感情
名前を呼ばれたザップは、浮かない顔で振り向いた。
「ああ、アルマークか」
そう言って、またうつむいて歩き出す。
アルマークはその隣に並びかけて歩きながら、ザップの横顔を見た。
暗いので顔色の良し悪しまでは分からないが、明らかに表情に覇気がない。
夜の薬草狩りのときは最後まであんなに元気に歩いていたザップが、今はまるで疲れ切った老人のように重い足取りで歩いている。
「ザップ」
アルマークはもう一度声をかけた。
「ずいぶんと元気がなさそうだ。何かあったのか」
ザップはちらりと顔を上げてアルマークを見た。
「アルマークなら、僕の気持ちも分かってくれるかな」
ザップはまた足元を見ながら、そう言う。
「別に分かってくれなくても、いいんだけど」
「うん、どうだろう。分かるかな。とにかく話してみなよ」
アルマークは努めて元気な声を出す。
「もしかしたら力になれるかも知れない」
「そうだね」
あまり気乗りのしない声で、それでもザップは話し始めた。
「あのさ、とにかくもやもやするんだよ。気持ちが焦るっていうか」
ザップは言った。
「そういう時期だし、仕方ないのかも知れないけど」
「ああ」
アルマークは頷く。
「分かるよ、その気持ち。僕もだ」
「アルマークもかい」
ザップは驚いた顔をした。
「僕のこの気持ちが分かるのかい」
「分かるに決まってるよ。まさに今、その気持ちを味わっていたところだ」
アルマークはため息をつく。
「何かしなきゃいけないのにって気ばかり焦ってね」
「そうそう。アルマークでも、そうなのか」
ザップは意外そうな顔をした。
「アルマークは、もっと堂々としてるもんだと思ってた」
「そんなことないさ」
アルマークは苦笑して首を振る。
「僕には余裕なんてまるでないよ。いつ僕だけが置いてきぼりにされるか心配で」
「アルマークが置いてきぼりだって」
ザップはますます目を丸くする。
「アルマークに限って、そんなことはないと思うけどな」
「なんでさ」
アルマークは笑う。
「僕はこの学院に来て、たった1年足らずなんだ。自信なんてまるでないよ」
「あ、そうか」
ザップは納得したように頷く。
「アルマークは、他のみんなよりもここにいる時間が短いのか」
「ああ」
「そうか。それなら、不安にもなるよね」
ザップは言った。
「じゃあ、アルマークも僕の仲間だ」
「そうだね」
アルマークは微笑む。
この時期、試験対策に苦しむのは3年生だけではない。
エルドやシシリーたち1年生も、ザップやフィタ、ラドマールたち2年生も、みな試験に向けた勉強の中で、否応なくこの一年間の自分の取り組みを見つめ直すことになる。
全く頭に入っていない知識や、身についていない技術の山を前に、もっと早く準備をしておけばよかった、あれだけ時間があったのに、と途方に暮れるのだ。
しかし、いまさら付け焼き刃の試験勉強を始めようが、知識も技術も一朝一夕に自分のものにはならない。
結果、気ばかりが焦り、もやもやとした苛立ちが募ることになる。
「僕は、イルミス先生に今日は早く帰るよう言われたよ」
アルマークは言った。
「集中ができないから、しばらくは魔法の練習は禁止だって」
「魔法の練習が禁止」
ザップは繰り返す。
「それって、試験勉強にならないじゃないか」
「そうなんだ」
アルマークはため息をつく。
「でも、先生がそうしたほうがいいって」
「でも、それは確かにそうかも知れない」
ザップも疲れた顔で頷く。
「魔法には集中力が必要だもんな。僕も、こんな状態じゃとても集中できない」
「やっぱり君もか」
アルマークは、ザップの顔を見た。
「君の顔を見れば分かるよ。いつもの覇気がない」
「ああ、魔術祭は楽しかったな」
ザップはこぼす。
「あのときは良かったんだ」
「そうだね。魔術祭は楽しかった」
アルマークも頷く。
ライヌルが来て、大変なこともいろいろとあったけど。
それでも、みんなで一丸となって劇をして、後夜祭ではダンスをして。
楽しかったな。
「ザップ。君の言うとおりだ」
アルマークは言った。
「魔術祭は楽しかった」
でも。
「でも、過ぎたことばかり考えていても仕方ない。これからのことを考えないと」
「これからのこと」
ザップが不安そうな顔をする。
「実は、あんまり考えたくないんだ。どうなるかもわからないし」
「それはそうかもしれないけど」
でも、目をそらしてはいけない。
これからの試験のこと、そして未来のこと。
「努力が報われるかどうかは分からないけど、きっとできることをやるしかないと思うんだ」
アルマークは言った。
「そうすれば、もやもやも少しずつ晴れて、自信に変わっていくんじゃないかな」
そう言っているアルマーク自身もまだとてもそんな状態ではないのだけれど。
ザップに話すことで、なんとなく靄の先に少し何かが見えかけたような、そんな気がした。
「できることをやる、か」
ザップは頷く。
「そうだよね。一人でぐずぐず考えていても、どうしようもないもんな」
その表情が少し明るさを取り戻した。
「そうだよ」
アルマークは頷く。
「でも、君みたいに元気な子でも僕と同じ気持ちになるんだと分かって少し嬉しかったよ」
アルマークは、ザップの肩を叩いた。
「前を向こう。一緒に頑張ろう」
「……うん」
ザップは、頷いて少し笑った。
「僕も安心したよ。アルマークも同じ気持ちだったなんて」
そう言って、アルマークの顔を見る。
「それで、アルマークの相手は誰なんだい」
「ん?」
アルマークはザップを見た。
「なんだって?」
「だから、アルマークの相手さ」
ザップはじれったそうに言った。
「誰のことを考えて、そんなにもやもやしてるんだい」
「え?」
アルマークは目を瞬かせる。
「ちょっと待ってくれ。ええと、ザップ。君のもやもやの原因ってのは」
「夜の薬草狩りからだよ」
ザップは口を尖らせた。
「それまでは、なんとも思ってなかったのに。気になって仕方ないんだ」
言葉を失うアルマークの隣で、ザップは恥ずかしそうに言った。
「フィタのことが」
フィタのことが、気になって仕方ない。
その言葉で、アルマークはさっきからのザップとの会話が、成り立っていたようで実は二人ともまるで違うことを話していたのだと気付く。
アルマークの動揺に気づかず、ザップは恥ずかしそうに話し続ける。
「魔術祭では二人でよく話もしたし、楽しかったんだ。でも最近、フィタは放課後誰かとよく待ち合わせをしているみたいなんだ。それが気になっちゃって、試験前なのに勉強も手につかないし、それにもうすぐクラス替えの時期だろ。離れ離れになるかも知れないと思うと」
「そ、そういう話か」
アルマークは動揺を隠しきれずにぎこちなく頷く。
「ごめん、僕はてっきり」
「え、アルマークは違ったのかい」
ザップのアルマークを見上げる目が、少し悲しそうに揺れる。
「なんだ、やっぱりこんなことを考えるのは僕だけか」
「いや。ザップ」
アルマークはザップの肩を掴んだ。
「確かにこういう話は、僕の専門外ではあるんだけど」
以前誰かに言われたようなことを口走ってから、それでもアルマークはザップを力づけようと言葉に力を込めた。
「でも、相談に乗るよ。もう少し詳しく話してくれないか」




