言葉
涙目のザップのもとに、アルマークが追加で飛ばした風の球が続々と戻ってきて、さらに追い打ちをかけていく。
ようやくザップの様子に気付いたアルマークと二人で会話の内容を吟味した結果、どうもミシェルという女子のほうがザップに興味を持っていて、普段彼と仲のいいフィタから話を聞き出しているようだった。
そしてフィタにもどうやら意中の男子がいて、その人の情報をミシェルからもらっているようだ。
「フィタの好きな相手は、別にいたんだ」
ザップはしょんぼりと肩を落とした。
「フィタは誰か他のやつが好きなんだ」
「うん」
アルマークは慰め顔で頷く。
「どうも、そうみたいだね」
はあ、とザップはため息をつく。
「知りたくなかった」
「さっきは知りたいって言ってたじゃないか」
「さっきは知りたかったんだ」
ザップは言う。
「でも今は、知りたくなかった」
「難しいな」
アルマークは腕を組む。
「ああ、つらいな」
ザップはうつむいた。
「フィタのやつ、あんなに楽しそうな顔をしてる」
そう言われてアルマークも改めてフィタの方を見る。
確かに、フィタもミシェルも冬の冷気に頬を赤くしながら、それでも肩を寄せ合って実に楽しそうだった。
「楽しそうだけど、それはきっと仲のいい友達と話してるからじゃないかな」
「僕と話してるときは、あそこまで楽しそうじゃない」
ザップはそう言って、ますますうなだれる。
「フィタ、誰のことが好きなんだろう」
「もう少し聞いてみるかい」
アルマークがまた風の球を作ろうとすると、ザップは慌てて首を振った。
「いや、もういいよ」
「はっきり聞こえるはずだよ」
「それは分かってるよ。アルマークの魔法を疑ってるわけじゃないよ」
ザップはそう言って、アルマークの手の中にできかけていた風の球を手で崩す。
「でも、もう聞きたくないんだ」
「フィタの好きな人が誰なのか分かるかも知れないよ」
「分かっても」
ザップは力なく言う。
「それでどうなるわけでもないし。知ってるやつだったら、明日からどんな顔していいか分からないし」
「そういうものか」
アルマークは頷いて風の球をかき消した。
それから、すっかり落ち込んだ顔のザップを見て、自分も肩を落とす。
「ザップ、すまない。僕がフィタの後をつけようなんて言ったばかりに」
「いいんだ、アルマークのせいじゃないよ」
ザップは首を振った。
「知りたいって言ったのは僕だし」
そう言って、まだ楽しそうに話し続けているフィタとミシェルの姿に目をやる。
「そのうちにきっと、フィタが僕のことを好きじゃないって早めに知れてよかったと思えるようになるんじゃないかな。今はまだとてもそうは思えないけど」
「ザップ。フィタは別に君のことが好きじゃないわけじゃないと思うよ」
アルマークは言った。
「君たち二人を見ていれば、僕にだって分かる。フィタは君のことが好きだよ」
「そんな慰めは要らないよ、アルマーク」
ザップは顔をしかめる。
「現に、君だって聞いただろ、二人の話を」
「うん」
アルマークは頷いた。
「確かに、君がフィタを思う気持ちと、フィタが君を思う気持ちは少し違うみたいだね」
でも、とアルマークは続ける。
「フィタは君のことが好きだ」
それは慰めでもなんでもなく、アルマークの確信だった。
魔術祭の朝、ラドマールを探して寮まで走ってきたザップとフィタ。
ダンスで、ぎこちない動きのラドマールを庇うように目で合図を交わし、しっかりと踊っていた二人。
夜の森からずっと二人の様子を見てきたアルマークには分かる。
フィタは、ザップが好きだ。
それは、いわゆる女子が男子を好き、という気持ちとは少し違うのかも知れない。
だからきっと、その言葉だけではザップには伝わらないだろうということはアルマークにも分かった。
けれど。
「ごめん。僕にはそれを他に何と言えばいいのか分からないんだ」
アルマークは唇を噛んだ。
ザップは無言で首を振る。
自分の中にあるたくさんの感情。
その中の一つが、きっとフィタのザップを思う気持ちにも当てはまるのに。
そして、それは単純な、好き、という言葉だけでは意味が足りないのに。
それをうまく表現できないことにアルマークはもどかしさを感じていた。
今までは、感情をいちいち表現する必要など感じたことがなかった。
北の戦場でも、旅の途中でも、それらの感情はごく自然にアルマークとともにあった。
しかしそれを言葉に変えて誰かに伝えようなどと思ったことはなかった。
北にいたならば、ずっとそのままだっただろう。
だが、今アルマークは自分が感じているフィタのザップへの気持ちを、ザップにも分かる言葉で伝えてあげたかった。
「フィタは、君のことを大事に思っているよ」
アルマークは言った。
これじゃない。
近いけれど、これじゃ足りない。
そう思いながら。
まだまだ、僕には知らないことばかりだ。
自分の気持ちを表す言葉さえ、分からない。
もどかしそうなアルマークの表情に、ザップは少し驚いた顔を見せた後、苦笑いした。
「ありがとう、アルマーク」
ザップは言った。
「僕も君が言いたいことは良く分からないけど。でも、君が僕を力づけようとしてくれていることは分かるよ」
アルマークとザップは、音を立てないよう注意しながら、元来た獣道を戻った。
茂みを抜けて丘の道に出てから、ザップがようやく普通の声で言った。
「ここはきっと二人の冬だけの秘密の場所なんだね」
そう言って、アルマークに微笑む。
「夏はとてもあんなところまで近づけない。きっと去年の冬に見つけたんだよ。僕とフィタが同じクラスになる前に」
ザップの顔はやはり少し寂しそうだった。
「僕はまだ、フィタのことを何にも知らないんだ」
「そうだね」
アルマークは頷く。
自分の知らない、空白の時間。
その壁は、アルマークにもよく分かった。
「でも、これからだってまだ時間はたくさんあるじゃないか。それに、もしかしたら君だってミシェルのことが好きになってしまうかもしれないよ」
アルマークが冗談めかしてそう言うと、ザップが突然足を止めた。
「ミシェル」
そう呟く。
「そうだ、ミシェルだ」
「どうしたんだい、ザップ」
異変を感じてアルマークが振り返る。
「ミシェルがどうかしたのかい。彼女は君に興味があるみたいだったけど」
「そうだよ、それだよ」
ザップは絶望的な顔をした。
「ミシェルは、どうして僕のことが知りたかったんだろう」
「え?」
「あの子と僕はほとんど喋ったこともないのに。僕のことが好きなのかな、それとも別の理由があるのかな」
「それは僕には分からないけど」
アルマークは首をひねる。
「フィタに他に好きな人がいたことがショックすぎて」
ザップはそう言って頭を抱えた。
「ミシェルがどうして僕の話を聞きたがるのか、そっちに全然頭が行かなかった。ああ、気になるよ。ちゃんと聞いておけばよかった」
「ザップ」
アルマークはザップの肩を叩く。
「さっき分かっただろ。女子の話を盗み聞きなんてしても」
「気になるよ、アルマーク」
ザップはアルマークの腕を掴んだ。
「もう一回声狩りの術を使ってくれないか。ミシェルがどうして僕のことを知りたがってるのか、確かめたいんだ」
「いや、さすがにやめたほうが」
アルマークは首を振る。
「アルマーク」
ザップが涙目の顔をアルマークに近づけた。
「頼むよ」
「だってほら、もうここまで戻ってきてしまったし」
アルマークは言った。
「それに、もう暗くなるよ」
「まだ明るいよ」
ザップは譲らない。
「もう一度だけ。アルマーク、お願いだ」
アルマークは首を振る。
「きっともう二人とも帰ってくるよ。見付かってしまう」
「まだ間に合うよ。今からなら」
ザップの目は真剣だ。
これは、ダメだ。
アルマークは悟る。
ザップは本気だ。
ならば、こちらも戦場で培った技を使うしかない。
アルマークは突然身体を曲げて腹を押さえた。
「あ、いてててて。お腹が急に。これは早く帰らないと」
「アルマーク!」
「これは仕方ない。これは仕方ないよ、ザップ。帰ろう。いてててて」
アルマークはザップの肩を無理やり抱くようにして、校舎への道を急いだ。




