談話室
翌日の朝。
早くからアルマークは、ウェンディと談話室で勉強を始めた。
なるべくウェンディの迷惑にならないようにと、アルマークは前日の夜のうちに自分の分からないところを書き出し、すぐに質問ができるよう準備してきていた。
「ああ、そういうこと」
書いてある内容を見て、ウェンディが微笑む。
「アルマークの分からないところの傾向が見えたよ」
「本当かい」
「うん。これなら大丈夫。すぐに解決するから」
部屋の隅の席で、二人で顔を寄せあって勉強しているところに、慌ただしくコルエンとポロイスが駆け込んできた。
「おう、こんなところにいたのか、アルマーク」
そう言って近付いてきたコルエンは、ウェンディが一緒に座っているのを見て目を丸くする。
「ウェンディも一緒か。お前ら仲いいな」
「あ、うん」
ウェンディが顔を上げて答える。
「おはよう、コルエン。ポロイス」
「二人ともおはよう」
アルマークもそう言って立ち上がった。
「どうしたんだい、そんなに慌てて」
「おう、実は見ちまったんだよ。俺たちも」
コルエンは声を潜めた。
「えっ、まさか」
「そのまさかだ」
コルエンの隣でポロイスが頷く。
「昨日、君と出会った後、校舎にほど近い道で黒ローブの男を目撃した」
「捕まえたかったんだけどよ」
コルエンが悔しそうに言う。
「逃げられたぜ。消えちまったんだ」
コルエンたちの話によれば、道を歩いているときにその男は不意に現れたのだという。
滑るように二人の隣を並走している黒ローブの男に、先に気付いたのはポロイスだった。
ポロイスがとっさにコルエンの肩を叩くと、コルエンは野性の凶暴さで物も言わずに男に飛びかかった。
だが、コルエンの両腕は空を切った。
黒ローブの男は、実体のない幻ででもあるかのように二人からふわりと距離を取り、闇の中に消えた。
「消える直前に、言い残していったよ」
ポロイスが言う。
「大事ではないが、大事なもの。それを探している、と」
「またその言葉か」
アルマークは腕を組む。
「でも、探している、と言ったんだね」
「ああ」
コルエンは頷く。
「確かにそう言ったぜ」
それは、昨日の2年生の情報にはなかった。
「つまり、その大事ではない云々は、探すことのできるものだということだ」
ポロイスが言った。
「何か、そういうものがありそうな気はするんだがな」
そう言って、もどかしそうな顔をする。
「思いつかないんだ」
「そうだね。僕ももう少し考えてみるよ」
アルマークはそう答えてから、二人に確かめる。
「やっぱり出るのは遅い時間なんだね」
「ああ」
コルエンが頷く。
「昨日のは、2年が見た時間よりはだいぶ早いけどな」
「日が沈んでから、か」
そう返してから、アルマークはふと疑問を抱く。
「でも、キリーブたちが見たのは、授業が終わった後って言ってなかったっけ」
「ああ、あれな」
コルエンが口元を緩めた。
「いい加減な話でよ。よくよく話を聞いたら、授業が終わった後に図書館で時間つぶして、帰ったのは結構遅かったらしいぜ」
「昨日の僕らと同じくらいの時間だそうだ」
ポロイスが補足する。
「まあ、だからどうというわけでもないのだが」
「あの野郎。自分の自慢話ばかりしやがって、肝心なことを適当に話しやがった」
コルエンは鼻を鳴らす。
「それなら、四日前っていうのも怪しいね」
アルマークが言うと、ポロイスが首を振る。
「いや、そこは頑強に言い張っていたな。四日前に間違いない、と。だから今日から数えるともう六日前か」
「それも、どうだかな」
コルエンは笑った。
「目撃したというほかの下級生にも、一応聞いてみたが」
ポロイスが言う。
どうやら、コルエンとポロイスはこの件に関してずいぶんと動き回っているようだ。
「皆、見たのはここ数日のことだ。もしかすると、キリーブたちが第一発見者なのかもしれない」
「噂が出始めたのもちょうどその頃らしいね」
アルマークは頷く。
「キリーブに聞きに行って正解だったな」
「俺たちが聞いた中には、日が沈む前の夕方に見たって奴らもいたぜ」
コルエンが言う。
「時間は関係ねえんじゃねえかな。いや、まだそう断定するのも早えか」
「うん」
アルマークは頷いた。
「可能性はまだどれも消せないね。僕ももう少し考えてみるよ」
「ああ、頼む」
ポロイスは頷いてから、コルエンをちらりと見る。
「それで、だな」
コルエンがポロイスに呼応するように身を乗り出した。
「今晩、もう一度同じ時間に校舎の方に行ってみようと思ってるんだ。アルマーク、お前も行こうぜ」
「懲りないね」
アルマークは苦笑する。
「昨日の今日で」
「次は捕まえる」
コルエンの目が一瞬獣のような光を帯びる。
「付き合えよ、アルマーク」
「今晩か」
アルマークは考えた。
試験前の大事な休日だ。勉強する時間は少しでも惜しい。
普通なら、わざわざこんなことに首を突っ込んでいる場合じゃない。
だが同時にアルマークは、イルミスからこの件を調べてみろと言われたことを思い出していた。
実際のところ、校舎まで行くだけなら大した時間はかからない。
それに、先生が僕に調べてみなさいと言うってことは、きっと僕にとって何か意味のあることなんだろう。
「うん、分かった。行くよ」
「おう」
コルエンがにやりと笑う。
「そうこなくちゃな」
「よし。それなら夕食後に」
言いかけたポロイスが、アルマークの背後を見て動きを止めた。
コルエンもきょとんとした顔でアルマークの背後を見る。
異様な雰囲気を察してアルマークが振り返ると、ウェンディの手が、ぴん、とまっすぐに挙げられていた。
「ええと、ウェンディ」
ポロイスが困惑したように声をかける。
「君のその手は、どういう」
「決まってるでしょ」
ウェンディは答えた。
「私も行きます」
気圧されたようにコルエンとポロイスが夕食後の約束をして帰っていった後、ウェンディは真剣な顔でテーブルに向き直った。
「さ、アルマーク。勉強しよう」
そう言って、コルエンたちが来るまでアルマークに解説していた部分をもう一度指差す。
「夜、校舎の方に行くなら、昼間のうちにどんどんやっちゃいましょう」
「うん」
アルマークは頷いて、椅子に座り直す。
「ごめん、ウェンディ。なんだか、付き合わせたみたいになってしまって」
「ううん」
ウェンディは首を振る。
「私が付いていくって決めたんだから、いいの」
「多分、闇とも関係ないみたいだしそんなに危険はないと思うんだ」
「それならそれでいいの」
ウェンディは言った。
「アルマークが、私の知らないところで危ない目に遭っているのが心配なだけだから」
「うん」
アルマークは頷く。
確かに僕だって、自分の知らないところでウェンディが危ない目に遭っていたら心配で仕方ない。
とりあえず、今夜一巡りしてみて、何も出なければそれできっとウェンディも納得してくれるだろう。
アルマークはそう考えて、目の前の勉強に集中した。




