キリーブの話
「さて、それじゃあ始めるか」
そう言ってキリーブは話し始めようとして、自分の周りに男子がやけに密集しているのに気付いて顔をしかめる。
「ああ、むさくるしい」
キリーブの座る椅子の周囲には、アルマークの他にコルエンとポロイス、それにゼツキフやルゴンたちまで集まっていた。
「お前のクラスはいいな。女子が多くて」
キリーブはアルマークを睨みつけ、吐き捨てるように言う。
「そのせいで、見ろ、うちのクラスを。男ばかりだ」
「ああ、そうみたいだね」
アルマークは頷く。
「僕は男だけでも別に気にならないけど」
むしろ、傭兵団では母隊と一緒に行動していなければずっと男ばかりの生活だった。
男だけの飾り気のないこの空気には馴染みがある。
「ふん、持たざる者の気持ちは分からんか」
アルマークの返答を誤解したキリーブは、皮肉な笑みを浮かべる。
「お前もうちのクラスに三日も来てみれば分かるさ。男ばっかりの中に、たまにいる女子だって、ロズフィリアみたいなやつだ。劇のあいつを見ただろ、言うに事欠いて魔神だぞ、魔神。お前のクラスの女子がお姫様だの王妃様だのやった次の日に」
「うるせえな、今に始まったことじゃねえだろ」
楽しそうにそう言って、コルエンが後ろからキリーブの背中を蹴った。
「早く始めろ」
「くそ、覚えていろよコルエン」
キリーブは振り向いてコルエンを恨めしそうに睨む。
「僕の家系は13歳を過ぎてからぐっと背が伸びるんだ。お前の背を追い抜いたら今みたいに蹴ってやるからな」
「おう、楽しみにしてるぜ」
コルエンが笑い、ポロイスも苦笑する。
「キリーブ、君のぼやきは一流だが、そればかり聞かされていたら昼休みが終わってしまう。女子がたくさんいて楽しい2組にアルマークが帰る前にちゃんと質問に答えてやったらどうだ」
「ふん。貴族でもないやつにやけに親切にするんだな、お前らしくもない」
キリーブはポロイスを睨んだ後で、諦めたように肩をすくめた。
「分かった分かった。話してやるから、もう僕を煩わせるなよ」
「ああ」
アルマークは頷く。
「頼むよ」
キリーブの話によると、その男の姿を見たのは数日前。
「五日も前ではないが、三日前と言うほど最近ではない日のことだ」
「じゃあ四日前じゃねえか」
コルエンが苦笑する。
「そうとも言うな」
キリーブは頷く。
「お前にもその程度のことは分かるか」
「要点だけきちんと話せ、キリーブ」
笑顔のままでコルエンは言った。
「校舎の窓からまた吊るされたくなかったらな」
「二度とあんなことをやってみろ」
キリーブはコルエンを睨みつける。
「次はデミトル先生じゃなくてイルミス先生に言いつけてやるからな。その次は学院長だ」
「話が脱線するのが早い」
ポロイスが冷静にたしなめる。
「それに、言いつけるならマイアさんが一番効果的だ」
「ばか、余計なことを教えるな」
コルエンは顔をしかめた。
「いいことを聞いたぞ」
キリーブが口元を歪める。
「僕に何かしてみろ。マイアさんに言いつけてやる。お前の部屋は没収だ。植え込みの陰で夜を明かすがいい」
「怖くてマイアさんとまともに口もきけねえやつが何言ってやがる」
コルエンが笑顔で言い返す。
「1年のときにこっぴどくやられてから、マイアさんの目も見られねえくせに」
「目など見なくても口さえ動けばお前の悪行は伝えられる」
「アルマーク、お前がキリーブに先を促したほうがいいぞ」
ルゴンがそっとアルマークに耳打ちした。
「こいつらの話を放っておくと、いつになっても結論にたどり着かない。昼休みを無駄にするぜ」
「ああ、そうみたいだね」
アルマークは、森の原っぱで自分が立会人を務めたポロイスとガレルの決闘のことを思い出した。
貴族という人種は、こういう口論めいたやり取り自体にも意味や面白さを見出しているのかも知れないが、今はそれをじっくりと聞いている暇はない。
アルマークはキリーブたちの会話に口を挟む。
「キリーブ、四日前にどこで黒ローブの男を見たんだい」
「ああ、そうだったな」
キリーブは舌打ちしてコルエンを睨むと、アルマークを見た。
「僕だってこんな話、さっさと終わらせたいんだ。それをこいつが」
「さっさと話せ」
コルエンが顎をしゃくる。
「俺のことはいいからよ」
「うるさい。分かってる」
キリーブが話したところによれば、彼が男を見たのはその日の授業が終わった後、エストンと二人で寮への道を歩いていたときだった。
「不意に寒気がしたんだ」
キリーブは言った。
「何か邪悪な気配を感じて、僕は横を見た。エストンはまるで感じていなかったから、僕が肩を叩いて気付かせてやった」
「うん」
アルマークは頷く。
「それで?」
「僕はそういうものには敏感なんだ。霊感は楽器の音感にも通じるものがあるからな。以前にも邪霊の影を見たことがある。その時にはこいつらが一緒にいたが、どいつもこいつも間抜け面を晒してぽかんとしていた」
「お前の自慢はいいんだ、キリーブ」
コルエンがまたキリーブの背中を蹴る。
「さっさと話さねえと、また武術場の裏の木に吊るすぞ」
「二度とあんなことをやってみろ」
キリーブはコルエンを憎憎しげに睨む。
「戦争だ。僕の家とお前の家とで」
「勝手に親を巻き込むな」
コルエンが笑う。
「お前が自分でかかってこい」
「14歳になったらだ」
キリーブは吐き捨てる。
「そうしたらお前を指でつまんで川に捨ててやる」
「どこまで背を伸ばす気だ。巨人にでもなるつもりか」
ポロイスが呆れたように言った。
ルゴンに肘でつつかれ、アルマークは咳払いをする。
「それで、その男はどんな様子だったんだい」
「どんな様子も何も」
キリーブはアルマークを睨む。
「そいつは僕らと並んで歩いているように見えた。だが、向こうは茂みの中だ。道を歩いているこちらと同じ速度で同じように歩けるはずなんてないんだ」
そのことに気付いたエストンが悲鳴を上げたのだという。
「その次の瞬間、男はかき消すようにいなくなっていた」
キリーブがそう言ってアルマークを見る。
「話はこれで全部だ」
「ちょっと違うな」
アルマークたちの背後から声がかかった。
その場の全員が振り向く。
そこに立っていたのはエストンだった。
「悲鳴を上げたのはキリーブだ」
エストンは言った。
「僕じゃない」
「ばかな」
キリーブが顔を真っ赤に染めて叫ぶ。
「僕は悲鳴など上げていない」
「あれを悲鳴と言わないのであれば」
エストンは腕を組んだ。
「何と呼べばいい? 奇声? 金切り声?」
「そのどれでもない」
キリーブは何度も首を振る。
「僕は多少驚いたから、それで、あ、とか、う、とか少し声を出しただけだ」
「そうか。それならあれは僕の聞き違いか」
エストンは冷静に頷く。
「せっかく魔術祭で演技の腕を磨いたんだ。今ここで僕が見間違えて聞き間違えた君の様子を忠実に再現してもいいか」
「やめろやめろ」
キリーブはさらに大きく首を振った。
「お前のせいだぞ」
そう言ってアルマークを睨む。
「どうして僕がこんなに責められなきゃいけないんだ」
「彼を責めるのはお門違いだな」
エストンはなおも冷静に言う。
「北の野蛮な民をあまり怒らせると、コルエンなんて可愛く思えるほどの仕打ちを受けるかも知れないぞ」
それを聞いたキリーブは、アルマークの魔術祭での演技を思い出したのか、ぐっと言葉を詰まらせた。
「結局、黒ローブの男は消えてしまったんだね」
アルマークは尋ねた。
「何もせずにかい」
「ああ、それは間違いない」
エストンは頷いた。
「僕もキリーブも見ていたからな。男が消えた後の茂みを覗いてみたが、そこにも何もなかった」
「何もなかったということは」
アルマークはエストンを見る。
「足跡も?」
「ああ」
エストンが目を見張る。
「頭が回るな、北の民。そのとおりだ」
その時ちょうど、昼休みの終了を告げる鐘の音が校舎に鳴り響いた。
つまらなそうに舌打ちするコルエンを横目に、エストンは言った。
「男がいた形跡は何も残っていなかった。あれが魔術の類だったとしても、わざわざそんなことをする理由は僕には分からん」




