イメージ
木箱がふわふわとアルマークとデグの前に漂ってくる。
慌てて手を伸ばすアルマークを、デグはにやりと笑って止めた。
「大丈夫だよ、アルマーク。あの下級生の瞑想に気を使ってるんだろ」
そう言って、木箱をゆっくりと床に下ろす。
徐々に高度を下げた木箱は、最後にかすかにきしむような音だけを立てて着地した。
「さすがだな」
アルマークは目を見張る。
「こんなに静かに下ろせるんだね」
「まあね」
デグは得意げに微笑む。
「普段は面倒くさいからやらないだけだよ」
そう言うと、アルマークにも木箱の中の石を手渡す。
「じゃあ、アルマークもやってみてよ」
「分かった」
アルマークは頷いて、石を床に置く。
デグに倣って、杖は使わない。
練った魔力を右手のひらに集め、床の石を見つめる。
イメージは長い手だ。
魔力で作った目に見えない手で石を持ち上げ、その腕を伸ばして遠くに置く。そんなイメージ。
アルマークの魔力が、石を持ち上げる。
だが、石は空中で頼りなく揺れる。
やはり、杖を使うときと違って魔力はなかなか安定しない。
勘違いするな。これが僕の実力だ。
アルマークは自分にそう言い聞かせて、イメージを固めていく。
イメージしろ。
確固たる、揺らぐことのない手を。
アルマークのイメージの高まりとともに、石の震えが止まる。
「おっ」
デグが嬉しそうな声を出した。
「安定したぞ」
「うん」
アルマークは頷き、今度は腕を伸ばすイメージを広げていく。
腕がするすると伸びて、その先の床に石を置くイメージ。
そのとおりに石が空中をふわふわと進んでいく。
最後に床に置く時に、ごっ、と硬い音はしたが、石はアルマークの意図した場所にきちんと収まった。
「できた」
アルマークは額に汗を浮かべてデグを振り返る。
「どうだい」
「うん」
デグは笑顔で頷く。
「この学院に来てたった一年で、もうこんなことができるんだもんな。アルマークはやっぱりすげえよ」
「ありがとう」
「でも」
デグは笑顔のままで続ける。
「これが俺たち初等部3年生の魔法だとすると、ちょっと物足りないよな」
「やっぱりか」
アルマークはうなだれた。
「それは分かっていたよ。君の浮遊の術と比べて、僕の石の動きには滑らかさが全くないからね」
「まあ、そう悲観したもんでもないよ」
デグは相変わらずの調子で言う。
「たぶん、一つ二つ直してやれば格段に良くなるぜ」
「そうなのかい」
「そりゃそうさ」
デグは頷く。
「基本はできてるんだから」
そう言って、また自分の魔法でアルマークの動かした石を自分のもとに引き寄せる。
「アルマークはこの魔法を使うとき、どんなイメージをしてるんだい」
「長い手だよ」
アルマークは答える。
「そう習ったからね」
「ああ。最初はそう習うよな」
デグは頷いた。
「イルミス先生もアルマークに教えなきゃならないことが多すぎて、忙しいんだろうな。アルマークがそれができちゃったから、まあとりあえず良しとしたんだろうな」
「え?」
アルマークは眉をひそめる。
「どういうことだい」
「だから、あの、あれだよ」
デグは頭を掻く。
「なんていうか、そのやり方じゃ合わないやつもいるんだ」
「合わない?」
アルマークはますます混乱する。
「それってつまり」
「なんだっけ。ええと」
デグはじれったそうに顔をしかめた。
「そうそう、思い出した。魔力の質」
「魔力の質……?」
アルマークの混乱に拍車がかかる。
「よくわからないな」
「俺も、うまく言えないけどさ」
デグもアルマークと同じくらい困った顔をした。
「とにかくそれぞれの魔力の質によって、得意な方があるらしいんだ」
デグはそこまで言ってから、見せたほうが手っ取り早いと思ったのか、魔法で再び石を浮かす。
「浮遊の術って、浮かせた後に二種類あるじゃないか」
そう言ってみたものの、ぽかんとしているアルマークの顔を見て、また困った顔をする。
「ええと、だからつまり」
デグは石を遠くに飛ばす。
石はすごい勢いで実践場の壁に向かって飛んでいくと、空中でぴたりと動きを止めた。
「こうやって遠くに飛ばすのと」
それから、その石をふわりと軽やかに自分の目の前に引き戻す。
石はデグの前でまたぴたりと止まった。
「こうやって、近くに引き寄せるのがあるだろ」
「ああ、そういうことか」
アルマークは頷く。
「でも、どっちも浮遊の術じゃないのかい」
「そうだけど、イメージの仕方で、得意不得意があるんだってさ」
デグは要領を得ない説明を続ける。
「長い手をイメージすればうまくいく方の魔力のやつは、引き寄せるのが得意なんだって。そうじゃないやつはもう一つのタイプだから、なんていうか」
「つまり、長い手のイメージではうまくいかない人は、引き寄せるんじゃなくて遠くに飛ばすのが得意な可能性があると」
「そうそう、そういうこと」
デグが嬉しそうに頷く。
「やっぱりアルマークは察しがいいなぁ」
「いや、君の説明のおかげでなんとなく分かった」
アルマークは言う。
確かにボラパとの戦いでウェンディに引き寄せられたとき、大きな手で掴まれて引っ張られるような感覚があった。
きっとウェンディの魔力の質は、そちらだったのだろう。
「それじゃ、長い手であまりうまくいかないときは、何をイメージすればいいんだい」
「ペンだよ」
「ペン?」
アルマークは怪訝な顔をする。
「ペンって、あの」
そう言って、手で書く仕草をしてみせる。
「ペンかい」
「そうだよ」
デグは頷くと、自分の手のひらの上に石を載せてアルマークに見せる。
「今、ここに石があるだろ」
「うん」
「イメージのペンで、線を引いてやるんだ。少し上の空間まで」
デグの言葉が終わるか終わらないかのうちに、石が浮き上がった。
「それから、今度はペンで向こうの空間まで線を引く」
そう言って、デグは壁の方へ目をやる。
一瞬後、石がそちらへ猛烈な勢いで飛んでいった。
かと思うと、やはり壁にぶつかる直前でぴたりと動きを止める。
「ぴたっと止める時は少しコツがいるよ。俺は、線の先にぐるぐるって黒丸を作っちゃうけど、そこは人それぞれかな」
「そうか。こっちは長い手のイメージに比べて、動きがずっと直線的だね」
アルマークは新しい発見に目を輝かせる。
「ああ。引き寄せる時は、向こうからこっちに線を引くイメージがちょっと難しいし、安定しないこともあるけど」
デグが言うと、また石がまっすぐにデグの手元に戻ってきてぴたりと動きを止めた。
「まあ、慣れだね」
「すごい」
「慣れだってば」
デグは肩をすくめる。
「俺は動くのが面倒で、毎日この魔法使ってるからな」
「そうか」
生活に根ざした技術は強い。
毎日毎日、自然に使うことで、その技術は無意識の水準まで研ぎ澄まされていく。
そのことはアルマークも知っていた。
なんとなれば、アルマークの剣技そのものが、傭兵生活に根ざして磨かれたものだったのだから。
「たくさん使うことだね」
「そうそう」
デグは話が通じたことに嬉しそうな顔を見せる。
「そういえばデグ、君は長い手とペンと、どっちもできるんだね」
「練習すりゃどっちもそれなりにできるようになるよ」
デグは誇るでもなく、そう答えた。
「だってほら、急いで手元に欲しいものもあるけど、熱い飲み物とかはゆっくり運んでこないと危ないだろ」




