本気
アルマークは、真剣な目でレイラを見た。
「さあ、何を何に変えるんだい。何でも言ってくれ」
アルマークは魔術実践場の隅に積まれた石を見た。
「あの石を、鳥に変えようか。それとも鼠に」
「石なんて使わないわ」
レイラはそう言って首を振った。
「いつも練習で使ってるんでしょ」
「うん」
「そんなことじゃ挑戦したことにならないわ」
「それじゃあ」
アルマークは少し困惑する。
「何を使うんだい」
「もっと緊張感のあるものよ」
「緊張感のある……?」
「ええ」
レイラは頷く。
「あなたの場合は、それよ」
レイラはアルマークの背中に背負っているものを指差した。
「えっ」
アルマークは目を見開く。
「これを」
「ええ」
レイラは頷く。
「早く下ろして」
「いや、これは」
アルマークは言い淀んだ。
「大事なものなんでしょ」
レイラは表情を変えない。
「知ってるわよ。泉の洞穴で見たし、学院長先生も言っていたから」
「それなら」
「だからいいんじゃない」
レイラは手を伸ばす。
「あなたが下ろせないなら、私が取るわよ」
「いいよ、分かった。自分で下ろすよ」
アルマークは慌ててそれを下ろした。
「レイラ。でも、これは、その」
アルマークはマルスの杖をレイラに見せて、言った。
「ただの杖じゃなくて、その、特別な」
「ますますいいわね」
レイラは頷く。
「あなたにとって大事なら大事なほどいいわ。それなら絶対に失敗できないでしょ」
そう言ってマルスの杖を見つめる表情は先程と全く変わらない。
「それとも、さっき、必ずやってみせるって言った、あの言葉は嘘?」
「いや」
アルマークは首を振る。
「嘘じゃない」
「なら、その杖を変化の術で変えてもらうわ。そうね」
レイラは目を細めた。
「杖と同じくらいの大きさの、龍に」
「龍だって」
アルマークは目を見開いた。
まだアルマークに作れるのは小鳥や鼠、兎などの小動物がせいぜいだ。龍なんて作ったことは一度もない。
「見たこともないものを作るのは、よりいっそう難しいものよ」
「龍は見たことがある」
アルマークは言った。
「水龍だけだけど」
「龍を見たことがあるの」
レイラは目を見張る。
「すごいわね」
「別のものにするかい」
「いいえ」
レイラは首を振る。
「見たことのある人の作る龍に興味があるわ。それでいきましょう」
これは、とんでもないことになった。
アルマークはレイラの顔をちらりと見た。
レイラは本気だ。
マルスの杖を見て、次いでウェンディの顔を思い浮かべる。
「門」と「鍵」。
間違って何かとんでもないものに作り変えてしまって、この杖が壊れたりしなければいいけど。
ライヌルに操られかけたときに、自分で魔力を込めて思い切り殴りつけたことはある。その時も杖自体はびくともしなかったから、頑丈さはあるのだろう。
だが、おかしな魔力の流し方をしたら、ウェンディに何か影響が出てしまわないとも限らない。
もしもウェンディの「門」が開いてしまったりしたら。
そう考えたとき、アルマークの背筋を冷たい汗が流れた。
僕はともかく、ウェンディはだめだ。
僕の訓練なんかでウェンディを危険に晒すわけにはいかない。
アルマークは顔を上げた。
「レイラ、やっぱりこれは」
「怖いのね」
レイラは冷たく遮った。
「怖いに決まってるわ。でもただの石じゃその気持ちは抱かない。怖いからこそいいのよ」
「これで失敗するわけにはいかないんだ」
「そうでしょうね」
レイラは頷く。
でも、とレイラは続けた。
「それはあなたが、これをただの練習だと思っているからでしょ」
レイラの厳しい目がアルマークを見据える。
「練習だと思って練習する人は、本番でうろたえるの。練習のための練習しかできていないから。私は毎日の練習を、いつも試験と同じだと思っている。失敗できないという覚悟を持って全力で取り組んでいる。だから、多少の恐怖や危険はむしろ、あって当たり前だと思う」
中等部の生徒の訓練に使う、泉の洞穴。
そこにたった一人で繰り返し挑んでいたレイラは、確かにその言葉を体現していた。
「だからあなたも、これが本番だと思って。今がどうしてもその杖を龍に変えなければならない状況なのだと」
レイラはそう言ってアルマークを見る。
「それでもダメなら、無理強いはしないわ。でも、私はあなたならできると思うから、言っているの」
レイラの言葉に、励ましのような温かさはない。ただ、冷静に事実を伝えているだけ。その口調がそう物語っていた。
レイラは、アルマークの手を見る。
子供の手とは思えない、硬く石のようになった手のひら。
「あなたの剣は、きっとそうやって鍛え上げたものだと思ったから」
剣。
その言葉に、アルマークは背中に宿る重さを思い出す。
今はない、けれどこの学院に来るまでずっと背中に存在していた重さ。
「それとも、あなたの剣の腕は、練習のための練習で鍛えたものなのかしら」
レイラが言う。
違う。
アルマークにも分かった。
剣を振った日々。
ある程度剣を自在に振れるようになったあとは、毎日、戦場での戦いをイメージしていた。
人を斬るイメージ。
いつでも、戦場に出られるように。
いつ、戦いに巻き込まれてもいいように。
父の背中。
焼け付くような焦燥感。
だからこそ、突然母隊に乱入してきた二人の傭兵を、アルマークは練習どおりに斬ることができた。
ああ、そうか。
アルマークは思う。
僕の思考はやはり、北の戦場で育まれたものだ。
物事を剣で考えれば、すっきりとシンプルな答えに行き着く。
「レイラ」
アルマークは言った。
「君の言葉は正しい」
その目に宿る光を見て、初めてレイラが微かに微笑んだ。
「そう。その目」
レイラは言った。
「私は、本気になったときのあなたのその目が好きだわ」
泉の洞穴で、巨大な魔影が現れたとき。
魔術祭の劇で出番が迫り、舞台裏から袖に姿を現したとき。
アルマークが本気になったとき、その目に火が宿る。
その目は、レイラにも不思議な幻想を抱かせてくれた。
邪悪な魔物も。
実体を持たない魔影も。
古い慣習やしがらみ。
レイラに絡みつく、宿命のような忌々しい糸まで。
その手に持つ剣一本で。
「まるであなたが、この世の何もかもを斬ってくれそうな気がするの」




