誘い
アルマークはアインと並んで寮の近くまで戻ってきたところで、ふと思いだして自分のローブの袖を探った。
金属の冷たい感触。
冬の太陽はもう傾きかけているが、まだ食堂で夕食を食べるには早い時間だった。
「モーゲンに、おいしいスープの店を教わったんだ」
アルマークは言った。
「ザップが落ち込んでしまっていたから、ご馳走してあげようと思ってお金を持ってきたんだけど」
そう言って、袖から銀貨を取り出す。
「ザップにはもうその必要がないみたいだから。アイン、一緒に行くかい」
「せっかくのお誘いだが」
アインは笑って首を振った。
「僕もやることができたんだ。ちょっと校舎に戻らないといけない」
「フィッケのところだろ」
アルマークは笑う。
「君は、本当に友達思いだな」
「よせ」
アインは嫌な顔をする。
「言葉は呪いと同じだぞ。僕を定義しようとするな」
そう言ってから、表情を改めた。
「クラス委員として、あまり面白がって放っておいてもいけない、というだけのことだ。注意するだけはしてやるさ」
「理屈をつけるのは君に任せるよ」
アルマークは笑った。
「いいじゃないか。フィッケを頼むよ。みんなで中等部に上がろう」
「君こそ、頑張りたまえ」
アインは言い返した。
「君は、フィッケに続く落第の第二候補だぞ」
アインはそう言うと手を上げ、アルマークに背を向けて校舎へと歩き出す。
「今回のことで、図書館の借りは返したからな」
「借りだって」
アルマークは目を丸くした。
「君に貸しを作った覚えはないな」
「そうか」
アインは背中で答える。
「君は商売に向いていないな」
「ありがとう、アイン」
アルマークはその背中に呼びかけた。
「君が一緒だと、何でもうまく行く気がするよ」
「それは僕も同じだ」
アインは振り向きもせずに答えた。
「ところで、スープなら彼女と飲みに行ったらどうだ」
アインの言葉に、寮の方へと歩き出しかけていたアルマークは振り向く。
「何だって?」
「ウェンディ。アルマークが君とスープを飲みに行きたいそうだ」
「え?」
校舎の方から帰ってきたウェンディは、急にアインからそう声をかけられて目を丸くした。
「アイン!」
アルマークが慌てて駆け寄ると、アインは笑いながら夕闇の中を歩き去っていく。
「ちょうどいいじゃないか。ウェンディに今日の答え合わせでもしてもらうといい」
アインが去った後、アルマークとウェンディの間にはぎこちない空気が流れた。
「今日はアインと一緒だったんだね」
「うん」
ウェンディの言葉に、アルマークは頷いた。
「少し、相談に乗ってもらっていたんだ」
「そう」
ウェンディは目を瞬かせて頷く。
「突然声をかけられたから、びっくりしちゃった」
「ごめん、アインが変なことを言って」
アルマークの言葉に、ウェンディはアルマークを見る。
「スープがどうとか、言ってたけど」
「うん」
アルマークは頷く。
「モーゲンにおいしいスープの店を教えてもらったんだ。アインを誘ってみたんだけど、今日は用事があるみたいで」
「ああ、それで」
ウェンディが合点したように頷く。
「アインにからかわれたのね」
「そうなんだ」
アルマークはそこまで言ってから、これが意外なチャンスであることに気付く。
これは、もしかして。
このままの流れで、アインの言うようにウェンディと一緒にスープを飲みに行けるんじゃないだろうか。
モーゲンもそういえばそんなことを言っていた。
「ウェンディ」
アルマークは袖の銀貨をじゃらりと鳴らした。
「金ならあるんだ」
そう言いかけて、いけない、と思い直す。
昔、その物言いで、世話になった大人にこっぴどく叱られたことがあった。
「違う」
慌てて首を振る。
「そういうことが言いたいんじゃなくて」
「どうしたの」
ウェンディが微笑む。
「今日はお金があるんだね」
「うん。ザップにおごってあげようと思って」
「ザップに?」
ウェンディがきょとんとする。
「どうしてザップが出てくるの?」
「ええと」
アルマークは頭を掻いた。
「その話をすると、すごく長くなるんだ。夕食に遅れてしまうくらい」
「いいよ」
ウェンディは頷く。
「アルマークは、いつも私にちゃんと話そうとしてくれるから」
そう言って、アルマークに微笑む。
「私もちゃんと聞くよ」
「ありがとう」
アルマークは言った。
言うなら今だ、と思った。
「それなら、これから一緒にノルクの街に行かないか」
そう言って、ウェンディを見る。
「僕もちょうど補習の休みは今日までだし、スープを飲みに行こうよ。ザップのことは、歩きながら話すよ」
「モーゲンのおすすめなら、きっとおいしいんだろうね」
ウェンディは微笑んだ。
「いいよ。行こう」
「いいのかい」
アルマークは思わず拳を握りしめた。
言ってみるものだ。
「僕がおごるよ」
「それはいいよ」
アルマークは勢いこんで言ったが、ウェンディは笑顔で首を振る。
「また今度、ザップにおごってあげて」
そう言って、先に立って歩き始めた。
「その代わり、どうしてザップにおごってあげようと思ったのか教えてね」
「分かった」
アルマークはウェンディと並んで歩き出す。
「ええと、どこから話そうかな」
「イルミス先生の補習で失敗した話は、もう聞いたからね」
ウェンディはそう言って優しく微笑んだ。
夕暮れに、二人の影が長く伸びた。




