突撃
くすんだ緑の波が寄せてくる。
ざざざざ、というまるで海風のような足音。
聞こえるのはそれだけだ。
足音以外には声ひとつ立てず、蛇骨傭兵団が迫ってくる。
「本命の登場だぞ」
ルフリーが背後の部下に怒鳴った。
「隊列を整えろ。急げ」
その声に合わせ、迅雷傭兵団の精鋭たちがルフリーのもとに集う。
戦場で敵味方が入り乱れる中でも、北最速の騎兵たちは混乱もなく戦列を整えた。
徒歩で迫る蛇骨傭兵団とは、まだ十分に距離がある。
「よし」
ルフリーは笑った。
「こっちが予想以上に早く敵の前衛を突き崩したせいで」
そう言ってレイズに、蛇骨傭兵団の緑の戦列を示す。
「見ろ。前衛と後衛の連携が取れなかったんだ。まだあんなところにいる。俺たちの距離だ」
ルフリーの目が、輝いた。
「獲るぜ。“蛇の王”の首」
「俺たちはお前の後ろにつける」
レイズは言った。
「まだ、肝心の“蛇の王”の姿が確認できねえ。“蛇の王”が見えたら、合図しろ」
そう言って、レイズはルフリーの後ろに回る。
「道を開けてやる」
「頼むぜ」
ルフリーは、レイズとその後ろに連なる10騎の黒狼を見て口元を歪めた。
「しかしまた、でけえ旗を持ってきたもんだな」
「お前らだけの手柄にされねえようにだとよ」
「そんなせこいこと、誰がするかよ」
ルフリーは前に向き直ると、大きく息を吸った。
「俺が一の矢になる」
ルフリーは並びかけてきた部下に言った。
「ワスパ、お前らは二の矢。タリン、お前らが三の矢だ」
「はっ」
「分かりました」
部下たちが頷くのを見て、ルフリーは表情を引き締める。
「さあ、おっぱじめるぞ。“蛇の王”狩りだ」
ルフリーが、馬の首を軽く叩いて脇腹を蹴った。
戦列が一つの生き物のように動く。
戦場を駆ける稲妻のように、傭兵たちが槍を構えて真一文字に突っ込んでいく。
少し遅れて、二の矢の部隊と三の矢の部隊が続く。
レイズたち黒狼はルフリーのすぐ後ろについていた。
「遅れるなよ、狼ども」
ルフリーが振り向きもせずに叫んだ。
「俺たちは速えからな」
「いいから前に集中してろ」
レイズは叫び返す。
「“蛇の王”にたどり着く前に死ぬぞ」
「後ろにお前がいりゃ、百人力だ」
ルフリーは言った。
「頼むぜ、“マビリオの単騎駆け”」
たちまち目の前に、蛇骨傭兵団の兵士たちが迫る。
十分な突進力を孕んだ迅雷傭兵団の騎兵が、ルフリーを先頭にそこに突っ込んだ。
衝撃。
緑の戦列が乱れる。
蛇骨傭兵団の兵士たちは意外なほどの敏捷さで騎兵たちに飛びかかってくるが、それを迅雷傭兵団は切り払いつつ突き進む。
「噂ほどじゃねえ」
デラクが言った。
「レイズの旦那、これじゃ王の首獲られちまいますよ」
「その程度の首なら、くれてやる」
レイズは答えた。
「気を抜くなよ」
「へい」
その時、背後でまた衝撃音が起きた。続いてもう一つ。
迅雷傭兵団の騎兵たちの二の矢、三の矢が蛇骨傭兵団の戦列にぶつかったのだ。
緑の戦列はさらに乱れるが、誰も声一つ立てない。
聞こえるのは、金属のぶつかり合う音と迅雷傭兵団の傭兵たちの叫び声や馬の蹄の音ばかり。
まるで墓場で騎馬競争でもしているのかのような奇妙な静けさの中で、ルフリーの槍が電光のように何度も閃いた。
その閃きごとに、蛇骨傭兵団の兵士たちが鮮血とともに倒れる。
さすがに、“槍の王”を目指そうってだけのことはあるぜ。
レイズは内心で舌を巻いた。
繰り出す槍の速さが尋常じゃねえ。
「このまま、“蛇の王”まで一直線に突っ切るぞ」
ルフリーがそう叫んだときだった。
迅雷傭兵団の矢のような戦列が、側面から突如突き崩された。
「おい、横だ」
デラクが叫ぶ。
レイズも異変を感じて振り返った。
「後ろもだぞ」
部下が叫ぶ。
「囲まれた」
「囲まれただと? ふざけんな、そんなわけ」
デラクが言いかけて、背後に迫る緑の鎧の群れを見て目を見張る。
「なんでだよ」
「剣を止めるな」
レイズは叫んだ。
「気を抜くな。ここが生死の境目だぞ」
部下を叱咤しながら、レイズは周囲に目を走らせる。
おかしい。
これだけの勢いで敵陣を切り裂いてきて、こうも簡単に囲まれるわけがない。
レイズは剣を振るって、飛びかかってきた緑の鎧の傭兵を切り裂く。
傭兵は声も上げずに絶命した。
先頭のルフリーは相変わらず敵陣を突き崩し続けているが、後ろの部下たちが徐々に切り離され始めていた。
「くそ、こいつらどこから湧いてきやがった」
迅雷傭兵団の騎兵の一言で、レイズの脳裏にひらめくものがあった。
いや、だがまさか。
その疑念は、次の傭兵を切り裂いた時に確信に変わる。
「おい、ルフリー!」
レイズはルフリーの背中に叫ぶ。
「こいつら、信じられねえが」
「見えた」
ルフリーが振り向いた。
「あれだ、レイズ」
思わずレイズも前方を見る。
前から押し寄せる緑の群れの中に、ただ一人、騎馬の戦士がいた。
ここから見てもはっきりと分かる、巨躯。
エメラルドのように鮮やかな緑色をした、禍々しい装飾の鎧と、顔まですっぽりと覆う兜。
「あれが“蛇の王”だ」
ルフリーは叫んだ。
「開けろ、レイズ。俺の道を。俺をあいつに届かせろ」
「ちっ」
レイズは確信したばかりの考えを振り払って、後ろの部下を振り返る。
「ついてこれるやつだけ、ついてこい」
叫びざま、ルフリーの前に出る。
「狼の戦いはお前らと違ってちょっとばかし荒っぽいぜ」
レイズは叫んだ。
「ルフリー、あまり俺に近付きすぎるなよ」
「あぁ?」
レイズはルフリーの反応に構わず、剣を握る手に力を込めた。
マビリオでの戦を思い出す。
あの時と同じだ。
横から飛びかかってきた傭兵を一撃で薙ぎ払う。
ぐん、とレイズの馬が前に出た。
たちまち無数の傭兵がレイズに群がろうとするが、レイズはその一人ひとりに恐ろしい速さで剣を叩きつけていく。
まるで横殴りのような、なぎ倒すような剣の振り。
一撃一撃が速く、そして凄まじく重い。
レイズは、自分の視界に入る動くもの全てに反応した。
動くものが自分の間合いに入った瞬間に叩き潰す。そしてその空いた空間に自分の馬を乗り入れる。それをひたすらに繰り返す。
言葉にすればごく単純な、だが決して常人には不可能な作業。
ルフリーのように真一文字ではない。
ジグザグに、不規則に馬を操りながら、それでもレイズは確実に前に突き進んでいく。
レイズが動くと、その周りに無数の血煙の花が咲く。
「すげぇ」
ルフリーのさらに後ろから追随するデラクが感嘆の声を上げた。
「マビリオ以来だ。また見ることができるたあ俺はついてるぜ」
“蛇の王”の巨躯が少しずつ近くなる。
「あと少しだ」
デラクが叫ぶ。
「だけど、旦那。後ろにも食いつかれそうですぜ」
その言葉通り、ルフリーに付き従っていた迅雷傭兵団の騎兵たちは蛇骨傭兵団のくすんだ緑の軍団に一人、また一人と切り離され、その数を減らしていた。
もう残っている味方はわずかだ。
「道は開く」
レイズは答えた。
「約束だからな」
その剣が、二人の傭兵を同時に薙ぎ払う。
「あと少し待て、ルフリー。力をためておけ」
そう叫んだときだった。
“蛇の王”の姿が、みしり、と大きくなった。
「旦那、“蛇の王”が」
デラクが叫ぶ。
「自分から来やがった」
「見えてる」
レイズは答える。
“蛇の王”が自分からこちらに来てくれるのであれば、願ってもないことだ。
もう一人。
レイズは剣を振り抜いた。
傭兵が弾き飛ばされた、その空間に、レイズは馬を乗り入れなかった。
「ルフリー!」
レイズは叫んだ。
「約束は守ったぞ! 行け!」
「おお」
稲妻のように、ルフリーの馬がレイズを追い越してその空間に飛び込んだ。
そのまま立ちはだかった二人の傭兵を光のような速さで突き倒す。
もう、“蛇の王”は目の前だ。
「迅雷傭兵団“雷光”のルフリーだ」
ルフリーは堂々と名乗った。
「貴様が”蛇の王”か」
「いかにも」
低い、地の底から響くような声で、“蛇の王”が答える。
その馬が近付くと、緑の鎧の傭兵たちが自然に道を開けた。
一瞬。
ルフリーと“蛇の王”の間に遮るものがなくなった。
「ならばその首、もらい受ける」
ルフリーが叫んで突きかかった。




