北天の歌
校舎裏の木陰。
アルマークはリルティと並んで立つ。
冬の冷気が、足元からじわりと上ってくる。
さっきまで歌を歌っていたおかげだろう。リルティの頬は少し上気していた。
リルティの身体が冷える前に、歌を歌って魔唱の術を練習して、暖かい実践場に戻ろう。
アルマークはそう決める。
どこかでフクロウの鳴く声がした。
「でも、歌を歌ったことがないって言ってなかった?」
リルティは心配そうにアルマークを見た。
「南に来てから覚えた歌があるの?」
「いや」
アルマークは咳払いをした。
「一曲だけ、僕でも歌える歌を思い出したんだ」
「北の歌?」
リルティが尋ねる。
「うん」
アルマークは頷いてから、首をひねる。
「北の歌、か。いや……歌と言っていいのかな」
「違うの?」
リルティは、アルマークの言っている意味がよくわからない様子で目を瞬かせた。
「うーん……」
アルマークは困った顔をする。
「こっちで歌われているように歌われる歌じゃないから」
「え?」
「変な歌だと思うかもしれない。こういう練習で使うような歌じゃないのかも。でも、僕はその歌くらいしか歌えないから」
その言葉に、リルティは首を振る。
「一生懸命歌ってくれればいいよ。笑ったりはしないよ」
「ありがとう」
アルマークはあまり長々と言い訳をしてリルティの華奢な身体が冷えるのを心配した。
「それじゃあ歌うよ」
「うん」
リルティは頷く。
「魔力を乗せられそうなら、歌の途中で乗せるね」
「分かった」
アルマークは頷いて、息を吸った。
「歌ってくれ、デラク」
あれは、月のない、闇の深い夜だった。
焚き火を見つめていたレイズが不意に言った。
「弔いの歌を」
それで、アルマークにも父の言葉の意味が分かった。
昼間、激しい戦いがあった。
勝つには勝ったが、たくさんの戦士が斃れた日だった。
「お前の声が、一番いいんだ」
レイズはそう言って立ち上がる。
傍らにいたデラクも暗い笑みを浮かべて立ち上がった。
「いつも俺ばっかり歌って、申し訳ねえような気もしますがね」
デラクはそう言って低く笑った。
「レイズの旦那のご指名じゃしょうがねえ」
立ち上がった二人を見て、別の焚き火の周りにいたほかの男たちも集まってきた。
「デラク。歌うのか」
「ルーパも死んだんだ」
「ダムハンの野郎も帰ってこなかった」
戦士たちは口々に言う。
「ゆっくり弔いの歌を歌える夜なんて、なかなかねえからな」
戦士の一人が言った。
「あいつらはついてる」
「頼むぜ、デラク」
別の一人に肩を叩かれて、デラクは苦笑する。
「お前ら、俺の時は誰が歌ってくれる気なんだい」
冗談めかしてそう言って、デラクは男たちを見回した。
「俺にばかり歌わせてよ」
「俺が歌ってやるよ」
腕を組んで木にもたれかかったレイズが言った。
「心配するな、デラク。お前の時は俺が歌う。その代わり、俺の時はやっぱりお前に頼む」
「旦那が歌ってくれるってんなら、俺に異存はねえ。心置きなくいつでも死ねる」
デラクは笑った。その口ぶりは、誇らしそうでさえあった。
「約束ですぜ、旦那」
「ああ」
レイズは頷く。
「アルマーク」
不意に父に呼ばれたアルマークは、その隣に立った。
「弔いの歌は、聞いたことがあったな」
「前に一度」
「そうか」
レイズは微笑んだ。
精悍な戦士の笑み。
だが、その笑顔の奥にあるもっと深い感情は、アルマークには分からなかった。
「この一回で覚えろ」
レイズは言った。
「滅多に聞く機会もねえからな」
笑いさざめいていた男たちが徐々に静かになる。
それを待っていたかのように、デラクが低い声で歌い出した。
アルマークが口を開いた。
リルティは、その声を聞いて、一瞬戸惑う。
それは最初、唸り声のようにしか聞こえなかった。
およそ、その歳の少年が出すにはそぐわない、低い声。
まるで、夜の森で低く唸る狼のような声だった。
アルマークは夜空を見上げる。
あの日と違って、今日は星がよく見える。
リルティが見つめる中で、アルマークが歌詞を口ずさみ始めた。
我らは見た
汝 戦いしさま
得物振るい 挙げし首級
その勇ましき武勲を
デラクの低い声が、まるで昨日のことのように思い出される。
目を閉じてそれに聞き入っていた、父の顔も。
単調な旋律。何の楽器も使わない、原始的とすら言える歌。
南の華やかな楽曲に比べれば、それは音楽などと呼べる代物ではないのかもしれない。
けれど、屈強で陽気な男たちが皆、ある者は空を見上げ、ある者は焚き火を見つめ、ある者は父のように目を閉じ、デラクの声に聞き入っていた。
あれが、僕らの歌だ。
北の戦士の、魂を送る歌。
我らは見た
汝 斃れしさま
地に伏した誇り高き躯
その戦士の勲の末期を
アルマークは歌う。
記憶の中のデラクの声をなぞる。
傭兵に、墓標はない。
武運が尽きて、斃れたその地が、傭兵の墓場だ。
その骸は誰に弔われることもない。
だからこそ、傭兵たちは歌う。
見たぞ、と。
お前の戦うさまを。
生き、そして死んださまを、俺たちは見たぞ、と。
我らは見る
汝の魂が北天に駆けるさま
続く最後の一節だけ、レイズの口元がデラクに合わせるように動いたのを、アルマークは見た。
だから、アルマークにも分かった。
これが弔いの祈りなのだと。
戦士よ 迷いなく
真っ直ぐに帰れ
揺るぎなきあの星のもとまで
アルマークは歌い終えて、息を吐いた。
歌を通して、北のあの夜の空気が蘇ってくるようだった。
歌を歌うのは、初めてだ。けれど、あの時のデラクのように歌うことができた。
それは、ガレインやフィッケと模声の術の練習をしたからかもしれないし、もっと言えばこの学院での多くの経験のおかげかもしれなかった。
南での経験のおかげで、北の記憶が深くなる。
これが、歌か。
アルマークは、白い息を吐いた。
言葉だけの力ではない。
旋律が、言葉を増幅させる。
そして増幅された言葉の力は、思いを増幅させる。
そういうことなのか。
夏の休暇の初日。
アルマークはなぜか不意に、あの日の朝に歩いた庭園の風景を思い出した。
アルマークは、はっと我に返って、リルティを見た。
リルティは、黙ってアルマークの顔を見ていた。
歌っている間、自分の声に魔力が乗せられた感覚はなかった。
今、こうして歌い終わっても、リルティは何の反応も示さない。
不思議な表情で、アルマークを見ている。
やはり、こんな歌ともいえない歌は、歌うべきじゃなかったのだろうか。
心配になって、アルマークは声をかけた。
「あの、リルティ。僕」
リルティは黙って首を振った。
その目から、涙がこぼれた。
アルマークは言葉を失う。
「魔力なんて乗せられない」
リルティは小さな声で言った。
「あなたの歌。言葉も、旋律も強すぎて。とても魔力を乗せることなんてできない」




