけないじゃないか」
「ふん。どうだかな」
ラドマールはアルマークをじろりと見ると、出口に向かって歩き始める。
「セラハ。一緒に帰るならさっさと行こう。アルマークは別にどうでもいい」
「あなたのペースでいいよ」
セラハがにこにこと笑いながらその隣に並ぶ。
「いや、だから僕も帰るってば」
アルマークは慌てて二人の後を追いかけた。
三人で並んで夜道を歩く。
ラドマールが補習に加わってずいぶん経つが、こうして一緒に帰るのは初めてかもしれない。
アルマークは新鮮な気持ちで、隣を歩くラドマールを見る。
ラドマールのさらに隣をセラハが歩く。
「そうなんだ。ラドマールって色々と考えてるんだね」
セラハがラドマールの話に相槌を打った。
セラハは実に上手にラドマールの話を引き出す。アルマークはそれを感心しながら聞いていた。
ラドマールは時々思い出したようにふてくされた表情を作るが、それでもセラハの巧みな相槌に、アルマークも目にするのが初めてなほど楽しそうに話をしていた。
セラハの相槌は巧みなだけでなく、嫌味がなかった。
普段は、些細なことで簡単に機嫌を悪くするラドマールが、今日は全くそんな素振りを見せない。
セラハのすごいところは、それだけではなかった。
セラハはラドマールにかかりっきりになることなく、時折きちんとアルマークにも話を振ってくれた。
それがラドマールの話の腰を折らない絶妙のタイミングなので、アルマークはまた感心した。
夜の薬草狩りで、ウェンディが一生懸命ラドマールの話を聞いてあげていたのをアルマークは思い出す。
あの夜、ラドマールがウェンディにだけ口をきいていたのは、決して彼女が貴族の令嬢だからという理由からだけではないだろう。
ウェンディの真っ直ぐで穏やかな向き合い方が、ラドマールの心を開かせたのだ。
セラハのやり方は、それとは少し違う。
ウェンディはラドマールの話を聞くことに力を注いでいたが、セラハは自分からもどんどん話をしている。
本当はセラハもある程度計算しているのかもしれないが、それを感じさせないおおらかで飾らない話し方。相手との会話を楽しもうという姿勢。
それが、初対面でいきなりラドマールと仲良くなれた理由なのだろう。
そんなことを考えながら、ラドマールとセラハの横顔を見ていたアルマークは、思わず苦笑した。
いつの間にかセラハのさらに向こうに、四人目が並んでいたのだ。
「セラハ」
アルマークは穏やかにそう言ってセラハの腕を取ると、自分とラドマールの方に引き寄せた。
「えっ」
「おい」
セラハが目を丸くし、ラドマールが険しい声を出す。
「何のつもりだ、アルマー…」
「きゃっ」
ラドマールの苦情はセラハの悲鳴にかき消された。
ラドマールもセラハの視線の先を見て硬直する。
黒いローブの男が、そこに立っていた。
「大丈夫」
アルマークはそう言いながら、念のため二人の前に立ちマルスの杖を構える。
「危害は加えてこないはずだから」
それにしても今日はまるで友達のように自然に歩いていたな。
アルマークは男の挙動を注視しながら、そう思った。
そのとき、空気の漏れるような音がした。
黒ローブの男が笑っている。
「何がおかしいんだい」
アルマークは穏やかに尋ねた。
しかし男は笑うだけで答えない。
「アルマーク。この人って」
セラハが後ろからおそるおそる言った。
「もしかして、最近噂になってる、あの」
「うん」
アルマークは頷く。
「噂の、謎掛け黒ローブ男だ」
「なあに、その名前のセンス」
セラハの声が曇る。
「あまりにそのまますぎないかな」
その時、男がゆっくりと口を開いた。
「しっ」
アルマークは唇に指を当てる。
男の低い声が、アルマークの耳に届いた。
「大事ではないが」
男は言った。
「大事なものを探している」
「なんだって?」
アルマークの背後でラドマールが訝しげな声を上げた。
「大事ではないが、大事なもの?」
「答えを示せ」
ラドマールの反応に構わず、男は言った。
「示せるか」
その目は、アルマークに注がれていた。
「まだ、分からない」
アルマークが答えると、男は再び低く笑った。
「そうか。分からぬか」
「僕は分かるぞ」
ラドマールの声。
アルマークは思わず振り返る。
セラハも驚いた表情でラドマールを見た。
「分かるのかい、ラドマール」
「大事ではないが大事なものだろ。ふん、簡単だ」
ラドマールは自信に満ちた口調で言うと、胸を張った。
「答えは、他人の人生だ」
「え?」
意外な答えにアルマークは目を見開く。
「他人の人生?」
「ああ、そうだ」
ラドマールは頷く。
「他人の人生など、僕にとっては全くどうでもいい。まさに、大事ではないものだ。だが、その本人にとってはそれこそがかけがえのない唯一無二の自分の人生だろう。すなわち、大事なもの。つまり、大事ではないが大事なものというわけだ」
「視点を変えたのか」
アルマークは感心してラドマールを見た。
「ある人にとっては大事でも、他の人にとってはそうではない、ということか」
「そういうことだ」
ラドマールはそう言って、セラハの視線を意識するように顎を反らした。
「お前やあの背の高いやつらが最近騒いでいたのはこんな単純な謎か。実にくだらない話」
「違う」
ラドマールの言葉は黒ローブの男の低い声で遮られた。
「それは、我の探す答えではない」
「なんだと」
ラドマールは目を剥いた。
「大事ではないが大事なものだろ。合っているじゃないか」
だが、男はゆっくりと首を振った。
その姿が徐々に消えていく。
「示せ」
最後に男はもう一度言った。
「答えを」
男が消えた後、ラドマールは地面を蹴って毒づいた。
「くそ。合ってるじゃないか」
「驚いた」
セラハが胸に手を当ててほっと息をつく。
「急に出てくるんだもの。あれがそうなのね。その……」
「謎掛け黒ローブ男」
「うん、それ」
アルマークの言葉にセラハは頷く。
「でもラドマールは勇気があるね。いきなり答えを出すんだもん」
「別に大したことじゃない」
ラドマールはまんざらでもない顔で言った。
「すぐにぱっと思いついた。ああ、それは他人の人生だ、とな」
「すごい」
セラハは素直に称賛した。
得意げなラドマールを見て、セラハは申し訳なさそうに、でも、と続ける。
「やっぱり私もそれは答えじゃないと思う」
意外な言葉に、ラドマールが少し気色ばんだ。
「なんだって?」
「だって、家が商売をしていると分かるのよ」
セラハはそう言ってラドマールに微笑む。
「お金と一緒。誰かの人生のおかげで、巡り巡って私達は生きているんだって。だから、他人の人生も自分の人生と同じように大事なの」
「僕には分からん」
ラドマールは言った。
「商売などしたことがないからな」
「簡単に言うとね」
セラハは気分を害するでもなく答える。
「私にとっては、自分の人生もあなたの人生も同じように大事だってこと」
「それは」
セラハに見つめられ、ラドマールは顔を少し赤らめた。
「まあ、大事かもしれないが」
「僕も分かるよ。ラドマール、僕にとってもセラハや君の人生は」
「うるさい、アルマーク」
ラドマールはアルマークの言葉を乱暴に遮った。
「お前の人生は僕にとって最も無意味だ。無価値だ。黙っていろ」




