覚悟
学院長室へと向かう人気のない廊下で、アルマークはウェンディに話をした。
ライヌルが、ウェンディのことを「門」と呼んでいたこと。
そして自分の持つマルスの杖がその門を開く鍵なのだということ。
事実、ライヌルが力を振るうと、マルスの杖が光を放ち、意識を失ったウェンディの体内から膨大な魔力が湧き出るようにほとばしってきたのだ。
その話を、ウェンディはさして驚く様子もなく聞いた。
「門、か」
ウェンディがぽつりと言う。
その静かな口調に、アルマークはウェンディの顔を見た。
「君も知っていたのかい。門のこと」
「ううん」
ウェンディは首を振る。
「初めて聞いた。でも」
そう言ってアルマークを見る。
「その言葉を聞いて、なんだか納得したの。ああ、門なんだって」
「納得……」
アルマークは辛そうな表情を浮かべる。
「それは、どういう感覚なんだろう」
「どう言えばいいのかな」
ウェンディは少し困った顔をした。
「あのね、どこからかたくさんの魔力が流れ込んできている時ね」
「うん」
「この魔力たちは確かに私の身体に流れ込んできているけれど、でも私の中に留まり続けるものじゃない。どこかへ行くのに、私の身体を通過しているだけだって、そういう感覚がずっとあったの。だから、冬の屋敷でも」
その名前を出す時、ウェンディも少し辛そうな顔をした。
「魔力が流れ込んできた時ね。自分の中に凄い力が湧き上がってくるのと同時に、ずっと急かされているみたいだった。早く。この魔力がなくなってしまう前に早く。使わなきゃ、使い切らなきゃって」
「ああ……」
アルマークは思い出す。
熱病に浮かされたように、膨大な魔力を持て余すように、屋敷の家具や調度品を次々に使用人の姿に変えていったウェンディの姿。
傭兵たちが来る前に、早く準備を整えて使用人たちを助けたい。
その強い気持ちが、あの矢継ぎ早の変化の術に現れたのだと思っていた。
だが、それだけではなかった。
早く、この魔力が抜けてしまわないうちに。この魔力が自分の中にあるうちに。
ウェンディにはそんな焦りもあったのだ。
アルマークはあの日のウェンディの凄絶な美しさを思い出して、胸が痛んだ。
「でも、おかしいよね」
ウェンディはそう言ってアルマークを見て、笑った。
「あの魔力はどこから来て、どこへ行くんだろうね」
「どこから来て、どこへ」
アルマークは繰り返した。
「考えたこともなかったな」
「私も考えないようにしていたの」
ウェンディは言った。
「考えると、すごく怖かったから。考えて何かに気付いてしまえば、もう取り返しのつかないとても恐ろしいことが始まってしまうような気がして」
「うん」
アルマークは頷く。
「分かる、とは僕なんかには言えないけど」
その怖さの片鱗は理解できる。
アルマーク。
そう歌うように口ずさんだライヌルの声が蘇る。
「ありがとう」
ウェンディは頷いた。
「でもこの間、あのライヌルという人が来て、私の『門』をあの杖で無理やり開いたでしょ。そしてあなたに迷惑をかけてしまった」
「迷惑だって」
アルマークは目を見張った。
「ウェンディ。僕が君を護ることを迷惑だと思うような、そんな人間だと思うのかい」
「あなたはそんなことは思わない」
ウェンディは穏やかに首を振る。
「それは知ってるわ。ありがとう」
でも、とウェンディは言った。
「私が、あなたに迷惑をかけてしまったと思うのは、それとは別の話」
そう言って、微かに笑う。
「だから、きちんと向き合わなければいけないと思っていたの」
ウェンディがアルマークを見た。
その瞳に込められた決意の強さに、アルマークはたじろいだ。
「自分の、運命と」
運命。
ウェンディの運命。
アルマークは、月影通りで出会った星読みの老人の言葉を思い出す。
お二人は、これから大きな渦に飲まれるでしょう。
渦。
ウェンディの運命は、僕の運命だ。
門。
鍵。
これが、僕たちを大きな渦に引きずり込む言葉なのか。
ライヌルの言葉が脳裏をよぎる。
鍵を護る者。そう、君はマルスの杖を護るために生まれたんだ。
君はそのために生まれ、役目そのままの名を与えられた。
今でもその言葉を思い出すと、苦いものがこみ上げてくる。
けれど、僕も向き合わなければならない。
自分の運命と。
「アルマークが言ってくれたでしょ」
ウェンディが言った。
「ともに行こう」
その瞳が揺れる。
「ともに在ろうって」
「ああ」
アルマークは頷く。
「言ったよ」
「それで、勇気が出たの」
ウェンディは言った。
「運命と、きちんと向かい合う勇気が」
そうか。
アルマークは思った。
ウェンディは、もうそこまで覚悟を決めていたのか。
後夜祭で、ウェンディは自分を待たないで、と言った。
アルマークはそれに、一緒に歩こう、と答えた。
けれど、一歩も二歩も先に進んでいたのは実はウェンディの方だった。
ともに歩くという言葉の意味を、アルマークよりも遥かに真剣に考えていた。
門。
鍵。
闇。
ライヌル。
僕の名前。
学院長から、たとえ何を告げられようと。
どんな運命が待っていようとも。
僕は、ウェンディと歩いていく。
その覚悟を決めなければならなかったんだ。
「ありがとう、ウェンディ」
アルマークは言った。
「今、ここで気付かせてくれて。僕は」
そう言って、微笑む。
「君に置いていかれるところだった」
「何言ってるの」
ウェンディが笑った。
「あなたは私の隣にいるよ」
そう言って、アルマークの腕をそっと掴む。
「ほら、ここに」
「うん」
アルマークは頷く。
廊下の先。
学院長室の大きな扉が、二人の目の前に見えてきた。




