明け方
まだ難しい顔で何か話し合っているイルミスとラドマールに挨拶をして、アルマークはバイヤーと連れ立って外に出た。
「ああ、寒い」
バイヤーが身震いする。
「冬は嫌いだよ。採れる薬草が少なくなるから」
「それでも採れる薬草があるんだね」
「まあ、少しはね」
バイヤーは頷く。
その息が白くなる。今夜はことさらに寒かった。
「それと薬草じゃないけど、冬は木の根っことかを掘り出すんだ」
バイヤーは寮への道を歩き出しながら言う。
「冬を越えて春に芽吹くための、良質な魔力が蓄えられているからね」
「なるほど」
アルマークは頷いた。
「根っこか」
北でも、根に良質な魔力を蓄えた木はたくさん生えていたのだろう。
今までは、知識がないのでそれらを素通りしてきた。
けれど、ここで学んだ後には、森で木や草を眺める目は一変するに違いない。
「明日はノリシュの番だよ」
バイヤーは言った。
「君は飲み込みが早いからね。何を教えられるかって悩んでた」
「ノリシュは風の魔法の名手じゃないか」
アルマークは答える。
「それを教えてくれればいい。悩むことなんてないのに」
「人に教えるっていうのは、またちょっと感覚が違うからね」
バイヤーはそう言って、自分の本を見せる。
「ま、僕は自分の好きなことを話しただけだけど」
「それでいいんだ」
アルマークは頷く。
「それで十分ありがたいんだよ。みんなだって忙しいのに、僕のためにそこまで時間を割いてくれる必要はないよ」
「教えるからには、ちゃんとしたものを教えたいんだ」
バイヤーは笑った。
「みんな、君にこれを教えたのは自分だって言いたいのさ」
翌日は、明け方から雨だった。
昨夜遅くまで勉強してから、ようやくベッドに潜りこんだアルマークは、まどろみながら、窓の外の雨音を聞いていた。
ああ、こっちでは真冬でも雨が降るんだな。
ぼんやりとそんなことを考える。
南は、冬なのにこんなにも暖かい。
こちらでの暮らしを知ってしまうと、北で生きるということがいかに過酷なことなのかが分かる。
冬の寒さだけではない。続く戦乱。人の悪意。魔物。
北では、人の命は簡単に消える。
だが、アルマークには予感があった。
僕は、それでも南には留まらないだろう。
いつか、北に帰るだろう。
冬。雪の降る凍える朝。
全ての物音が雪に吸い込まれて、なくなってしまったかのように感じる、あの世界に。
ドアが遠慮がちにノックされたことにアルマークは気付いた。
まだ外は真っ暗だ。晴れた日でさえ、冬の太陽が昇るのはもっと後の時間だというのに、ましてや今日はこんな天気だ。
とても誰かが訪ねてくるような時間ではない。
アルマークはベッドを降りると、そっとドアを開けた。
「ごめん、もし起きていたらと思って」
そう言って顔を出したのはモーゲンだった。
「モーゲン、どうしたんだい。こんな時間にそんな格好で」
アルマークは目を見張る。
モーゲンが雨よけの外套まではおって、すっかり外へ出かける格好で立っていたからだ。
「どこかへ行くのかい」
「うん。君も試験の勉強で疲れていると思ったんだけど」
モーゲンは声を潜めて言う。
「これから釣りに行かない?」
「釣り?」
アルマークは目を丸くした。
「モーゲン。大丈夫か、しっかりしてくれ」
そう言ってモーゲンの肩を掴む。
「寝ぼけてるのか。今日は休日じゃないよ」
「分かってるよ」
モーゲンは真面目に頷く。
「冬のこの時期に朝、雨が降ると、いい魚が釣れるんだ。朝食の前にさっと行ってこようかと思って」
「本気かい」
アルマークはドアから顔を出して廊下を見た。
廊下の壁に、釣り竿が二本並べて立てかけられていた。
アルマークは苦笑する。
「釣りか。夏の休暇以来かな」
夏の休暇には、モーゲンとよく二人で森の小川で釣り糸を垂らした。
「いいよ、行こう。僕にはじっと休むより気分転換になるかもしれない」
並んで森への道を歩く間も、冬の雨はしとしとと二人の外套を濡らす。
「モーゲン、寒くないのかい」
「そりゃ寒いけど」
モーゲンは頷く。
「今から釣れる魚への楽しみのほうが勝ってるよ」
「なるほど、君らしい」
二人は足早に校舎の脇を抜け、森の中の小川を目指した。
アルマークの出した鬼火が、雨の中でゆらぎもせずに二人の足元を照らす。
「鬼火の術、うまくなったね」
モーゲンが微笑んだ。
「イメージが固まらないと、雨や風ですぐだめになっちゃうんだ。僕も何度も失敗したよ」
「先生から、炎のイメージに囚われすぎないようにって習ったよ」
アルマークは答える。
「見た目は炎だけど、これは光なんだって」
「うん」
モーゲンも頷く。
「光は風や雨では消えないからね」
やがていつもの小川に着くと、アルマークは目を見張った。
「これは」
雨でたくさんの波紋ができた川の中に、魚の影がいくつも見える。
夏にはいつもろくに魚が釣れず、瞑想や考え事にふけっている時間も多かった。
だが、今日はまるで様子が違う。
「モーゲン」
アルマークはモーゲンを振り返る。
「魚がいっぱいいるよ」
「そうなんだよ」
モーゲンは頷く。
「冬の雨の朝は、どこからか魚が集まってくるんだ」
「君はどうしてそんなことを知ってるんだい」
「上級生に教えてもらったんだ」
モーゲンは答える。
「こっそりとね」
「まさか魔術祭の夜にネルソンたちに絡んだ連中かい」
「ジェビーたちのこと? 違う違う」
モーゲンは首を振った。
「あいつらはそんなに親切じゃないし、それにこんなことは知らないよ。教えてくれたのは“熊”だよ」
「“熊”」
アルマークは眉を上げる。
「その名前、どこかで聞いたな」
「君は会ったことがないんだね」
モーゲンは微笑む。
「“熊”は一学年上のクラス委員の一人だよ。身体が大きくて力が強くて、ぶっきらぼうだけど優しいんだ」
「童話に出てくる熊みたいだね」
「そう。だから、みんな“熊”って呼んでる」
そう言ってモーゲンはにこにこと笑う。
「本名はなんていうんだい」
「本名はね。えーと」
モーゲンはしばらく視線を宙に彷徨わせたが、諦めたように首を振る。
「忘れちゃった」
「そうか」
アルマークは苦笑した。
「まあいいや。さあ、始めよう。朝食までに帰るんだろ?」
「そうだね」
二人はいそいそと釣りの準備を整える。
魚の入った網を持って、二人は寮への道を戻っていた。
魚は寮の料理長のグインに渡せば、夕食には調理して出してくれる。
「全部で8匹だから、半分にすればちょうどうちのクラス全員分になるね」
モーゲンは嬉しそうに言う。
「なるほど。そうか」
アルマークは頷く。
「だから最後、もう一匹って粘ってたんだね」
「まあね。釣れてよかった」
モーゲンは笑う。
「付き合ってもらってありがとう」
「いや、僕の方こそ」
アルマークは言う。
実際、魚を釣っている間は、それだけに集中して無心になれた。
「いい気分転換になったよ。ありがとう」
「そうかい?」
モーゲンは嬉しそうに笑う。
「この時期の魚はおいしいからね。それならお互いに良かったよ」




