予測
アインは木の下で楽しそうに話す二人の女子に目を向けた。
「ミシェルという子も、フィタと同じようにおとなしい、あまり男子とは交わらない性格だろう?」
「うん。そうだと思う」
ザップは頷く。
「全然目立たない子だから、僕も最初は名前を思い出せなくて」
「そうだろうな」
アインは自信ありげに頷く。
「あそこで二人はいつも試験の練習をしているわけだが」
アインは言った。
「試験は、本番まで何が出されるか分からない科目ばかりではないだろう。君たち2年生は何か事前に課題を出されていないか」
そう言ってザップを見る。
「試験当日の本番のために準備が必要な課題を」
「課題」
ザップは困惑した顔をした。
「何かあったかな」
助けを求めるようにアルマークの顔を見る。
アルマークは首を振った。
「僕は2年生をやってないんだ」
「あ、そうだったね」
頷いて、ザップはしばらく考えた後、もしかして、と声を上げた。
「魔法に限らない?」
「試験は魔法だけではないからな。特に君たち2年生はまだ使える魔法も多くない」
アインはそう言って頷く。
「何か思い当たったか?」
「行動模写実習……」
「ああ」
ザップの言葉に、アインは納得したような顔をした。
それからきょとんとしているアルマークを見る。
「君は行動模写実習の授業は知っていたかな」
「3年生の授業にはない科目だね」
アルマークは答える。
「行動模写って何をするんだい」
「君も知っての通り、変化の術や模声の術など、魔法には別の人物や生物の動きや声を真似るものが多い」
「ああ」
「だが、魔法が使えるようになってから、急に真似の練習を始めたのでは間に合わない。だから、1年生の頃から訓練を始めるんだ。犬が走るさま、鳥が飛ぶさま、魚が泳ぐさま。動物だけじゃない。人間についても、こういうときにこの人ならどう動くのか、何を話すのか、そんなたくさんの行動予測を訓練し、自分の中に蓄積していく。それが行動模写実習だ」
「僕はそんな練習はしてないな」
アルマークは目を見張る。
「補習の時、イルミス先生にいきなり鼠を作るよう言われたよ」
「君は特別製だ」
アインは微笑む。
「君の場合はこの学院に来る旅そのものが、行動予測の訓練の代わりになっていたのかも知れないな」
「旅が、かい」
アルマークは腕を組んだ。
行動予測。
人間や獣が、次にどう動くのかを察知する力。
確かにそれは戦場や旅では必須の能力だった。
「言われてみれば確かにそうかも知れない。相手の次の行動を予測するということは、相手の考えをなぞる、つまり模写するということでもあるのか」
「察しの早いときの君は好きだ」
アインは微笑む。
「それで、ザップ。君たち2年生には行動模写の課題が与えられたのか」
「うん」
ザップは頷いた。
「一人ひとつずつ、指定されたんだ。僕の課題は、病気がちのおばあさんだった」
「一人ひとり違うのかい」
アルマークはアインを見る。
「ああ。去年もそうだった」
アインは答えた。
「だいたいは、自分の性質からかなり遠いタイプの人間を課題に出される。与えられた課題の人物像を自分の中に作り込むんだ。本番の試験ではそれに対して質問が出される。このような場合、あなたの課題の人物ならばどうするか、というようなね」
「なるほど」
アルマークは頷く。
自分の中にもう一人の自分を作るという作業。
それは、魔術祭での劇の役作りそのものではないか。
「みんなが魔術祭の劇で、役作りが上手だった理由が分かったよ」
「ああ」
アインは笑った。
「確かにあれも行動模写の訓練そのものだな。だが、君たちの劇の台本はそれ以上に君たちそれぞれの本質をついていた。だから演技にさらに凄みのようなものが出たんだろう。試験では、さすがにそこまでの水準は求められない」
「でも、それがどうかしたのかい」
ザップは要領を得ない顔で口を挟んだ。
「そのことと、ミシェルが僕のことを知りたがっているのと、どんな関係が」
「まだ分からないのか」
アインは薄く微笑む。
「ミシェルにも、自分とは違うタイプの人物が課題として出されたんだろう。たとえば」
「勇敢な少年」
アルマークが答えた。
「きっとミシェルには、勇敢な少年という課題が出たんだ」
「えっ」
ザップが目を丸くする。
「どういうことだい」
アルマークは、微笑んで答えないアインに向かって、言葉を続けた。
「そこからは僕にも分かるよ、アイン。今まで男子とほとんど話したことのないミシェルが、困ってあの木の下でフィタに相談したんだ。勇敢な少年なんて課題を出されたんだけど、どうしていいか分からないって。そして、フィタは答えたんだ」
アルマークはザップを見る。
「それなら私の知っている一番勇敢な男の子の話をしてあげるって」
アルマークは目を丸くしているザップの肩を叩いた。
「そしてフィタは君の話をしたのさ」
「フィタが、僕のことを勇敢だって」
ザップが呟く。
「そんな」
「あの日の君は勇敢だった」
アルマークは笑顔で言った。
「僕だってそれを感じたんだ。あの日、魔物のうろつく真夜中の森を君と一緒に歩いたフィタなら、なおさらそれを感じたはずだ」
「君の行動予測は素晴らしいな、アルマーク」
アインが微笑む。
「だがザップ、それだけじゃない。フィタの話を毎日聞いているうちに、ミシェルが君に恋をした可能性だってあるぞ」
「そ、そんな」
ザップは顔を真っ赤にしてうろたえた。
「困るよ。僕は」
「あくまで可能性の話だ」
アインは言う。
「だが、ミシェルは昨日もフィタに君の話をねだっていたんだろう? 課題だけのためとも思えない。十分あり得ることだ」
「ちょっと待ってよ。僕、どうしていいか」
ザップは首を振る。
「それに、それならフィタの言ってた『彼』は誰のことなのさ」
「課題の協力のお返しに教えてもらうんだ。それもフィタの課題に関係する人物だろう」
アインは答える。
「ミシェルは男子とほとんど話さないようだし、もしかしたら小さい弟でもいるのかも知れないな。フィタに出された課題が、自分よりも年下の小さな男の子だったとしたら」
「そういえば、僕も前にフィタに聞かれた気がする」
ザップが目を見開く。
「弟はいるのかって」
「決まりだな」
アインは微笑んだ。
「そうだったのか」
ザップは呆然とした顔で呟いた。
「課題の情報交換だったのか」
「課題のことはともかく」
アルマークが口を挟む。
「ザップ。大事なことは、フィタが君のことを一番勇敢な少年だと思ってるってことさ」
「……うん」
ザップは木の下で今日も楽しそうに話している二人を見た。
「僕、明日からどうすればいいんだろう」
「今まで通りでいいんじゃないかな」
アルマークは答えた。
「今まで通り、フィタと仲良くすればいいんだ。時間が答えを教えてくれることだってあるよ」
「いいことを言うな」
アインが笑って頷く。
「ザップ。君が今まで通り勇敢な少年であり続けられれば、今後フィタの好意がはっきりと君に向くかもしれない。ミシェルの好意が現実になるかも知れない。今はまだあやふやな気持ちが、時間とともに形を持つかも知れないぞ」
アインの言葉に、ザップは頷いた。
「うん」
「だがそのためには、まず」
「分かってる。まずは試験を頑張らないとね」
ザップがアインの言葉を先回りした。
「今日は先回りされてばかりだな」
アインが鼻白んだ顔をする。
「僕、帰るよ」
ザップは言った。
「こんなところにいる場合じゃなかった。早く勉強しないと」
「その意気だよ、ザップ」
アルマークが頷く。
「お互い頑張ろう」
「うん」
ザップは笑顔で頷いた。
「アルマーク、アイン、ありがとう。僕、頑張るよ」
茂みを抜けて元気に丘を下っていくザップの背中を見送り、アルマークと並んで歩いていたアインが不意に言った。
「君も案外悪い男だな」
「何がだい」
アルマークがアインの顔を見ると、アインは意味ありげに微笑んでいた。
「僕のいい加減な話にうまく調子を合わせてきたじゃないか」
「ああ」
アルマークは涼しい顔で頷く。
「そのほうが、ザップのためにいいと思ったんだ」
そう言って、アインを見る。
「君ならうまくまとめてくれると思っていたよ。やっぱり相談して正解だった」
「君のその、朴訥としているようでいて時折顔を出す現実主義は、北流というやつなのか」
アインは苦笑した。
「ミシェルにどんな課題が出されたのか、本当のところは分からない。勇敢な少年ではなく、元気な少年やすばしこい少年なんていう課題だったかも知れない。それに」
アインの言葉を、アルマークが引き継ぐ。
「フィタの言う『彼』が誰のことなのかも分からないからね。本当にミシェルの弟ということもあり得るけど」
「そこに関しては、ミシェルがお礼にフィタの好きな男子の情報を教えてやったと考えることだってできる。直接話したことがなくたって同じクラスにいれば教える材料はあるからな」
アインは冷静に言う。
「だが、ザップもそこのところには気付かなかったな」
「それでいいんだよ」
アルマークは言った。
「女子の本当の気持ちなんて、分からないほうがいいんだ」
結局、二人の会話の真実がどこにあるのか、本当のところは分からない。
けれど、それでいいとアルマークは思う。
世界は、まだまだ僕の知らないことばかりだ。
だけど、無理に知らなくていいことだって、たくさんある。
「もしフィタの好きな男子が今はザップじゃなかったとしても、これからのザップ次第でいくらでもチャンスはある」
アルマークは言った。
「だから、ザップは諦める必要はないし、今のフィタの気持ちを無理に知る必要もない」
「実感がこもってるんじゃないのか」
アインがからかうように言う。
「ウェンディの気持ちも知りたくないのか」
「自分のことでさえなければ、冷静に見られるんだ」
アルマークは照れくさそうに笑った。
「自分のこととなったら、僕はザップ以上におろおろする自信があるよ」
「ああ、分かる」
アインも笑って頷いた。
「行動予測するまでもないな。手に取るように分かる」




