表裏
レイラはしゃがみこみ、アルマークの手元で滑らかに身体をくねらせる龍を飽きる様子もなく眺めた。
「すごいわね。鱗の一つ一つまで、こんなに精巧に」
そう言って手を伸ばすと、龍はそれから逃れるようにふわりと動く。
「実際に目にしたときの印象がとても強かったから」
アルマークは答えた。
「だから、君が最初に言っていた、見たこともないものを作る、という課題には合っていなかったかも知れない」
「でも、これだけ作れればいいわ」
レイラは龍から目を離さずに言った。
「もうだいぶ遅くなってしまったし、それは次の課題にしましょう」
「うん」
アルマークは頷く。
せっかく作った龍だが、このままで寮に持ち帰るわけにもいかない。
術を解こうと手を伸ばす。
「ほう。水龍か」
そう声をかけられて、アルマークは顔を上げた。
イルミスがいつの間にか龍を覗き込んでいた。
「よくできている」
イルミスは微笑む。
「ありがとうございます」
アルマークが言うと、イルミスは離れたところに立っているラドマールに手招きした。
「ラドマール。君も見ておけ。本で見るよりも遥かに精巧だ」
今日の問答もうまくいかなかったのだろう。ラドマールは不機嫌そうな顔で近付いてくる。
「龍、ですか。これが」
ラドマールは特に感銘を受けた様子もなく言った。
「蛇と蜥蜴と魚のあいの子みたいですね。龍ってこんなに不格好でしたか」
「これは水龍だからな。君のイメージしているのは火龍だろう」
「火龍だか飛龍だか、種類は分かりませんが」
ラドマールは首を振る。
「いずれにせよ、今の僕には興味はありません。それどころじゃない」
そう言ってもとの場所へ戻っていくラドマールの背中を見て、イルミスは小さく息をつく。
「なかなか殻を破らんな」
苦笑してアルマークを見る。
「強情だ」
「はい」
アルマークは頷く。
「でも、そこがラドマールのいいところでもあります」
「長所と短所は表裏一体だからな」
イルミスはそう言って微笑む。
「だが、今は短所のほうが強く出ている」
それから、まだ龍を見ているレイラに目を向ける。
「レイラ、君ならどうするかね」
「私ですか」
レイラは目を瞬かせてイルミスを見上げた。
「ああ。君ならば、彼をどう指導する」
「そうですね」
レイラは立ち上がる。
「私だったら、成果を上げていない人間の言うことなんて何も聞きません」
レイラはきっぱりと言い切った。
「課題を与えて、分かったような口が利きたければまず成果を見せなさい、と言います」
「君らしいな」
イルミスは微笑む。
「だが、それも表裏一体だ」
そう言って、イルミスは龍にそっと触れた。
龍は溶けるように形を崩し、もとのマルスの杖に戻った。
「今日の成功も表裏一体。これに慢心しないことだ」
「はい」
アルマークは頷く。
「きっと、マルスの杖だからここまで精緻な龍が作れたのだと思います。ただの石ではこうはいかなかった」
「そうだな」
イルミスはマルスの杖をアルマークの手に握らせると、レイラを見る。
「だが、自信を持つなということでもない。今日の昼に、レイラにこの挑戦のことを相談された時、私は、やってみるといい、と答えたよ。君なら成功すると思ったのでな」
「先生」
レイラが微かに顔を赤らめて抗議した。
「それは言わないでください」
「アルマークに、君が何の備えもなく危険なことばかりさせようとする人間だと思われるのは、私としても不本意だ」
イルミスは冗談めかして微笑む。
「アルマーク。君の心配は分かる」
表情を改めてイルミスは続けた。
「だが、魔力を通したり魔法をかけたり、普通の杖でするようなことなら、君の心配しているようなことは起きないだろう。もっとも、その杖自体に謎が多いので絶対とは言い切れんがな」
「はい。慎重に扱います」
「うむ」
イルミスは厳しい顔で頷く。
「だが、レイラの言うとおり慎重にやってばかりもいられないのも事実だ。時は有限で、止まってはくれないのだからな」
「はい」
アルマークは頷いた。
ウェンディ。
マルスの杖を見て、アルマークは思う。
僕はこれからも、こうやって君を危険に晒しながら、少しずつこの杖を鍛えていく。
きっと、そんな話をしても、君は笑って首を振るだろう。それははっきりと想像がつく。
けれど、たとえ君が許してくれたとしても、この罪悪感は僕が背負っていくべきものだ。
僕はこれからも君を危険に晒しながら、強くなる。
「私はもう少しラドマールに付き合う」
イルミスは言った。
「君たちは、今日はもう上がりたまえ」
「はい」
アルマークとレイラはイルミスに頭を下げた。
「ありがとうございました」
アルマークは、それからさっさと扉へ歩き始めたレイラの背中に声を掛ける。
「レイラ。今日はありがとう。一緒に帰ろう」
レイラはちらりと振り返った。
「これから寮で自分の勉強をしないといけないから、帰るなら急いで」
「分かった」
アルマークはもう一度イルミスに頭を下げてレイラの後を追った。
レイラと並んで歩きながら、アルマークは久しぶりに黒狼騎兵団の面々のことを思い出していた。
先程、龍を見た日のことを思い出したのが記憶の扉を開くきっかけとなっていた。
父レイズはもちろんのこと、団長のジェルス。幹部のモルガルド。
同い年のガルバ。一つ下のメリー。実直な十人組長のデラク。
懐かしい人々の顔が、今もはっきりと思い浮かぶ。
みんな、無事だろうか。
先日聞いたウィルビスの話では、黒狼騎兵団はいまだ北に健在だという。
だとしたら、みんなも元気でやっているのだろうか。
「ねえ」
不意に、隣を歩くレイラに声をかけられて、アルマークは我に返った。
「なんだい」
レイラを見る。
声をかけておいて、レイラはアルマークの方を見ない。
髪を縛っているせいで、そのきりりとした横顔がよく見えた。
「あなた、龍を見たって言ったわね」
レイラは前を向いたまま、そう言った。
「ああ、うん」
アルマークは頷く。
「こっちに来る前にね」
「そう」
レイラは横目でちらりとアルマークを一瞥する。
「本物は、どれくらい大きいの」
「どれくらい、か」
アルマークは腕を組んだ。
「そうだな。寮の建物くらい、かな」
「そんなに」
レイラが目を丸くする。
「本にはそんなこと書いてなかったわ」
「僕が見た龍がそうだっただけで」
アルマークは答える。
「ほかは分からない」
「寮」
レイラはもう一度呟く。
「すごいわね」
「うん」
アルマークは頷く。
「大きかったよ。それに、美しかった」
「目の前でそんな生き物を見たら」
レイラは言った。
心なしか口元が綻んでいた。
「人間の営みなんて、ちっぽけでばかばかしく思えるでしょうね」
「どうかな」
アルマークは首を傾げた。
だが、レイラは別にアルマークの答えを求めているようでもなかったので、それ以上は何も言わなかった。
あの日、アルマークは龍の美しさに畏怖を覚えた。
だが、父は、龍すらも生命を奪う対象として見ていた。
父だけではない。同い年のガルバもそうだった。
傭兵の生き方が人間の営みだというのならば、父やガルバは人間の営みそのままに、龍を見ていた。
アルマークには、それができなかった。
「今日は来てよかった」
レイラは言った。
「いいものを見たわ」
「僕の方こそ。ありがとう、レイラ」
アルマークはもう一度レイラの横顔を見る。
「君に教えてもらえてよかった」
「明日はバイヤーが来るわ」
レイラは思い出したように言った。
「楽しみにしていたわ。見せたいものがあるんですって」
「そうか」
アルマークは微笑む。
「僕も、みんなにいろいろなことを教われて、毎日楽しいよ」
「そうやって楽しめるのも才能ね」
レイラはそっけなく言った。
近付いてきた寮の灯に、二人の顔が照らされる。
レイラは不意にアルマークを見た。
「あなたは中等部に来るべき人間よ」
真剣な口調だった。
「頑張りなさい」
それだけ言うと、レイラは前を向き、アルマークから急いで離れるかのように足早に寮に入っていった。




