3組
舞台の幕が上がると、そこには街並みが広がっていた。
だが、様子がおかしい。
その街並みがひどく荒廃しているのだ。
建物の壁はひび割れ、石畳のそこかしこから雑草が伸びている。
路地には人影もない。
ひゅう、と切るような音を立てて風が吹き抜けた。
観客席は戸惑ったようにざわめいた。
そこに、ぞわりと黒い影のようなものが立ち上がる。
人だ。
粗末な身なり、土に汚れた肌。
一見して貧民と分かる男が、荒れ果てた街角に、闇の中から立ち上がった。
「おい」
男は誰もいないはずの周囲を見回して、声をひそめるようにして言った。
「もういいぞ」
その声に、アルマークは思わずウェンディと顔を見合わせた。
「エストンだ」
「うん」
あの貴族としてのプライドの高い、エストンが。
「まさかあんな格好をするなんて」
「早くしろ」
エストンが焦れたように少し声を高めた。
すると、影のようなものがまた立ち上がった。
その数、4人。
ずっと舞台に伏せていたのか。
みな、エストンと同じ粗末な身なりをしている。
「うまくいったな」
「ちょろいもんだ」
口々にそう言って笑い合う彼らの顔を見て、アルマークはまた驚いた。
「ポロイスだ」
「キリーブもいるわ」
ウェンディも呆気にとられたように呟いた。
「あの5人、みんな貴族だわ」
エストンをはじめとする5人の貧民は、顔を見合わせて下卑た笑いを浮かべた。
「偉そうにふんぞり返っちゃいるが、間抜けな連中だ」
ポロイスが言う。
「あんな顔で笑ってるよ、ポロイスが」
アルマークは唖然とする。
ガレルとの決闘があんな結末に終わったときも、コルエンは遠慮のない笑い声を上げて気ままに振る舞っていたが、ポロイスは貴族として最低限、節度ある態度を崩さなかった。
彼が取り乱したのはただ一度。
武術大会でアルマークに敗れたときだけだ。
そのポロイスが、あんな品のない顔で笑っている。
「こいつがありゃあ」
アルマークとは面識のないキリーブという男子生徒が、そう言って懐から大きな宝石を取り出した。
「あの貴族どもに対抗できるぜ」
「魔神の石」
ポロイスが舌なめずりするように言って、頷く。
「やっと手に入ったな」
「ああ」
エストンが頷いて、思いを馳せるように客席の向こうを見る。
「この石を盗み出すために、仲間が何人も命を落とした。今じゃ生き残りは俺たちだけだ」
「でもこれで全部が報われるんだ」
ポロイスが拳を握りしめて振り回す。
普段のポロイスがまず見せることのないであろう、粗野そのものの振る舞い。
「今度は俺たちが貴族になって、うまい食い物をたらふく食って、広いお屋敷に住んで、毎日パーティーをする番だ」
「ああ。あいつらみたいに威張りくさってやろうぜ。死んだあいつらも喜んでくれるだろうよ」
エストンも笑う。
「おい、まずいぞ!」
別の男が鋭い声を発した。
「追手の貴族どもだ!」
エストンたちは再び荒廃した街並みに溶け込むように姿を消す。
そこに駆け込んできたのは、きらびやかな鎧に身を包んだ一団。
「おのれ、まだこのあたりにいるはずだ」
そう叫んだのは、一団の中で最も豪奢な鎧を着た男だ。
「絶対に逃さんぞ」
「あれ、ルゴンじゃねえか」
ネルソンが言う。
「本当だ。彼が貴族役なのか」
レイドーも驚きの声を上げた。
武術大会でレイドーと戦った、3組のチームで唯一の平民出身者。
ルゴンは、武術大会でのあの勝利以来、3組での平民出身者のリーダー格になったと聞いている。
3組は武術大会では、1組、2組を相手に2戦10試合をして勝てたのがクラス委員のルクスとロズフィリア、それにルゴンの3人だけだったのだから、武闘派が多いと言われている3組での存在感も増したことだろう。
「探せ。あの不埒な者どもを生かして帰すな」
ルゴンは厳しい声で命じた。
「あのような無学な連中に魔神の石は使いこなせぬ。何も考えずただ不満ばかりを吐き散らす、責務というものの何たるかも分からぬ平民どもにはな。絶対に取り戻すのだ」
「ははっ」
他の貴族たちが頷く。
「あの貴族役の子たち」
ウェンディが目を見張った。
「みんな平民出身なんだわ」
「えっ、それってつまり」
アルマークは声をひそめる。
「貴族の子たちが平民役を、平民の子たちが貴族役をやってるってことかい」
「うん。そうみたい」
ウェンディも困惑したように頷く。
「しかもこれって、なんだか貴族と平民の争うお話みたいだよ」
「どういうことだろう」
アルマークも戸惑って舞台を眺めた。
3組の構成は「平民組」と揶揄されたアルマークたち2組とはだいぶ違う。
2組の貴族出身者はウォリス、ウェンディ、レイラ、トルクの4人だけで、残りは平民だ。
さらにクラス16人中、女子が6人もいるが、他のクラスは違う。
1組は15人中、貴族出身者が6人、女子は4人。
3組は15人中、貴族出身者が8人で、女子は3人しかいない。
その貴族の多さ、男子の多さが、3組が武闘派と呼ばれる所以だろう。
貴族と平民との軋轢、摩擦は別に3組だけの問題ではない。
どこの学年でも、どこのクラスでもあった。
アルマークが来る前の3年2組でもそうだ。
今の2組は、まとまっている、とよく言われる。
ウェンディもモーゲンも、ネルソンたちも、口を揃えて、クラスがまとまったのはアルマークのおかげだと言う。
アルマークとしては、思い当たるのは、ウェンディの涙を見た後の武術の授業でトルクをふっ飛ばしたことくらいで、後は別に何もやったつもりはないのだが。
アルマークのおかげかどうかはともかくとして、2組が今、ウォリスを中心にまとまっているのは確かだった。
それは昨日の劇やその後に開かれた慰労会でもはっきりと感じられた。
1組も、アインという絶対的なカリスマが矛盾を全て受け止めて君臨しているので、表面化しない問題はあるのかも知れないが、少なくともクラスとしてはまとまっているように見える。
その中で、やはり3組だけがクラスとしてまとまりきれずにいた。
エストンやキリーブを中心とする貴族グループがクラスの主導権を握っている中で、ルゴンたち平民グループの不満が高まっていて、クラス委員のルクスが苦労しているという話は、アルマークも以前、コルエンとポロイスから聞いていた。
武術大会でも、平民を選手から外してわざわざ貴族チームを編成しようとしたくらいだ。
両者の溝はかなり深いのだろう。
その3組が、貴族と平民をあべこべにして、お互いの役を演じている。
大勢の一般客の前で、蔑んでいたはずの平民役を演じる貴族の少年たち。
平民を蔑む貴族を演じる平民の少年たち。
エストンたちもルゴンたちも今までのところ、きちんと役を演じているが、いつ何がどうなってもおかしくないような不穏な空気、もっと言えばひりつくような緊張感が舞台に漂っていた。
生徒席の在校生たちはその空気を如実に感じていたし、事情を知らない一般客たちも剣呑な雰囲気に時折不安そうにざわついた。
アルマークたちの困惑をよそに、劇は進む。
ルゴンら貴族の追手を振り切ったエストンたちは、各地に散らばって貴族打倒のための兵を募り始める。
貴族との戦いの勝利の切り札たる魔神の石が手中にあること。
それを派手に宣伝し、仲間を増やしていく。
無論、ルゴンたち貴族も手をこまねいてはいなかった。
腕利きの剣客コルエンを雇い入れ、エストンたちの捕縛に向かわせる。
飄々とした風情のコルエンは、貴族の主張にも平民の主張にも興味のない様子で、各地の平民リーダーたちと、ときに剣を、ときに議論を戦わせ、その全てに勝利して彼らを捕らえていく。
「これはコルエンが疲れるわけだ」
アルマークはウェンディに囁いた。
「コルエンの台詞、すごく多いじゃないか」
「そうだね」
ウェンディが頷く。
ポロイスの台詞が多いと言って、コルエンがその隣で他人事のように笑っていたのは一昨日のことだ。
コルエンの様子を考えれば、いかに彼が豪胆とはいえ、あの時点では大した役をする予定ではなかったに違いない。
ということは、昨日、この劇に大幅な改変が加えられたのだ。
誰がそんなことをしたのか。
もともとの台本を書いたのは、エストンとキリーブだと言っていた。
でも、今の彼らの役回りを見れば、彼らが好んでこんな風に書き換えるということはありえないだろう。
それなら、平民のルゴンたちか。
いや。
アルマークは心の中で首を振る。
もしも彼らが書き換えようとしても、こんな改変をエストンたちが黙って見過ごすはずがない。
クラス委員のルクスでも力不足だろうし、ましてや劇に興味のないコルエンではないだろう。
ということは。
「ロズフィリアが、全部変えたのかな」
「そう、だと思う」
ウェンディは小さく頷いた。
「彼女ならやりかねないもの」




