戦場
ぎりぎりと身体を締め付けるほどの冷気。
払暁を待つのももどかしく、黒狼騎兵団と迅雷傭兵団は隊列を整え、それぞれに進軍を始めた。
前衛として、左右に両傭兵団が部隊を展開して進軍し、レビアル率いる正規軍はその後方に陣取る。
正規軍が傭兵団の後ろに回るのは、戦場での常識だ。
傭兵団がたとえ無傷だろうと、雇い主である正規軍が敗れ去った瞬間、傭兵たちは戦う意味を失うのだから。
逆に言えば、傭兵団が敗走しても正規軍が敵を破れば、傭兵たちは食い扶持を失わずに済む。
だから、戦とはつまるところ正規軍の潰し合いだった。
だが、今日の傭兵たちの目当ては正規軍ではない。
蛇骨傭兵団と、“蛇の王”。
レイズと並んで部隊の先頭を進んでいたジェルスが、舌打ちした。
「どうやら当たりはカーンのほうみてえだな」
「ああ」
レイズは頷く。
前方に翻る敵方の傭兵団の旗。
鋭利な刃物ですっぱりと斬ったかのように真っ二つの月。
あの半月は、偃月傭兵団の旗だ。
「偃月傭兵団がこっちに来てるってことは、オービア傭兵団もいると見ていい」
ジェルスはそう言って、レイズを見る。
「お前はカーンのほうへ向かえ」
「こっちは大丈夫か」
「誰にもの言ってやがる」
ジェルスは口元を歪めた。
「言え。何騎要る」
「10騎でいい」
レイズは答えた。
「ガルバは入れるな」
徐々に敵軍との距離が近くなる。
「デラク」
ジェルスは振り返って、部下の十人組長の名を呼んだ。
「レイズについていけ」
「蛇退治ですかい」
デラクは笑って答えた。
「レイズの旦那の後についてきゃいいんですね」
「そうだ。頼むぞ」
そう言ってから、ジェルスはデラクに馬を寄せる。
「お前を選んだ理由は」
そう囁いて、デラクを見た。
「分かるな」
「そりゃ、俺だってその程度の頭はある」
デラクは飄々とした顔で頷く。
「団長のお考えは分かりますよ」
「そうか。それならいい」
ジェルスはデラクの肩を叩いた。
「頼むぞ」
「へい」
デラクとその9人の部下が隊列を離れる。
「行って来い、レイズ」
ジェルスは言った。
「次に会うときゃ、俺は“狼の王”か?」
「もうすっかりその気じゃねえか」
レイズは笑った。
「欲かいて、こっちで下手うつんじゃねえぞ」
そう言うと、レイズはジェルスを一瞥して隊列を離れた。
「持っていけ」
ジェルスの後ろに控えたモルガルドが、デラクに旗を投げて渡す。
疾駆する黒き狼の紋様。
黒狼騎兵団の旗だ。
「お前らの手柄まで迅雷傭兵団のものにされたらかなわんからな」
「確かに」
そう言って、デラクが旗を高く掲げた。
冬の風を受けて、黒い狼が宙を駆ける。
レイズは、その旗を見て、目を細めた。
「運がありゃ、また生きて会おう」
レイズは手を上げた。
「おう」
ジェルスも手を上げる。
一瞬、視線が交錯した。
二人ともそれでもう、お互いを振り返ることはなかった。
レイズが部下を引き連れて駆けている間にも、地響きのように男たちのどよめく声が聞こえてきた。
「始まってるな」
レイズは言った。
「急ぐぞ」
「迅雷の連中、もうやられてるんじゃねえだろうな」
後ろで部下が軽口を叩く。
「そんなわけねえだろう。つまらねえことを言うな」
デラクが振り返って部下を叱った。
「いくら蛇骨傭兵団が相手だからって、あの迅雷傭兵団だぞ」
「はい」
部下が首をすくめる。
「ったく」
デラクはため息をついた。
それから、先頭のレイズに声を掛ける。
「ですが、もしそうなっちまってたらどうしやしょうか」
その言葉に、後ろの部下たちが笑い声を上げる。
「やっぱり組長だって心配してんじゃねえですかい」
「うるせえ。もしもの話だ」
デラクは真面目くさった顔で言った。
「そんときゃ、蛇退治は中止しやすか」
「そうさな」
レイズは振り返らず、答えた。
「迅雷の連中がもう敗走しちまってても」
“蛇の王”が、まだそこにいたら。
「討てそうだったら、討つか」
「この十騎で、ですかい」
デラクが目を丸くする。
「豪気だ。さすがはレイズの旦那」
「そりゃそうだぜ、組長」
部下がデラクに言った。
「この人は、単騎で敵のど真ん中をぶち抜くお方だぜ」
おう、と他の部下からも声が上がる。
「また新しい異名が増えちまうな」
「“蛇狩り”のレイズ」
「“蛇殺し”のほうがいいだろう」
「相手は単なる蛇じゃねえ。“王殺し”でどうだ」
好き勝手に喚く部下たちを、レイズは低い声で制した。
「そのへんにしておけ。近いぞ」
窪地を駆け上がったところで、一気に視界が開けた。
「おお」
デラクが声を上げる。
戦場を縦横に走る騎兵たち。
迅雷傭兵団が、敵軍を自在に切り裂いていた。
すでに敵の一部は敗走を始めている。
「なんだよ、たいしたことねえな。蛇骨傭兵団も」
「手柄のとりっぱぐれかよ」
レイズの背後で部下たちがぼやく。
「いや」
レイズは首を振った。
「あれは蛇骨傭兵団じゃねえ」
「細けえ傭兵団の寄せ集めですな」
さすがに十人組長のデラクはよく見ていた。
「タンギル傭兵団の残党が見えた」
「そうだな。いい目だ」
レイズに褒められて、デラクは嬉しそうな顔を見せる。
「回り込むぞ」
レイズは、部下を引き連れて、戦を避けて回り込むように迅雷傭兵団の先頭を目指した。
「さすがに北の戦場最速なんて言うだけのことはあるな」
部下が感心したように言う。
「あいつら、動きが速えや」
「あそこだ」
レイズは指差すと、馬を一気に走らせた。
「ルフリー」
「おう、レイズ」
血染めの槍を掲げて笑みを浮かべたのは、迅雷傭兵団のエース“雷光”のルフリーだ。
「本当に来てくれたか」
「約束は守る。息子にがっかりされちまうからな」
レイズは言った。
「調子いいじゃねえか」
「まあな」
ルフリーは頷く。
「肩慣らしにゃちょうどいい相手だ」
レイズは敗走する相手を一瞥する。
「蛇骨傭兵団はこっちにも来てねえのか」
「本命は、ゆっくり登場するもんだろうが」
ルフリーは、槍をまっすぐに突き出した。
「来るぜ」
レイズはそちらを見た。
枯れ草の波。
最初はそう見えた。
光沢のないくすんだ緑の鎧をまとった徒歩の一団が、静かに迫ってくる。
戦場だというのに、兵たちは声一つ漏らさない。
戦場の空気がいっぺんに変わる。
「そうか、あれが」
レイズは言った。
「蛇骨傭兵団か」




