目覚め
目を覚ましたリルティは、アルマークが自分を抱きかかえて寮への道を歩いているのに気付き、小さく悲鳴を上げた。
「えっ、何、アルマーク? えっ」
「あ、リルティ。目が覚めたかい」
アルマークはほっとして微笑む。
「もうすぐ寮だよ」
「お、下りる。下ろして」
リルティは真っ赤な顔でもがいた。
「別に大丈夫だよ、君は」
軽いから、とアルマークは言いかけて口をつぐんだ。
華奢なリルティは、以前抱きかかえたことのあるレイラやウェンディよりもずっと軽かった。
だが、それを口にするのはさすがに失礼なのだろうなということくらいはアルマークにも分かった。
「とにかく下ろして、恥ずかしいから」
「ああ、うん」
アルマークが頷いてそっと地面に下ろすと、リルティは真っ赤な顔を両手で覆う。
「今日は、もう、本当にいろいろあって、どうしたらいいのか分からない」
「気分はどうだい。まだ目眩とか」
アルマークが顔を覗きこむと、リルティは耳まで真っ赤になって首を振る。
「大丈夫。大丈夫だから」
「あそこで君が目を覚ますのを待っていたら、身体が冷えてしまうと思ったんだ」
アルマークは言った。
「それで熱を出したりしたらいけないから」
それで、リルティは先程自分が目にしたものを思い出す。
「やだ」
小さくそう呟いて怯えた表情で周囲を見回すリルティに、アルマークは穏やかに言った。
「大丈夫だよ、リルティ。もう消えてしまった」
それでもリルティはまだ安心しきっていない様子でアルマークを見る。
「あれ、誰だったの」
「例の噂の、黒ローブの男だけど」
アルマークは答えてから、リルティの表情を見て首を傾げた。
「あれ、聞いたことないかい」
「怖い噂は聞かないことにしてるの」
リルティは言った。
「聞こえちゃいそうになったら、ノリシュが私の耳をふさいでくれるの」
「相変わらず仲がいいね」
アルマークは微笑む。
「そうか、君たちはルームメイト同士だったね」
「うん」
頷いてから、リルティはまだ不安そうに夜の闇を見て、アルマークに身を寄せた。
「まだその辺にいる気がする」
「今日はもう出ないと思う」
アルマークは言った。
「僕が今日もがっかりさせてしまったみたいだから」
「え?」
リルティはアルマークを見上げる。
「どういうこと?」
「示せなかったみたいなんだ」
アルマークは答える。
「何を?」
「答えを」
リルティが困惑した顔で首を傾げたときだった。
「おう、アルマーク!」
後ろから大きな声がかかり、リルティが身体をびくりと震わせた。
灯の術の炎が揺れながら近付いてくる。
「また、懲りないな」
アルマークは微笑む。
やってきたのは、コルエンとポロイスだった。
「やあ、二人とも。今日も黒ローブ探しかい」
「おうよ。お前は毎日違う女連れてんな」
コルエンが言うと、リルティは顔を真っ赤にしてアルマークから離れる。
「別にそういうわけじゃないよ。補習に付き合ってもらってたんだ」
「補習か」
コルエンは意外そうにアルマークを見た。
「お前なら何でもできそうだけどな、武術も魔法も」
「無茶を言うな、コルエン」
隣でポロイスが冷静に言う。
「彼は僕らと違って3年生から編入してきたんだぞ」
「そういやそうか」
コルエンは真面目な顔で頷いた。
「試験前だから、そりゃやることだらけだろうな。俺たちと遊んでばっかりはいられねえよな」
「僕たちだって本当は遊んではいられないんだがな」
ポロイスが言うと、コルエンはにやりと笑う。
「まあ、そう言うなよ。ちょっとの時間なんだから付き合えよ」
「黒ローブの男なら、さっき見たよ」
アルマークが口を挟むと、コルエンが目を見開いた。
「見たのかよ!」
「ああ。ね、リルティ」
「うん」
リルティは上目遣いにコルエンを見上げて、おそるおそる頷く。
「私は怖くてすぐに気絶しちゃったからあんまり見てないけど」
「気絶したのか。可愛いな」
コルエンは快活にそう言ってリルティの顔をまた真っ赤にさせた後で、真剣な顔でポロイスに向き直った。
「おい、ポロイス。分かったぜ」
「ん、何が」
ポロイスが眉を上げる。
「黒ローブの男との遭遇率を上げる方法だよ」
「ほう」
ポロイスは頷く。
「聞こう」
「女連れだ」
「は?」
ポロイスは顔をしかめた。
「なんだって?」
「ウェンディと、リルティ。アルマークが女を連れている時の黒ローブとの遭遇率は完璧だ」
ポロイスが呆れた顔で、それでも一応は確かめるようにアルマークの顔を見る。
アルマークも苦笑して首を振った。
「いや、コルエン。僕はレイラやノリシュとも暗くなってからこの道を通っているけど、黒ローブの男には出遭っていないよ」
「レイラとノリシュもか。お前、本当にとっかえひっかえじゃねえか」
「よせ、コルエン。品がない」
ポロイスは険しい声でコルエンをたしなめた。
「君の予想は外れということだ。さあ、寮へ帰るぞ」
「いい線いってると思ったんだけどな」
コルエンも首をひねりながら歩き出す。
アルマークは、コルエンたちに圧倒されたように目を瞬かせているリルティを見た。
「リルティ。僕たちも帰ろう」
「あ、うん」
リルティは頷き、それから深々と息を吐いてハンカチで額を拭った。
「もう。変な汗かいた」
「あれ、そのハンカチ」
アルマークは上等な生地のハンカチに目を留めた。
「新しいのだね」
「あ、うん」
リルティは頷いて、少し嬉しそうに笑う。
「夏の休暇で家に帰った時にもらってきたの」
「そうか」
アルマークは微笑んだ。
「前のはだいぶくたびれていたからね」
リルティもその言葉を聞いて、森でハンカチをなくした一件を思い出したようで、また頬を染める。
「アルマークといると、おかしなことばかり起きる」
「そうかな」
アルマークは穏やかに首をかしげた。
「あの古い方のハンカチは、もう捨てたのかい」
「まさか」
リルティは首を振った。
「ベッドに置いてあるよ」
そう答えてから、慌てたように前を歩くコルエンたちを見て声を潜める。
「でも、誰にも言っちゃだめだからね」
「分かってる。言わないよ」
アルマークは頷く。
「そうだ。今度僕にも南の歌を教えてよ」
アルマークは言った。
「僕も歌ってみたいんだ」
「いいよ」
リルティは頷く。
「あなた、きっと歌がうまいと思う」
「君にそう言われると自信がつくな」
アルマークは微笑んで、歌の一節を口ずさむ。
実践場で最後にアルマークが魔力を乗せたリルティの歌だった。
「もう覚えたんだね」
リルティは小さく微笑んだ。




