魔女の憂鬱
アルマークは、ザップとアインと明日の約束をして、解散した。
フィタたちの秘密の場所をかなり早めに切り上げてきたせいで、アインたちと別れても、まだかなり早い時間だった。
それでも夕食をとろうと食堂に下りてみる。
混雑してくるのはこれからで、まだ生徒の姿は多くなかった。
アルマークは食事を受け取ってから、知り合いの姿を探してぐるりと食堂を見回した。
「あれ」
思わず、そう声を上げる。
セラハが一人で食事をしていた。
セラハはいつもキュリメたちと一緒にいるイメージが強かったが、魔術祭で魔女セラハ役を演じて以来、レイラと一緒にいるところを見かけたこともあったり、どこか変化が続いている印象があった。
一人で物思いにふけるように食事をするセラハは、心なしか寂しそうに見えた。
「セラハ」
アルマークが歩み寄って声を掛けると、セラハは顔を上げた。
「アルマーク」
途端に嬉しそうな笑顔に変わる。
自分の隣の椅子を引くと、セラハは言った。
「どうぞ、座って。ああ、アルマークが来ると分かってたら、もう少しゆっくり食べるんだったな」
その言葉通り、セラハの食事はもうほぼ終わったところだった。
「ありがとう」
アルマークは食器をテーブルに置いて腰を下ろす。
「今日は珍しく一人なんだね」
アルマークが言うと、セラハは頷く。
「うん。でも、アルマークだって一人じゃない。いつも誰かと一緒なのに」
「いや、そうでもないよ」
アルマークは首を振る。
「イルミス先生の補習を受けたりしてるからね。実は一人でいることのほうが多いんだよ」
「そうだった?」
セラハは首を傾げる。
「アルマークはいつもみんなの輪の中にいるイメージだったな」
「それは、稀に日の目を見るときの僕の姿だね」
アルマークは答えた。
「普段は一人で黙々と生きているよ」
「そうか。アルマークでもそうなんだね」
セラハは頷く。
その表情はやはりどこか寂しげに見える。
「どうしたんだい」
アルマークはセラハの顔を覗き込んだ。
「なんだか元気がないみたいだ」
「ちょっと疲れちゃったみたい」
セラハは額に手を当てて苦笑いする。
「私、筆記試験が苦手なのよ。暗記したり文章を書いたりするのがダメで」
そう言ってアルマークを見る。
「アルマークは筆記試験、確か得意だったよね」
「得意と言うほどでもないけど」
アルマークはセラハから視線を外して、食事を口に運んだ。
「魔法よりは頭に入るよ」
「羨ましい」
セラハはため息をつく。
「私とは逆で、キュリメは筆記試験は大得意だから」
「うん」
「だから、キュリメと一緒にいるとダメなのよ。キュリメには私がどうしてちゃんとした文章が書けないのか分からないし」
セラハはそう言って肩をすくめた。
「私もキュリメがあんなに簡単なダンスがどうして踊れないのか分からない」
「ああ……」
アルマークは、後夜祭でのキュリメの様子を思い出す。
アルマークがウェンディに教えてもらってすぐにできたダンスを、もう3年も踊っているはずのキュリメはまだまともに覚えていなかった。
「苦手なことも難しいけど、得意なことも難しい。こんなことがどうしてできないのか、お互いに分からないの」
「なるほど」
アルマークは頷いた。
動植物の名前。星の位置。国の歴史と王や都市の名前。
覚えられる人間にはイメージとともにすらすらと頭に入るだろう。
だが、覚えられない人間にとってはそれらは単なる暗号のようなもので、実体を伴って頭に入ってこない。
頭の中のどの部分でそれらを整理して、どの部分にしまっておけばいいのか、まるで分からないうちに、名前は曖昧なイメージと乖離してばらばらになってしまう。
それと同じで、試験科目にはダンスはないが、武術はもちろんのこと、魔法の中にも身体操作が重要な役割を果たすものがいくつもある。
キュリメはそれらが苦手だが、セラハにはおそらく、キュリメがどうして言われたとおりに身体を動かせないのかが理解できない。
お互いの才能の方向性の違いから来る断絶と、分かり合えない寂しさ。
「お互いにいらいらしちゃうから、試験の前は離れていたほうがいいの」
セラハはそう言って、少し寂しそうに笑った。
「それでも話し相手がいないとつまらないだろうね」
アルマークは頷く。
セラハの寂しそうな表情の理由が分かったと思った。
「僕で良ければ、話を聞くよ」
「ありがとう」
セラハは微笑んでアルマークを見る。
「アルマークは、試験前でも大丈夫だよ。誰といても、私たちみたいにはならないと思う」
「どうしてだい」
「あなたを見ていて、いつもすごいと思うのは」
セラハは言った。
「人のいいところ、得意なところをすぐに見抜いて、それを素直に認めることができるところ」
「そうかな」
アルマークは首を傾げる。
「だって、みんな本当にすごいからさ。魔法はもちろんだし、ほかにもいろいろと」
「ほら、そういうところ」
セラハはアルマークの肩をそっと指で突付く。
「アルマーク、私たちは魔術師になるのよ」
セラハは言った。
「友達のほうが魔法が優れていたら、もちろんすごいと思うけど、それ以上に悔しいもの。魔法の才能を認められてここに来たはずが、それ以上に才能のある人たちばかりじゃないかって思って、悔しいし、すごく焦る。あなたみたいに、すごいね、なんて無邪気に言えない」
「僕はまだ、君たちと競い合えるようなところまで来ていないから」
「それならなおさら焦ると思うわ」
セラハはそう言って首を振る。
「でも劇であなたと一緒に舞台に立って演技をして、そのわけが分かったの」
「わけ」
アルマークはセラハの顔を見返す。
「なんだろう」
「私たちには」
セラハは答えた。
「魔術師になる、という一つの大きな目標、背骨みたいなものがあるの。だからそれに関わることでは冷静でいられなくなることもある。でも、アルマーク。あなたには」
セラハはアルマークの目を覗き込むようにして言った。
「きっと、もう一つ別の背骨がある」
もう一つの背骨。
その言葉はアルマークの心をざわりと揺らした。
「その背骨は決して私たちにおびやかされることはないと、あなたには分かっている。だから、私たちのようには動じない」
それが何なのか私には分からないけど、とセラハは言った。
「羨ましいな、あなたが」
その目が少し潤んでいた。
「私も、あなたみたいに強くなりたい。できれば、私は魔女セラハになりたい」
魔女セラハ。
やはりその強烈な印象は、劇を終えてもなおセラハの心に残っていた。
「そうかもしれない」
アルマークは頷いた。
「きっと、君の言葉は正しいと思う」
そう言って、セラハに微笑む。
「でも君は、魔女セラハよりも強いと思うよ」
「どうして」
と言いかけて、セラハはふと、ほとんど口をつけていないアルマークの食事に気付き、慌てて手で促した。
「ごめん、アルマーク。食べて。冷めちゃう」
「あ、うん」
「ちゃんと聞いてくれるから嬉しくて、喋りすぎちゃった。私、行くね」
セラハはそう言うと、食器を持って立ち上がった。
「セラハ、一つだけ」
アルマークの言葉に、セラハが振り向く。
「魔女セラハを作ったのは、君だよ」
アルマークは言った。
「だから君は魔女にもなれる。でも、それよりももっと強いものにだってなれると思う」
「もっと強いもの」
セラハは虚を衝かれたような顔をした。
「魔女よりももっと強いもの」
口の中でそう呟く。
「そんなこと、考えたこともなかった」
セラハは微笑んだ。
「ありがとう。今日は早めに食堂に来てよかった。アルマークに会えたから」
そう言って小さく手を振ると、歩き去っていく。
入れ替わりに、レイドーたちと一緒に賑やかに食堂に入ってきたネルソンが、アルマークの姿を見つけて声を上げた。
「おっ、アルマーク。今日は昨日よりもずっと顔色がいいな」
「ああ。よく寝たからね」
アルマークは答えた。
「明日にはいつも通りだ」
「すげえ回復力」
ネルソンは笑った。
「もしかして、十日くらい寝たら試験で一位取れるんじゃねえの」




