予感
翌朝、アルマークは校舎へ向かう道で、前方を歩くセラハの背中に気付いた。
いつもはキュリメと一緒に歩いていることが多いセラハだが、先日食堂で話していたように、今は試験前でお互いに距離を置いているのかもしれない。
「セラハ」
背後から駆け寄ってそう声をかけると、セラハは疲れた顔で振り返り、それでもアルマークを見て笑顔を浮かべた。
「あ、アルマーク。おはよう」
「おはよう、セラハ。疲れてるね」
「試験前だもの」
セラハは力なく笑う。
「それは疲れるよ」
「いつも元気な君にしては、珍しいね」
「机でする勉強はね」
セラハは苦笑した。
「苦手なの。とにかく疲れる」
「そんな状態で大丈夫かな」
アルマークは思わず心配になってセラハの顔色を見る。
「今日の僕の補習、君が来てくれるって聞いたけど」
「ああ、それ」
セラハが、ぱっと顔を輝かせた。
「うん。行くよ、行く。私が行きます」
セラハは嬉しそうに答える。
「すごく楽しみにしてたんだよ。やっと私の番が来て嬉しい」
「ありがとう。僕も楽しみだけど」
アルマークはそれでもやはりすぐれないセラハの顔色を見て言った。
「でも、無理はしないで欲しい。君が体調を崩すくらいなら休んでもらっても」
「やだよ、行くよ」
セラハはそう言って首を振った。
「寮に帰ったら、机の前に座らないと罪悪感がすごいの。休もうと思っても、ああ、勉強しなきゃいけないのにって思うと心がすごくもやもやする。でも今日はあなたを教えるっていう大義名分があるから」
セラハは微笑む。
「堂々と試験勉強以外のことをするの」
「そうか」
その気持ちは、アルマークにもよく分かる。
「じゃあ気分転換に、僕の補習の手伝いをお願いするよ」
「うん」
セラハは頷く。
「何をするか、楽しみにしててね」
それから二人はしばらく他愛のない話をしながら歩いた。
セラハの表情も少しずつ明るくなってきたように見えた。
「劇で、さ」
校舎が見えてきた頃、不意にセラハがそう言ってアルマークを見た。
「クラスのみんなが一つになったでしょ。みんなで一つの舞台を作り上げたじゃない」
「うん」
アルマークは頷く。
「でも、魔術祭が終わったら、すぐに試験前っていう雰囲気になったでしょ。劇のことなんて忘れちゃったみたいに、みんな今はもう勉強に全力投入で」
「そうだね」
「私には、それができなくて」
セラハは苦笑する。
「切り替えが下手なの」
そう言って、寂しそうな瞳でアルマークを見た。
「みんなはあの時のことなんてもう忘れちゃったのかな。クラスに、劇の直前みたいな一体感もないし。まるで、あの劇は幻だったみたい」
「幻か」
アルマークは頷く。
「君の気持ちは僕も分かるよ」
「うそ」
セラハはいたずらっぽい目でアルマークを睨んだ。
「よく言うよ。アルマークなんて一番最初に試験態勢に入っちゃったくせに」
「それは、確かにそのとおりだけど」
鋭い指摘にアルマークも苦笑する。
「でも、君の気持ちが分かるっていうのも嘘じゃないよ」
そう言って、真面目な顔でセラハを見た。
「君の言うとおり、あの劇ではみんなが一つになっていた」
アルマークは言う。
熱演した主演のネルソンとノリシュ。脇を固めるトルクやレイラ、悪役のセラハやアルマークまで含め、全員がキュリメの台本の上で生き生きと動き、それをクラス委員のウォリスが一つに束ねていた。
それは、確かに幸せな時間だった。
「もしかしたら、僕たちがあんなに幸せな時間を過ごすことはもう二度とないのかもしれない」
その言葉に、セラハは表情を固くした。
「どういうこと」
「どういうことってわけでもないんだ。ふとそんな気がしただけで」
アルマークは首を振る。
それは、ただの予感のようなものだ。
アルマークは学院長のような星読みではない。予感は単なる予感に過ぎず、それ以上の価値はない。
「僕が勝手に思っただけだから、そんなに真に受けないで」
「急に怖いこと言うから」
セラハは不安な表情でアルマークを見る。
「びっくりした」
「ごめん」
アルマークは謝る。
「でも、みんなだって忘れたわけじゃないよ」
アルマークはそう言って、セラハに微笑んだ。
「きっと、じきに君もそれに気付くと思う」
セラハはよく分からないという表情で首を傾げる。
「そうかな」
「大丈夫。みんなは変わっていないよ」
アルマークは言葉に力を込めた。
「僕は、毎日補習でそれを実感させてもらってる。ありがたい時間だよ」
「うん」
セラハは小さく頷く。
「まあ、それはともかく」
校舎の入口に着いてしまったので、アルマークは言った。
「とりあえず今日の補習はよろしく頼むよ」
「うん。それは任せて」
セラハは頷いて、ようやく微笑んだ。
「アルマーク」
その日の治癒術の授業の後、アルマークはセリアに穏やかな声で呼び止められた。
「はい」
アルマークが返事をして見上げると、セリアは優しい笑顔で小首をかしげる。
「補習はどうかしら。順調?」
「はい、すごく順調です」
アルマークは答えた。
「クラスのみんなが手伝ってくれているので」
「そうなんですってね」
セリアが驚きもせずに頷くので、アルマークは不思議に思って尋ねる。
「先生もそのことを知ってるんですか」
「ええ」
セリアは微笑む。
「イルミスが話していたから」
「イルミス先生がですか」
アルマークが意外そうに声を上げると、セリアは頷いた。
「そうよ。イルミスはあなたたちのことをとても楽しそうに話すわ」
「先生が、僕らのことを」
アルマークは目を丸くする。
イルミスが楽しそうにアルマークたちのことをセリアに話す。
それは、アルマークの知るイルミスのイメージとは少し違う。あまり想像がつかなかった。
「イルミスは、あなた達の前では表情を滅多に崩さないものね」
セリアは微笑んだ。
「でも、ああ見えてよく冗談も言うのよ。うまくはないけれど」
「そうなんですか」
アルマークは目を瞬かせる。
イルミスのことを、こうして他の人から聞くのは初めてかもしれなかった。
いつの間にかほかの生徒は昼食に行ってしまい、その場に残っているのはセリアとアルマークの二人だけになっていた。
「セリア先生」
アルマークはこの機会に、ずっと気になっていたことを聞いてみようと思い立った。
「質問してもいいですか」
「何かしら、改まって」
セリアが眉を上げる。
「いいわよ。どうぞ」
「ありがとうございます。あの」
アルマークは言葉を探す。
「ええと、セリア先生とイルミス先生は昔、この学院の同級生だったんですか」
「ええ」
セリアは頷く。
「そうよ」
「あの人も」
アルマークは切り込んだ。
「ライヌルさんもですか」
その名を聞いて、セリアは顔をわずかに曇らせた。
だが、変わらないテンポで頷く。
「ええ。ライヌルもよ」
「……どういう人だったんですか」
アルマークはセリアを見上げた。
「ライヌルさんって」




