尾行
フィタが、舗装されていない小道を足早に歩いていく。
アルマークとザップは距離を開けて、その小さな背中を見失わないように後をつけた。
フィタは細い道をずんずんと歩く。
「どこへ行くんだろう」
ザップが囁く。
「一人で、こんな方に」
「こっちは森でも寮でもないね」
アルマークは囁き返した。
「この道の先には何があるんだい」
「別に大したものはなかった気がするよ」
ザップは首をひねる。
「僕も一回くらい来たことがあるかも知れないけど、全然印象に残ってないんだ」
「そうか」
幸い、道の途中には茂みや木立がたくさんあって、隠れる場所には困らなかった。
とはいえ、実際のところは隠れる必要などなかった。
小道を歩いている最中、フィタは後ろを振り向かなかったからだ。
一度だけ、時間を確認するかのように立ち止まって空を見上げた以外は、フィタは迷うことなく道を歩き続けた。
じきに、少し小高い丘のようになった場所で道が途切れているのがアルマークたちにも分かった。
「あそこで行き止まりだね」
アルマークが言い、ザップも頷いて目を凝らす。
「でも、誰もいないみたいだ」
「そうだね」
突き当りの丘で誰かがフィタを待っているのかと思ったが、予想は外れた。
丘の上には人の姿はない。
「待ち合わせじゃないのかな」
ザップが拍子抜けしたような声を出す。
「フィタのやつ、一人でこんなところで何をする気なんだろう」
こんなところ。
その言葉通り、本当に何もないところだった。
アルマークは丘の周囲に目を走らせる。
そこは小さな丘になっているとはいえ、茂みや木立があるせいで見晴らしがいいわけではない。
道が、ぷつんと途切れているだけで広場になっているわけでもなし、わざわざ好んでこんなところに来る生徒はいないだろう。
「待て、ザップ」
アルマークは囁いた。
「フィタが、立ち止まらない」
「え?」
ザップが目を見開く。
アルマークの言葉のとおりだった。
フィタはその丘で立ち止まることなく、道のない茂みの中へとためらわず足を踏み入れていく。
「え、なんで」
ザップが言葉を失う。
「どこに行く気なんだよ」
まだ日はあるが、冬の夕方だ。すぐにあたりは暗くなるだろう。
初等部の女子が一人で茂みの中に入っていくのは、あまり褒められた行為ではない。
「危ないな」
アルマークは呟いた。
森からは離れているが、冬でもアルマークたちの背丈近い草が生い茂っている。夏にはおそらくこの二倍近い高さの草で、この辺り一帯がまるで森のようになってしまうのだろう。
「何をしているのか分からないけど、もう声をかけよう」
アルマークの言葉に、ザップも頷く。
「そうだね」
二人は丘の上に駆け上がった。
道は確かにこの丘で終わっているが、フィタが入っていった獣道のような隙間が、茂みに少しだけ開いている。
耳を澄ますと、がさがさという茂みをかき分ける音が聞こえてきた。
「まだ茂みの中を歩いてるんだ」
ザップが言う。
アルマークは頷いた。
「追いつこう」
「うん」
二人は茂みの中に踏み込んだ。
冬の寒さで半ば枯れかけた草を慎重にかき分け進むと、足元が意外に踏み固められていることに気付く。
「繰り返し通ってるんだな」
アルマークは呟く。
「ここを使ってるのはフィタ一人じゃないのかも知れない」
「やっぱり待ち合わせなのかな」
ザップがその後ろで言う。
「でも、誰と」
「分からない」
アルマークは答えた。
「でも、思ったよりも歩きやすいな。冬だからだね」
「そうだね、夏だったら草がぼうぼうで、とてもこんなところ歩けやしないよ」
ザップは頷く。
「あ、もしかして」
ザップが急に何かに気付いたように声を上げた。
「ここってもしかして冬だけの」
「しっ」
アルマークがそれを制して足を止めた。
「誰かいる」
「え?」
アルマークの後ろからザップが前を見る。
茂みの中にぽつんと立つ一本の大きな木。
その木の下だけが、常に日陰になるせいだろうか、草が茂らずぽっかりと開けていた。
そこに、フィタともう一人、同じくらいの背格好の少女がいた。
学院の制服であるローブを着て、笑顔でフィタと何か話している。
「うちの制服だね」
アルマークは言った。
「ザップ、知ってる子かい」
「ええと」
ザップは目を凝らした。
「ああ、2年1組の女子だ。名前はなんていったかな」
「2年生か」
アルマークもその子の顔を見た。
「あの子、僕らが外で待ってる時に出てきた子だ」
アルマークは言った。
トルクたち3人組よりも少し前に、一人で出てきた子だった。
「顔を覚えてるよ。急いでる感じだった」
「じゃあフィタよりも先に来て待ってたのか」
ザップが言う。
「待ち合わせの相手は、あの女子だったんだ」
「良かったじゃないか」
アルマークはザップの肩を叩いた。
「待ち合わせの相手が男子じゃなくて」
「う、うん」
ザップは複雑な顔で、木の下に座り込み笑顔で何かを話し込んでいる二人の少女を見る。
「でも、何を話してるんだろう」
「え?」
「わざわざこんなところまで来て、二人で何を話してるんだろう」
ザップはアルマークを見上げた。
「気になるよ、アルマーク」
「そう言われてもな」
アルマークは困った顔をする。
「これ以上近づいたらフィタたちに気付かれちゃうだろうし」
アルマークたちの視線の先で、フィタたちは楽しそうに話している。
声を潜めている様子もない。
こんなところに誰も来るはずはない、と安心しているのだろう。
もう少し近づけば二人の声がはっきりと聞こえるのかも知れないが、アルマークたちの目の前には大きな枯れ草の束が飛び出していた。
そのおかげでアルマークたちの姿はフィタたちからうまく隠れているのだが、ここを越えようとすれば、間違いなく大きな音を立ててしまうだろう。
「でも、ここからじゃよく聞こえないよ」
ザップがじれったそうな顔をする。
「こんなところまでフィタをつけてきておいて、こんなことを言うのもなんだけど」
アルマークは言った。
「女子の話を盗み聞きするのは、僕は気が進まないな」
アルマークは楽しそうに話す二人の姿をもう一度見る。
「目的は果たしたんだし、帰ろうよ」
「うん」
ザップが名残惜しそうに、それでも頷いた。
「そうだね。帰ろうか」
その時だった。
微かに聞こえていた二人の話し声の中で、ザップ、という言葉が、はっきりとアルマークたちの耳にも届いた。
「僕の名前だ」
ザップはアルマークを見た。
「聞こえたかい、アルマーク。フィタが、僕の名前を」
「うん」
アルマークは頷く。
「そう聞こえたね」
「僕のことを話してる」
真っ赤な顔で、ザップは言った。
「なんだろう、何を話してるんだろう」
「なんだろうね」
アルマークは首を傾げる。
「やっぱり聞きたいよ、アルマーク」
ザップはすがるような目をアルマークに向けた。
「頼むよ、アルマーク。僕はこれじゃ帰れない。何かないの、魔法とか」
「魔法……」
アルマークの脳裏にふと、モーゲンの姿がよぎる。
「あるにはあるよ」
アルマークは頷いた。
「でも、ザップ。フィタたちの話は、君が聞きたいこととは限らないよ」
アルマークは言った。
「二人の顔からして、そんなに深刻な話はしてなさそうだけど、それでも二人だけの秘密にしておきたいことかも知れないし、中身次第では君がかえって傷つくことになるかも知れない」
そう言って、確かめるようにザップの顔を見る。
「どんな話だったとしても、君はそれを受け入れて秘密を守る。そう約束できるかい」
「うん、約束する」
ザップは頷いた。
「頼むよ、アルマーク。フィタが僕のことを好きじゃないなら、それはそれでいいんだ」
そう言って、切実な目をアルマークに向ける。
「このままじゃ勉強も手につかないし、苦しいんだ。はっきりしたことが分かるなら、そのほうがいい」
「分かった」
アルマークは息を吸う。
「そこまで言うなら、試してみようか」
その頬を、冬の風が撫でていく。
「声狩りの術を」




