キュリメ
また顔を真っ赤にしてトルクに殴りかかろうとしたネルソンを、レイドーとアルマークが止める。
「落ち着け、ネルソン。トルクはこういうやつだ」
笑いすぎてむせ始めたトルクを置いて、アルマークたちは談話室に戻った。
アルマークとレイドーに両脇から抱えられたネルソンが女子に続いて談話室に入ると、大きな拍手があがった。
ネルソンがもがくのをやめて驚いたように顔を上げる。
残っていたクラスメイトたちが全員で立ち上がってネルソンとノリシュに拍手を送っていたのだ。
「主役二人の登場だ」
ウォリスが拍手しながら穏やかな笑顔で言う。
「お疲れ様、ネルソン、ノリシュ。今日の劇の成功は、君たちあってのものだ」
「え、あ、おお」
ネルソンも怒りを忘れたように頷く。
「いや。みんなの助けがあってこその主役だしよ」
「素敵だったわ、ネルソン」
レイラが言う。
「うん。素敵だった」
セラハも言った。
ネルソンはさっきまでとは別の意味で顔を赤くしてうつむく。
「ノリシュも素晴らしかった」
ウォリスはそう言って微笑んだ。
「お疲れ様」
「ありがとう、ウォリス」
ノリシュが嬉しそうに答える。
「まあ、さっきの風便りのメッセージは、ふふ、さすがに少しあれだったが」
ウォリスがこらえきれずに笑い、ネルソンが情けない顔をする。
「とにかく、座ってくれ。これでやっと全員揃った。慰労会を始めようじゃないか」
にやにやしながら戻ってきたトルクを加えて、全員でもう一度乾杯をする。
「あったけえミルク、うまいな!」
ネルソンが開口一番、大声を上げた。
「やっぱり大役を果たした後のミルクは最高だぜ!」
「ああ、ネルソンが戻ってきたという感じがするよ」
「そうだね。うちのクラスにはネルソンが必要だ」
レイドーとモーゲンがそう言って頷き、みんなが笑う。
ネルソンとノリシュは食事を済ませると、港からの帰り道で中等部のモルフィスたちに絡まれてヒルダに助けられた経緯を簡単に説明した。
「中等部に行っても、まだそんなことをしているのか、彼らは」
ウォリスは楽しそうに言った。
「中等部に上がるのが楽しみだな」
「ウォリスも何か因縁があるのかな」
アルマークはウォリスの表情を見て、ウェンディに囁く。
「笑ってるけど」
「前に一度、ウォリスがジェビーをこてんぱんにしちゃったことがあって」
ウェンディはそっと囁き返した。
「それ以来、ジェビーたちもウォリスには絡まなくなったの」
「こてんぱんって、殴り飛ばしたのかい」
アルマークが眉を上げる。
「ウォリスもなかなかやるね」
「ううん、けんかじゃなくて」
ウェンディは首を振った。
「口で、こてんぱんに言い負かしちゃったの」
「なるほど」
アルマークは頷いて、ネルソンたちと話しているウォリスを見る。
力を示せと言われれば、アルマークは直接的な力の示し方しか知らない。けれどウォリスは、ヒルダのような上級生でもないのに、口で彼らを黙らせたのか。
「ウォリスらしいな」
アルマークは呟いた。
慰労会はネルソンとノリシュの元気な声を加えて、賑やかに進んだ。
アルマークは途中からそわそわとキュリメの方を窺っていたが、デグとガレインが笑顔でキュリメの前の席を立ったのを見て、隣のウェンディの手を取った。
「え、どうしたの」
ウェンディが驚いてアルマークを見る。
アルマークは勢いよく立ち上がった。
「キュリメの前が空いたよ。行こう」
「あ、う、うん」
連れ立ってキュリメのところへ行くと、キュリメは二人を笑顔で出迎えた。
「ついに来たわね」
「うん」
アルマークは頷いてキュリメの前に腰を下ろす。
「君の感想が聞きたくて。ほら、ウェンディも」
アルマークは隣の椅子を引き、ウェンディを促す。
「座って座って。一緒に聞かないと」
「うん」
ウェンディがアルマークの勢いに押されたように腰を下ろす。
キュリメはそんな二人の様子を笑顔で見守っている。
「本当に仲がいいのね。練習のときは心配だったけど」
「ちょっといろいろと悩んでしまって」
アルマークは答えた。
「迷惑をかけたね」
「でも、本番ではさすがだった」
キュリメは言いながら、紙をめくる。
「ウェンディの最初の場面、素敵だったわ。登場しただけで舞台の空気が変わった」
「ありがとう」
ウェンディがほっとしたように微笑む。
キュリメは紙を見ながら、ウェンディとアルマークの演技についての感想を語った。
想像以上の鋭さだったけれど魔女セラハを圧しすぎないようにぎりぎりのところで抑えられていたアルマークの迫力。
ウェンディとネルソン一行の邂逅の場面で、アルマークの名を呼ぶときのウェンディの情感。
「アルマークとネルソンの戦いの場面、動きはほとんど即興だったよね」
キュリメは笑う。
「練習と全然違っていて驚いた」
「自然と力が入ってしまったというか」
アルマークが申し訳なさそうにうつむくと、キュリメは笑顔で首を振る。
「いいのよ。戦いの場面はやっぱり男の子に任せたほうが迫力が出るね。私の台本通りじゃきっとあんなに盛り上がらなかった」
「そう言ってもらえると」
「観客の声援まで即興の台詞に生かしたのは素晴らしかったわ」
キュリメがそう言いながら紙をめくる。
「いやあ。あれはネルソンが」
そう言いかけて、アルマークはキュリメの手元の紙に目を落として首を傾げた。
「あれ。ここから何も書いてないね」
その言葉に、ウェンディも紙を覗き込む。
「あ、本当だ」
アルマークの言ったとおり、キュリメの持つ紙には、ネルソンとアルマークの戦いの場面まではたくさんの感想が書き込まれていたのに、次の紙が突然白紙に変わっていた。
「書けなかったの」
キュリメは恥ずかしそうに言った。
「二人の最後の場面で、ちょっと泣いちゃったから」
アルマークとウェンディは顔を見合わせる。
「それは、成功と考えていいのかな」
「もちろんよ」
キュリメは頷いた。
「二人の言葉は劇の役柄としての台詞だったのに」
そう言ってアルマークとウェンディの顔を見る。
「あなた達自身が喋っているようにも聞こえた。不思議な感覚だった」
「私たちも」
ウェンディが照れくさそうに言う。
「役と自分が混ざり合ってたよね」
「うん」
アルマークも頷く。
「でもそれでいいと思ったんだ」
「そう」
キュリメは微笑む。
「でも、さすがだな。キュリメにはそこまで見えてたんだね」
アルマークは言った。
劇が終わってみれば、今回の配役もシナリオも、クラスの一人ひとりにぴったりと合っていた。
まるで一つ一つの場面が、それぞれを演じる生徒のために書かれていたかのような。
そんな台本を書いたキュリメには、何か特別な力があるように思えた。
「見えていた、というほどのことではないけれど」
キュリメは首を振る。
「書いているうちに、物語の中でみんなが勝手に動き出したのよ。ああ、この人ならこうするな、とか、この人はきっとこう言うだろうな、とか。それで物語がどんどん膨らんで。それをみんながさらに膨らませてくれて」
幸せな体験だったわ、とキュリメは微笑んだ。
アルマークもウェンディと顔を見合わせて微笑む。
「僕らも演じられて幸せだったよね」
「うん。こんな経験、なかなかできない」
「ありがとう」
キュリメは小さく頷き、それと、と付け加えた。
「これは私のただの勘だけど。今日のあの最後の会話」
そう言って、二人を見て微笑む。
「あれはきっと将来、二人を支えることになると思う」
打ち上げが終わり、片付けを終えて談話室を出たアルマークは、もうすっかり夜も更けたこの時間に、外からぞろぞろと帰ってくる生徒たちの姿に気付いた。
「3組の連中だ」
ネルソンが言う。
「あいつら、こんな時間まで緊急会議とやらをやってたのか」
「僕らの劇の後、ずっとってことかい」
アルマークも思わず目を見張る。
3組の生徒たちは皆一様に不機嫌そうな、疲れたような顔で、ろくに言葉もかわさずに部屋に戻っていく。
その中に、長身のコルエンの姿を認めて、アルマークは声をかけた。
「コルエン」
コルエンはアルマークを見ると、口元だけで笑みを浮かべて片手を挙げ、そのまま通り過ぎていった。
「あのコルエンが疲れてる」
アルマークはモーゲンを振り返る。
「明日の3組の劇」
「うん」
モーゲンも眉を寄せて頷いた。
「なんだか、荒れそうだね」
妙に物騒な雰囲気に、アルマークは顔をしかめた。
自分の部屋の前で、ドアを開けようとした時だった。
アルマークは自分の名前を呼ばれて振り向いた。
「あれ、ウェンディ」
慌てて階段を駆け上がってきたのだろう、ウェンディが息を切らして立っていた。
「どうしたんだい」
「うん、あのね」
ウェンディは胸を手で押さえてしばし息を整える。
アルマークは黙ってウェンディを待った。
「明日」
ウェンディはようやく顔を上げて、そう言った。
「最終日だし、せっかくだから歌や劇、一緒に見ようよ」
「うん」
アルマークはウェンディの言葉が終わりきらないうちに頷いた。
「もちろん。僕もウェンディと一緒に見たいと思っていたんだ」
「よかった」
ウェンディは安心したように微笑んだ。
「それじゃあ明日、寮の前でね」
「うん」
アルマークは自分の部屋へ帰っていくウェンディに手を振りながら、ようやく自分たちが元の場所に帰ってこれたように感じていた。




