遭遇
暗い夜道を、ポロイスの出した灯の術の火が照らし出す。
日のすっかり落ちて真っ暗な、休日の校舎へと続く道。
図書館も、今日はもう閉まっている。
校舎の方から帰ってくる学生は当然一人もいなかった。
アルマークたちは誰ともすれ違うことなく、真っ暗な校舎の前までたどり着いた。
「出なかったな」
コルエンが拍子抜けしたように言う。
「くそ。そう都合良くはいかねえか」
「いい運動にはなったよ」
アルマークは答えた。
「冷たい空気で頭がすっきりした。今夜の勉強も頑張れそうだ」
その言葉に、ウェンディがくすりと笑う。
「まあ、そういうことにしておくか」
ポロイスがそう言って肩をすくめる。
「戻ろう、コルエン。まさか森まで行くなんて言わないだろうな」
「そう言いたいところだけどな」
コルエンは口元を歪める。
「目的地がはっきりしてるんならともかく、この寒い中をどこに行くでもなく黒ローブに出くわすまでぶらぶらするのは、俺もさすがにごめんだ」
「君にしては賢い選択だと思うぞ」
ポロイスは真面目な顔で頷く。
「帰ろう。二人もそれでいいか」
その言葉に、アルマークとウェンディは顔を見合わせてから、ポロイスに頷き返す。
「残念なような、ほっとしたような、変な感じ」
ウェンディはそう言って微笑んだ。
「少し見てみたかった気もするけど、見なくてよかったのかも」
「そのうち突然会うかもしれない」
アルマークは言った。
「その時までに、男が何を探しているのか考えておかないと」
「なんだか試験科目が一つ増えたみたいだね」
ウェンディの言葉に、アルマークは頷く。
「うん。そんな感じだ。何か思いついたら、教えてよ」
「もちろん。真っ先に教える」
「仲がいいな、君たちは」
ポロイスが珍しいものを見るようにアルマークたちを見た。
「以前からどこかで知り合いだったのか」
「まさか」
アルマークは目を丸くする。
「この学院で出会ったに決まってるじゃないか」
「それにしては、ずいぶん親密だな。なんというか」
ポロイスは、灯の火をふわりと上空に飛ばすと腕を組んだ。
「知り合って一年足らずとは思えない。もっと長い付き合いのように見える」
「ポロイス、お前も自分の許嫁を思い出したんじゃねえのか」
コルエンがからかうように言い、それを聞いたウェンディが顔を赤くする。
「そういう話じゃない」
ポロイスは嫌な顔をした。
「まあ、とにかく帰ろう。こんなところでぼんやりしていると身体が冷え切ってしまう」
そのポロイスの言葉には、誰も異存はなかった。
再び連れ立って歩き出したその時だった。
まず気付いたのはアルマークだった。
一瞬遅れて気付いたコルエンがそちらに向かって飛びかかろうとするのを、アルマークが素早く手で制止する。
「あっ、あれ」
「む」
ウェンディとポロイスも、コルエンの挙動でようやく気付く。
茂みの奥の暗がり。
そこに、黒いローブをまとった男が佇んでいた。
「気が付いたら並んで歩いてるんじゃなかったのか」
アルマークは低い声で囁く。
「立ってるじゃないか」
「俺に言うなよ」
コルエンが囁き返す。
「あいつの事情だろ。あいつに訊けよ」
体つきから見て、男の年齢はアルマークたちよりもだいぶ上に見えた。
だが、同じような黒ローブをまとっていた銅貨の魔術師たちほどの老人ではない。
イルミスと同じか、少し上くらいか。
その手には何も持っていない。
アルマークたちは、しばらく無言で男と向かい合った。
フードをかぶっているせいで、男の表情はうかがいしれない。
だがアルマークは、男の視線が自分に注がれているのを感じていた。
どこか遠くで風の音が聞こえる。
コルエンが焦れたように一歩踏み出した。
「よせ」
アルマークは鋭い声でそれを止める。
「動いちゃダメだ」
「でもよ」
コルエンが舌打ちする。
「待てないのは弱い証拠だぞ、コルエン」
アルマークは厳しい口調で言った。
その時、男の口元がふと歪んだ。
何か喋る。
アルマークはとっさに耳を澄ませる。
「探している」
男の低い声が聞こえた。
「大事ではない、だが大事なものを」
「何だ、それは」
アルマークは男に尋ね返した。
「あなたが探しているものとは、何だ」
しゅう、と空気の漏れるような音がした。
「笑ってる」
アルマークの背後で、ウェンディが呟く。
「アルマーク。あの人、あなたを見て笑ってる」
「分からぬのか」
男は言った。
その声は、どこか愉しんでいるようにも聞こえた。
「では、仕方あるまい」
全く動いていないのに、アルマークたちの目の前で男の身体がぼやけた。
まるで、不意に目の焦点が合わなくなったかのように。
「消えちまう!」
「コルエン!」
コルエンがアルマークの制止を振り切って男に飛びかかった。
しなやかな長身が躍動する。
だがその瞬間、男の周囲の空間が歪んだ。
「くそっ」
男がさっきまでいたはずの場所の草を引きちぎってコルエンが怒りの声を上げる。
離れた場所にふわりと現れた男に向けて右手を突き出したコルエンを見て、アルマークが叫んだ。
「よせ、コルエン」
「止めるな」
コルエンが叫び返す。
魔法の力が顕現する。
物体浮遊。引き寄せの術で、コルエンが男を引き寄せようとしているのがアルマークにも分かった。
危ない。
アルマークの勘が危険を告げる。
アルマークは背負ったマルスの杖に手をかけた。
「うおっ」
コルエンの叫び声。
その長身が見えない力に弾き飛ばされるようにして道の向こうまで吹き飛んだ。
「コルエン!」
ポロイスが叫んで、道に倒れたコルエンに駆け寄る。
ウェンディを庇うようにして前に出たアルマークに、男は言った。
「示せ」
「何をだ」
アルマークがそう言い返した時には、男の姿は消えていた。
「あの野郎、今日はずいぶん喋ったな」
のんきな声でそう言いながら、コルエンがむくりと上半身を起こした。
「大丈夫かい、コルエン」
アルマークとウェンディが駆け寄って声をかけると、コルエンはポロイスの手を借りて立ち上がった。
「ああ、なんてことねえよ」
そう言って、服についた土を手で払う。
「きっとあれは返しの術よ」
ウェンディが心配そうにコルエンの動きを見守りながらそう言った。
「あなたの引き寄せの術が、そのまま返されたように見えた」
「そうかもしれねえ」
コルエンは頷いて、唇に滲んだ血をぺろりと舐める。
「魔法が発動した瞬間に、自分の身体のほうが吹っ飛んだからな」
「怪我は?」
ウェンディが治癒術をかけようとコルエンの前に立つ。
コルエンは苦笑して手を振った。
「いらねえよ。こんなの怪我のうちに入らねえ」
「君が頑丈なのは知っているが、無茶はするな」
ポロイスが言う。
「試験前に怪我でもしたらどうするんだ」
「そういや試験前だったな」
コルエンは今思い出したように言うと、男の消えた辺りを悔しそうに見た。
「今夜のところはこれでおしまいか。また逃したな」
「今夜のところはって」
ポロイスは顔をしかめる。
「まさか、まだやる気か」
「当たり前だろ」
コルエンは当然の顔で頷く。
「あいつの正体も突き止めてねえだろ」
「君の気持ちは分かるが、もういいだろう」
ポロイスは険しい顔で言った。
「あの男とアルマークが会話をするところまで見られたんだ。もう十分だろう。あとは先生に任せよう」
「こんな面白えこと、先生になんか任せられるかよ」
コルエンはそう言って笑う。
その笑顔に、アルマークはいつかの森の原っぱでのコルエンの笑顔を思い出した。
「お前らは、大事かどうか分からねえ物とやらが何なのか考えてくれ」
「君はどうするんだ」
アルマークが訊くと、コルエンはにやりと笑って答えた。
「俺は、あいつの捕まえ方を考える」
寮への帰り道。
アルマークと並んで歩いていたウェンディがぽつりと言った。
「あの人、アルマークを見てたね」
「君もそう思ったかい」
アルマークはウェンディの横顔を見る。
「僕もそれは分かった。でも、危険だとは思わなかった」
危ないと思ったのは、コルエンが魔法を使おうとしたときだ。
「うん」
ウェンディは頷いた。
「私もうまく言えないけど、ボラパみたいな魔物とか、あのライヌルっていう人が持つ力とは違うのは分かったよ」
二人の前を歩くコルエンは賑やかに男を捕まえる方法を語り、その隣でポロイスは真剣な顔で男の探しているものについての推理を巡らせている。
「アルマークも、またコルエンたちとあの人を探しに行くの?」
ウェンディが探るようにアルマークを見た。
「うーん、どうかな」
アルマークは首をひねる。
「でも、もしかしたら一人で行くかもしれない。答えが分かったら」
「そう」
ウェンディは微笑む。
「気をつけてね」
「ありがとう」
アルマークはそう言ってから、ウェンディを不思議そうに見た。
「君はもう来ないのかい」
「うん。私はもういい」
ウェンディは頷いた。
「あの人は、きっとアルマークに害を及ぼす人じゃない気がするから」




