港
モーゲンと穏やかな食事を終えて、店の前で別れたアルマークは、港へと足を向けた。
すでに日は落ちていた。
暗い夜道をところどころの灯を頼りに歩く。
学院の外ではみだりに魔法を使うことのないように、という学院の規則を守って、アルマークも灯の術は使わなかった。
港に着くと、埠頭のそこかしこで焚き火が焚かれ、この日の仕事を終えた船員たちが集まって談笑していた。
魔術祭の後だけあって、停泊している船の数は多い。
アルマークは焚き火の灯で照らされた船体に目を凝らしながら、星の守り号を探した。
これは違う。
これは似ている……が、やはり違う。
そうやってしばらく歩いて、これも違う、とまた一艘の船の前を通り過ぎようとした時だった。
「おい、坊主」
聞き覚えのある声で呼び止められて、アルマークは振り返った。
「ウィルビスさん」
アルマークはほっとして表情を緩めた。
通り過ぎたばかりの焚き火に、元傭兵のウィルビスが立っていたのだ。
「星の守り号、船体が少し変わりましたか」
「ああ、そういや前に来たときとはな」
ウィルビスは頷いた。
「嵐で壊れて、だいぶ改修したんだ」
「そうでしたか」
アルマークは頷く。
「分かりませんでした」
「まあ、そんなところに立ってないで、こっちに来いよ」
ウィルビスが手招きする。
焚き火には他の船員もあたっていたが、少し脇にずれてアルマークの場所を空けてくれた。
「おう、ウィルビス。お前の隠し子かよ」
もう酒が入っているのであろう船員の一人がそう言って笑う。
「うるせえな、そんなわけねえだろ」
ウィルビスは穏やかに笑ってそう言ったあとで、アルマークの肩を叩く。
「俺と同じ、北の出身なんだ」
「ほう」
船員たちは興味深げにアルマークの顔を見た。
「ノルク魔法学院の生徒だろ。北から入学してる子供なんていたのか」
「賢そうな顔立ちじゃねえか。確かにウィルビスにゃ似てねえや」
「だがそもそもよく来れたな、北からここまで」
船員たちが口々に言うのを、ウィルビスは手を挙げて制する。
「こいつはこの年で、故郷を遥か遠く離れたこんなところで一人で頑張っててよ、たまには北の話が聞きてえって俺と船長のところを訪ねてくるわけだ。どうだ、健気だろうが」
「まあ確かにここにいたら北の話なんてそれこそ別世界のことだからな」
船員の一人が腕を組んで頷く。
「ましてや明日は我が身も知れないような過酷なところだしな、メノーバー海峡から北は。そりゃ気にもなるだろうぜ」
「北の戦は」
アルマークは、そんなはずはないだろうと分かっていながら、それでも尋ねずにいられなかった。
「収まりましたか」
その質問に、船員たちは顔を見合わせた。
「収まらねえな」
ウィルビスが代表して答えた。
「相変わらず、あちらこちらで戦いが起きてる。傭兵たちも仕事にゃ困らねえ」
「そうですか」
アルマークは頷いた。
分かっていたことだ。
ウィルビスたちから黒狼騎兵団の消息を聞いてから数カ月。それくらいで北の情勢が変わるはずがない。
「ああ、でもほら。バルウィグは」
船員の一人が言った。
「だいぶ静かになったって言ってたじゃねえか」
「ああ」
ウィルビスは思い出したように頷いた。
「そうだったな。バルウィグのあたりは、戦がなくなったって言ってたな」
「バルウィグ」
アルマークはオウム返しに繰り返す。
バルウィグ地方は、アルマークの行ったことのない、あまり馴染みのない地方だった。確か、いくつかの小国が乱立して争っていると聞いたことがあったが。
「ほら、前にお前にも話したあれだよ」
ウィルビスは言った。
「黒狼騎兵団」
突然その名を出されて、アルマークの鼓動は高まった。
「黒狼騎兵団」
動揺を表に出さないように、アルマークはあえてゆっくりとその名を口にした。
「“マビリオの単騎駆け”ですか」
「そう。その黒狼騎兵団だ」
ウィルビスは頷いた。
「ロゼ王国のイングルって将軍が切れ者でな。雇った黒狼騎兵団を引き連れて連戦連勝、バルウィグ地方の戦をすっかりなくしちまったそうだ」
「そうですか、連戦連勝」
アルマークは頷いた。
「すごいですね」
「でも、戦がなくなったら傭兵団も飯の食い上げじゃねえか」
別の船員が言う。
「その黒狼騎兵団とやらはロゼ王国の騎士にでもしてもらったのかい」
「そんな甘い話は北にだってそうそう転がってねえよ」
ウィルビスは首を振った。
「戦がなくなりゃ戦のあるところへ行くだけさ。傭兵団ってのはそういうもんだ」
ふうん、とその船員は頷く。
「因果な商売だな。勝ちすぎてもいけねえのか」
「それじゃ黒狼騎兵団は」
アルマークは口を挟んだ。
「次はどこへ行ったんですか」
「さて」
ウィルビスが首をひねる。
「強い傭兵団が集まりそうなのは、やはりノルンあたりかな」
ただ、と付け加える。
「ノルンは冬は寒すぎて戦にならないからな。行くにしても、その前にどこかを中継するんだろうな」
「そうですか」
アルマークは頷いた。
とりあえず黒狼騎兵団がまだ活動しているということは分かった。
それならば、きっと父も無事だろう。
「あとは、傭兵団の関係だと、そうだな」
ウィルビスは腕を組んだ。
ぱちり、と焚き火が爆ぜる。
「いくつか、なくなった傭兵団の名前を聞いた」
そう言ってウィルビスは傭兵団の名前をいくつか挙げた。
アルマークの聞いたことのある名も、ない名もあった。
おそらくどこも、戦闘で主要メンバーが討たれたり、資金繰りが付かなくなったりして、やむを得ず解散することになったのだろう。
「それと、ヒニアス戦闘傭兵団」
「えっ」
ウィルビスが最後に挙げた名前にアルマークは反応した。
「ヒニアス戦闘傭兵団。それって確か」
「ああ。“槍の王”ヒニアスが団長をしていた傭兵団だ」
アルマークも当然知っている、超一流の傭兵団だった。
戦場で出会ったことはないが、北でも数人にしか冠されることのない“王”の異名を取る槍の名手ヒニアスが団長を務め、赫々たる戦果を誇っていたはずだ。
その名がまさか、ほかの有象無象の傭兵団と一緒に出てくるとは思わなかった。
「なくなってしまったんですか。“槍の王”は引退、ですか」
「いや」
ウィルビスは首を振った。
「ヒニアスは戦で斬られたそうだ」
誰に、と言おうとして喉が詰まる。
“王”の名を冠された最強の傭兵の一人が、斬られただって。
「斬ったのは、蛇骨傭兵団の団長、“蛇の王”だ」
蛇の王。
まただ。
ざわり、とアルマークの背中を悪寒が走った。
その名を聞いただけで、父さんの面影が遠ざかる気がする。
アルマークは、まるでその瞬間右の拳が震えたような錯覚を覚えた。




