模声
模声の術は、風の魔法に分類される。
もちろん、声を発する喉に直接魔法をかけるわけではない。
変化させるのは、発された声のほうだ。
声を魔力で包み、加工し、対象の声に近付けていく。
魔力が変えてくれるのは、声の質だけだ。
だから対象そっくりに話したければ、話す内容はもちろん、口調や語気、間などは自らが研究しなければならない。
「声の形を感じるんだ」
ガレインがフィッケの声で言った。
「形は、イメージだ。だから正解はないぜ」
そう言って、自分の耳を指差す。
「よく聞いて、相手の声の形をしっかりとイメージするんだ。それから、自分の声に魔力をかぶせて、その形に作り変えていく」
「今日はよく喋るな、ガレイン」
フィッケが全く同じ声でそう言って笑う。
「自分の声じゃこんなに喋らないのにな」
「話し声を真似るってことは、そいつの考えを読むってことでもあるんだぜ、アルマーク」
フィッケに構わず、ガレインはフィッケの声と口調で続ける。
「俺の中に小さいフィッケを入れてやるんだ。そうしたら、そいつが勝手に喋りだす」
「行動予測だね」
アルマークは頷く。
寮のルームメイト同士のフィッケとガレイン。
ガレインの中には、もう確固たるフィッケのイメージがあるのだろう。
「僕にはそこまでしっかりとしたフィッケのイメージはないからな」
「どこまで俺に近づけられるかな」
ガレインがそう言ってにやりと笑う。
「いや、近づけるのは俺の方にだろ。お前は偽者なんだから」
フィッケが慌てて声を上げる。
「この声は俺のだぞ。やらねえからな」
「まあ、そう堅えこと言うなって。悪いことする時に使わせてもらうからさ」
「おい、勘弁してくれよ」
ガレインの返事にフィッケが悲鳴を上げる。
「なるほど」
アルマークは感心して頷く。
「声が似ているだけじゃない。話す内容も、確かにフィッケが言いそうな感じだ。よく研究されてる」
「ま、そこまでは無理だろうからさ」
ガレインは言う。
「まずは声だけでも似せてみな」
「分かった」
アルマークは本家フィッケに向き直る。
「フィッケ。喋ってみてくれ」
「喋ってみてくれって言われてもな」
フィッケは困った顔をする。
「さっきからずっと喋ってるぜ、俺。これ以上何を喋ればいいんだよ。俺だって何の話題もなくぺらぺらと喋れるほどお喋りってわけでもねえんだぜ」
アルマークはその言葉に耳を澄ます。
フィッケの声は、尖っている。
それは決して嫌な尖り方ではない。人によっては、弾んだ、と表現するかもしれない。
でも、僕の感覚では、僕の言葉では、これは、尖る、だ。
「なあ、アルマーク。黙ってないで何とか言えよ。俺、何を喋ればいいんだよ。聞いてるか? おーい」
高い声。だが、バイヤーほどではない。
感情豊かなフィッケらしく、一本調子ではなく高さも上下する。
アルマークは、その声に見合った形をイメージしていく。
そして、それと同時に体内で魔力を練り上げていく。
ふっと吐いた自分の息に、魔力をかぶせてみる。
違う。
これじゃ、単なるとげとげしい形だ。
もう少し、とげの形を減らして。
「アルマーク。なあ。俺、さっきから一人で喋ってるんだけど。いつの間にかガレインも喋らなくなってるし」
ガレインはおそらく、オリジナルの声をしっかりと聞かせようと配慮してくれたのだろう。またいつもの無表情に戻って、アルマークをじっと見つめていた。
「お前ら、なんか怖いぞ。急に黙るなよ、不安になるだろ。あのー、聞こえてますかー」
「フィッケ」
不意にアルマークが声を発した。
フィッケが思わず目を丸くして口をつぐむ。
その声が、アルマークの声とはまるで違っていたからだ。
「もっと喋ってくれ」
アルマークは言った。
まだ違う。
自分の声に、さらに魔力で手を加えていく。
「声が変わってきたな」
フィッケは言った。
「俺の声にそっくりじゃねえか」
「いや」
ガレインが首を振る。
「全然似てない」
その声は、ガレイン自身のものだ。
「似てないか? 自分の声って正直、自分じゃよくわかんねえんだよな」
フィッケは首をひねる。
「うん、まだ遠いね。分かってる」
アルマークはガレインに答える。
その声は、また先程までとは少し違う。
「これじゃまだちっともフィッケじゃない」
「ああ。ネルソンみたいな声だ」
ガレインがぼそりと答える。
「フィッケはもっと声が高い」
「そうか。まだ高いのか」
「え、俺ってそんなに声高いか?」
フィッケの声に、アルマークは心の中で頷く。
本当だ。
さらに高い。
思い切って、とげは一つにしようか。
アルマークは試行錯誤を続ける。
「そうやって真剣な顔で俺の声を分析されると、それはそれですごく恥ずかしいんだけど。なあ、聞いてる? こんなことなら話し相手にアインも連れてくればよかったな。そういや、アインっていえばここだけの話だけど」
どれくらい、フィッケの独り言による独演会が続いただろうか。
「……これだ」
アルマークは言った。
「これが、僕の考えるフィッケの声の形。これがフィッケの声だ」
「違う。フィッケはそんな冷静に喋らない」
ガレインはぼそりと言った後、にやりと笑った。
「でも、声はフィッケそのものだ」
「ええ? 俺と同じ声か? 違う気がするけど」
フィッケがアルマークと同じ声を上げて首をひねる。
「同じだよ、お前と全く一緒だよ!」
ガレインが二人と同じ声で言った。
「すごい。これで僕たち三人ともフィッケか」
アルマークがフィッケの声で言う。
「だからアルマーク、もう少し喋り方をフィッケに近づけろってば」
ガレインがフィッケの声で答える。
「わはははは。なんか分かんねえけど、おもしれえな」
フィッケがフィッケの声で笑う。
「フィッケの声のコツが掴めた」
アルマークは言った。
「もう少し、このまま会話しよう」
三人のフィッケの声が魔術実践場に響き渡る。
「おい、今喋ってるのどっちだ。アルマークか、ガレインか」
「今の声は自分の声だろ、フィッケ」
「俺だってさすがに自分が喋ってるかどうかくらい分かるよ!」
「わはははは」
「ぎゃはははは」
「アルマーク、笑ってばっかじゃなくて何かもっと喋ってみろよ」
「エメリアが怖い」
「確かにそういうこと言うけどさ、何で今その話題だよ」
「わはははは」
「ぎゃはははは」
「ああ、うるさい」
ラドマールが立ち上がり、うんざりした表情で叫んだ。
「僕はもうお前ら三人を頭の中で五回ずつは殴り殺したぞ。それも毎回徹底的にだ」
その言葉を聞いて、イルミスが薄く笑う。
「だが、何度殺しても湧いて出てくる。さすがにこれは僕のせいじゃない。今日はどう考えてもお前らのせいだ。特に、一度たりとも口を閉じなかったお前。お前は頭がおかしい」
ラドマールに指さされて、フィッケはきょとんとする。
「え、俺か。でもみんな同じ声だから、他の二人の分も俺のせいにされてるだろ」
「いや、お前だ」
ラドマールは首を振る。
「他の二人の声は時々微妙にぶれる。ぶれが大きいのがアルマーク、小さいのがそっちの身体の大きいやつの声だ。でもお前の声はちっともぶれない。お前の声が二人の声のオリジナルだ」
ほう、とイルミスが珍しく声を上げて微笑んだ。
「よく聞いていたな」
「そのとおり。確かに俺がオリジナルだ」
フィッケはなぜか誇らしそうに言った。
「だけどな、名前の分からねえ下級生よ」
そう言ってラドマールを見る。
「瞑想できねえのを、人のせいにしちゃいけねえぜ。うちのクラス委員のアインなら、こう言うぜ」
フィッケは、アインの真似のつもりなのか、心なしか顎を反らして偉そうな顔つきをする。
「本当に集中したいのならば、心の耳を閉じろ」
「アインの声だ」
アルマークが目を丸くする。
「いや。俺の尊敬するトルクならこう言うぜ」
フィッケの声でガレインが口を挟んだ。
「集中できないなんて言うやつは、そもそも集中する能力がねえんだ」
冷笑混じりのその声も、トルクの声そのものだった。
これは、僕も参戦しないと。
集中するときの言葉。
そう考えたとき、真っ先に浮かんだ言葉は。
「いや。俺の父さんならこう言うぜ」
アルマークもフィッケの声で言った。
心の中にいつも聞こえる父の声。
その声の響きは小さな抑揚まではっきりと思い出せる。
そうか。
ガレインが毎日フィッケの話を聞き続けて小さなフィッケに棲みつかれたように、僕も自分の中に父さんのイメージを作り上げていたんだ。
それは、長い旅の間ずっと。
いや。
物心ついてから、ずっとだ。
ずっと、僕は父さんの背中を追いかけてきた。
「アルマーク、心配すんな」
そう口に出してみる。
声に、自然に魔力がかぶさった。
試行錯誤するまでもなかった。
ああ、これだ。
懐かしさがこみ上げる。
これは、父さんの声だ。
「人間なら誰でも集中するもんだ」
低い大人の声で、アルマークは言った。
「集中しなきゃ死んじまうって場面になりゃあな」
言い終えた後、少し涙が滲んだ。
ラドマールはアルマークたち三人の顔を呆然と眺めた後、諦めたように膝から床に座り込んだ。
「先生」
ラドマールは力なく言う。
「僕は時々、自分が無性に愚かに思えます」
「そうか」
イルミスは頷いた。
「私もだ」
その言葉に、ラドマールは顔を上げてイルミスを見る。
「私も時々、自分が愚かしく思えて仕方なくなる」
イルミスは言った。
「そんな、まさか」
ラドマールは半笑いで首を振る。
「先生が」
「そういう時は、私は外の世界から自分を切り離す」
イルミスは言った。
「自分一人になれば、比べる対象は存在しない。愚か、という概念も無用になる」
イルミスは口元を緩めた。
「私は、そうして生きてきた」
意外な言葉に、アルマークもガレインも、フィッケまでもが黙ってイルミスを見た。
「今日はいろいろな言葉をもらったな、ラドマール」
イルミスはラドマールを優しい眼差しで見た。
「君にとって、今日は良い日だった」
ラドマールは返事もせず、呆然とイルミスの顔を見つめた。




