恩
翌朝の教室。
授業が始まる前の穏やかな時間。
皆、日々の勉強の疲れもさほど見せずに、それぞれが仲のいい友人同士で談笑している。
そんな中、アルマークは皆の前に立った。
「みんな、ちょっといいかな」
そう呼びかけると、全員が会話を止めてアルマークを見る。
「昨日、イルミス先生から聞いたんだ」
アルマークは言った。
「みんなが僕のことを心配して補習を手伝ってくれるって」
「ああ、その件か」
ウォリスが頷く。
「ウェンディたちが相談に来たからな。こういうのは全員でやるほうが効率がいいので僕の方で一覧表を作っておいた」
そう言って、全員の名前が書かれた紙を見せる。
「そんなことまで」
「あー、ウォリス。だめだ、だめだ」
ネルソンが慌てた声を出す。
「その紙はアルマークに見せちゃだめだ。昨日と今日の担当しか教えてねえんだから」
「内緒なのか」
ウォリスは眉を上げる。
「そういうことが面白いのかどうか僕には分からんが、まあ発案者の意見には従おうか」
そう言って表を机にしまう。
「みんなだって忙しいのに。僕のためにありがとう」
アルマークは頭を下げた。
「本当だぜ」
机に頬杖をついて窓の外を見ながら、トルクが吐き捨てた。
「クラスに出来の悪いやつが一人いると全員が迷惑する」
「嫌なら断ってもいいと言ったじゃないか」
ウォリスが微笑む。
「ええと、君は何日目だったかな」
「迷惑だって言ってるんだ」
トルクは赤い顔で言った。
「嫌だなんて言ってねえだろうが」
「めんどくせえやつだな」
ネルソンが声を上げる。
「昨日は俺が教えたけど、アルマークは筋がいいぜ」
「筋がいいって」
ノリシュが聞き咎めた。
「あんたが言う台詞じゃないでしょ。アルマークなら筋がいいに決まってる」
「そういう意味じゃねえんだよ、わかんねえかな」
ネルソンは頭を掻く。
「アルマークは俺のアドバイスを完全に吸収して、だな」
「あんたのアドバイスって」
ノリシュが目を見開く。
「あの、どかーん、とか、ぼーん、とかいうやつじゃないでしょうね」
「それだよ、それ。悪いかよ」
ネルソンはそう言って顔をしかめた。
「お前にゃ分からなくても、アルマークはちゃんと分かってくれたぜ。な、アルマーク」
「ああ」
アルマークは頷く。
「おかげで風切りの術がすごく進歩したよ」
「うそでしょ」
ノリシュが首を振って、レイドーを見る。
「レイドー。今日はアルマークを正しい方向に導いてあげてね。さもないとアルマークの一年間が無駄になっちゃう」
「お前、なんてことを言うんだ」
ネルソンが顔を赤くして抗議する。
「ああ、分かったよ」
レイドーがさらりと頷く。
「お前も頷くなよ」
ネルソンは肩を落とした。
「アルマーク」
ネルソンに構わず、レイドーはアルマークに微笑む。
「今日は僕が行くよ」
「うん」
アルマークは頷く。
「本当にありがとう」
「もうお礼はそのへんでいいわ」
呆れたような声を上げたのはレイラだ。
見慣れたいつもの冷たい表情でアルマークを見ている。
「前にあなたがそこでみんなに話をしたときのことを覚えてる?」
「ここで?」
アルマークは戸惑う。
「ええと、だいぶ前だと思うけど。武術大会の前の日かな」
「そうよ」
レイラは頷く。
「その時にあなたは言ったのよ。来たばかりで魔法も使えない僕をクラスの一員として受け入れてもらって嬉しかった。このクラスの一員であることを誇りに思っているって」
「ああ……」
確かに、言った気がする。
「私は正直、あのときはあなたをまだ認めていたわけじゃなかったけど」
レイラはそう言って、微笑んだ。
「それから今までの間に、あなたが自分の言葉を本当にしてしまったんでしょ。あなたの言葉通り、このクラスが最高のクラスになった。だからみんながあなたのために動く」
言葉は呪いだ。僕を定義するな。
アルマークの脳裏に、先日聞いたアインの嫌そうな声が蘇る。
アイン。言葉は、もしかしたら祝福でもあるのかも知れない。願った言葉が力を持って、現実に変わる。
「それだけのことよ」
レイラがそう言ってまたもとの冷たい表情に戻る。
「ありがとう、レイラ」
そう言ってから、アルマークは気付いて首を振る。
「ごめん。またお礼を言ってしまった」
「お礼も謝罪もいらないわ」
レイラはそっけなくそう言ったあと、アルマークに見えるように一瞬だけ笑ってみせた。
「そうか。武術大会の前に、君はそんなことを言っていたんだな」
ウォリスが頷く。
「僕はその日、いなかったからな」
「あれで、クラスがまとまったんだ」
デグが言った。
「な、トルク」
「ふん」
トルクは肩をすくめる。
「でも、ネルソンの言うことが分かるって聞いてみんな安心してるよ」
そう言ったのはモーゲンだ。
モーゲンは穏やかな顔で続ける。
「みんな、人に魔法を教えるのは初めてだから、そこが心配だったんだ。でもネルソンが大丈夫ならみんな大丈夫だよ」
「確かにそうだね」
バイヤーが頷く。
「僕らは第一の関門は越えたわけだ」
「お前らなあ」
ネルソンが情けない顔をする。
「見せてやりたかったぜ。昨日の俺の熱い指導を」
「ああ。とてもためになったよ」
アルマークは頷き、それでもやはり心配で申し訳なくて、もう一度尋ねる。
「でも、本当にいいのかい。みんなも忙しいのに」
「相談したら、みんながすぐに賛同してくれたの」
答えたのはウェンディだった。
「だから、遠慮しないで。みんな、アルマークの力になれることを喜んでいるから」
その言葉に、セラハとキュリメも顔を見合わせて、微笑んで頷く。
アルマークは思い出す。
先日、授業が終わった後、アルマークに声をかけたそうにしていたネルソン。
補習の再開をまるで自分のことのように喜んでいたウェンディ。
そうか。
アルマークはクラス全員の顔を見回した。
そっぽを向いているトルク以外は皆、アルマークを見ている。
アルマークは感謝を込めて全員を見た。
僕は、この光景を忘れてはいけない。
そう思った。
北の人間の誇りにかけて、この恩を忘れてはいけない。
最後に、モーゲンとウェンディの目を見つめ返し、もう一度アルマークは頭を下げた。
「みんな本当にありがとう。僕もみんなと一緒に中等部に上がるために頑張るよ。だから、どうかみんなの力を貸してほしい」
暖かい拍手が起こる。
僕は本当にいい仲間に恵まれた。
アルマークはなぜか不意に父の顔を思い出した。
父さん。
心の中で呼びかける。
父さん。
僕にもたくさんの仲間ができたよ。




