ヒルダ
アルマークが振り向くと、すらりと背の高い女子生徒が立っていた。
その後ろにはもう一人聡明そうな男子生徒が立っている。
制服のローブは、ジェビーたちと同じ銀線の入った中等部のものだ。
「ヒルダ……」
ジェビーが顔を引きつらせた。
「なんでこんな時間にこんなところに」
「それはこちらの台詞だな、ジェビー」
ヒルダと呼ばれた女生徒は、整った顔に険しい表情を浮かべて言った。
「こんなところで初等部の生徒を相手に、何をしているんだ」
「何って、こいつらがこんな時間に街で遊んでいるから、注意を」
「君たちが初等部の生徒に絡んでいると情報提供があった。男子と女子の二人で歩いているのが生意気だと因縁をつけているようだと。それで私たちも夕食もそこそこに、こうして駆けつけたわけだ」
「絡んでるなんて、人聞きの悪い」
ジェビーは首を振る。
「夜遊びを注意してただけだ。彼らが今後気をつけてくれれば、俺たちも別に言うことはない」
「ふざけんな」
ネルソンが叫んだ。
「てめえ、もう我慢ならねえ」
そう言って拳を振り上げてジェビーに殴りかかろうとするのを、レイドーが慌てて止める。
「バカ、ネルソン。今じゃないだろ」
アルマークもそこに駆け寄ってレイドーを助ける。
「あれだけ我慢したのに、どうしてこのタイミングでキレるんだ」
「だってこいつ、ぬけぬけと。やるなら最後までやりやがれ、男らしくねえ」
「ネルソン、騎士だよ。騎士の心を思い出して」
モーゲンも駆け寄ってネルソンを宥める。
その様子を見て、ヒルダが薄く笑った。
「この反応を見ただけで、どちらに理があるか分かるというものだな。一方はごまかし笑いを浮かべ、一方は真っ直ぐに怒りを表す」
「おい、俺たちを疑うのかよ」
エイグが声を上げた。
「まさかこいつらの方が信用できるって言うのか」
「そのまさかだ」
ヒルダは言った。
「ジェビー、エイグ、デリブ。モルフィスの姿はいつの間にか見えないようだが、君たちの日頃の行いを思い返すんだな。果たして普段から信用に値する行動を取っているのかどうか」
「ちょっと待ってくれよ」
ジェビーが言いかけるが、ヒルダは冷たく告げた。
「このことは“熊”に伝えておく」
その言葉に、三人は顔を青褪めさせて口をつぐんだ。
「行きなさい」
ヒルダの言葉に、三人は逃げるようにその場を去っていく。
それを見送ってから、ヒルダはアルマークたちに向き直った。
「すまなかったな、初等部の諸君」
そう言って、頭を下げる。
「中等部の人間が迷惑をかけて」
「いえ、いいんです」
ウェンディが答えた。
嬉しそうに声を弾ませる。
「ヒルダさん、お久しぶりです」
「ああ、ウェンディ。君だったか」
ヒルダは微笑んだ。
「ずいぶんきれいになったから、すぐには気付かなかった」
その言葉に、ウェンディは恥ずかしそうに笑う。
「そんな」
「君たちもすまなかったな。ノリシュ、怪我したりはしていないか」
ノリシュは首を振った。
「大丈夫です。ちょっと絡まれただけですから」
「そうか」
「すみません、まさかわざわざ中等部の寮から来てくれたんですか」
「いや」
ヒルダは笑って首を振る。
「ちょうど近くで夕食を食べていたんだ。魔術祭の期間中は中等部も食堂が開いていないのでな」
「ああ……」
ノリシュは合点がいったように頷く。
「あの人たちも、それでうろうろしてたんだ」
「嫌な思いをさせてすまなかった」
ヒルダがそう言ってもう一度頭を下げる。
「別にヒルダさんの謝ることじゃないです」
ノリシュは恐縮したように手を振った。
ヒルダは次に、アルマークとレイドーに押さえられながらまだ興奮冷めやらない様子のネルソンに声をかける。
「ネルソン。収まらない気持ちは分かるが、今日はこれで勘弁してやってくれ」
「ヒルダさんがそう言うなら、いいけどよ」
ネルソンは怒りに顔を歪ませながら、それでもそう言った。
「ヒルダさんにはお世話になってるから、言うことは聞くよ」
「ありがとう」
そう言って微笑んだあとで、ヒルダは、ふとアルマークに目をやり、訝しげな顔をする。
「君は……」
「彼は編入生だよ、ヒルダ」
それまでずっと黙っていた、ヒルダの連れの男子生徒がそう言った。
涼やかな声だった。
「初等部ではもう有名人だ。アルマーク君、だったかな」
「あ、はい」
アルマークは頷いた。
「アルマークです」
「編入生。そうか。春に噂になっていたな」
ヒルダは頷き、改めてアルマークに会釈する。
「中等部二年のヒルダだ。こっちはウィガロ」
ウィガロと呼ばれた男子生徒も笑顔で会釈する。
「二年生」
アルマークは眉を上げた。
「それじゃ、さっきの彼らよりも一学年上なんですか」
「ああ」
ヒルダは頷く。
「後輩が恥ずかしいところを見せたね。中等部の生徒がみんなああだとは思わないで欲しい」
「もちろんです」
アルマークは頷く。
「助けてくれてありがとうございました」
その言葉に、ウィガロが噴き出す。
「どうした」
ヒルダがそれを見咎めて尋ねると、ウィガロは首を振った。
「いや」
そう言って、アルマークを笑いを含んだ目で見る。
「君は一番助ける必要がなさそうに見えたからね」
ヒルダたちと別れ、ノルクの街を寮に向かって歩きながら、アルマークは隣を歩くウェンディに話しかけた。
「前にウェンディが言ってたよね。一年生の時に見た魔術祭の劇で、すごくかっこよかった女の先輩がいたって」
そう言って、ウェンディを見る。
「あれって、もしかして」
「うん」
ウェンディは頷いた。
「あの人」
「やっぱり」
「素敵でしょ」
ウェンディが微笑む。
「うん」
アルマークは頷いた。
「すごく雰囲気のある人だったね」
「二年生のクラス委員の一人なの」
ウェンディは言う。
「初等部に入りたての頃は、本当によく面倒を見てもらってたんだ。中等部に行っちゃって寂しかった」
「そうか」
アルマークは頷いた。
アルマークの知らない二年間。
その空白は、目には見えないが確かに存在している。
アルマークは、自分が見たことのない入学したての頃のウェンディの姿を想像しようとした。
しかし、頭に浮かんでくるのは一年生のシシリーの姿くらいのもので、今よりも幼いウェンディの姿は思い浮かべることができなかった。
「みんな、ほんとにごめんね」
リルティと並んで歩きながら、ノリシュが言った。
「あんなバカどもに絡まれちゃってさ」
「いや。災難だったね」
レイドーが穏やかに答える。
「よくネルソンを抑えてくれたよ」
「だって、こいつが一人で暴れて怒られたり怪我したりする分には好きにすればいいけど」
ノリシュは言った。
「ここで問題を起こしたら、今日のみんなの劇が台無しになっちゃう。それだけは避けたかったから」
その言葉に、ネルソンがばつが悪そうにうつむく。
「そうだな。すまねえ、頭に血が上っちまった」
「いいよ。あんたも今日はすごく耐えた。偉かったよ」
ノリシュの言葉に、モーゲンが頷く。
「うん。ネルソンは頑張った。それにノリシュも頑張った」
その目が猛禽類のようにきらりと輝いた。
「頑張った二人に、僕の選んだとっておきの料理を食べさせてあげよう。えーと、そこの角を曲がった先の屋台で売ってるんだけど」
「モーゲン」
ウェンディが笑顔で首を振る。
「寮でみんな心配してるからね。早く帰らないと」
「はい。そうでした」
モーゲンが素直に頷き、リルティがくすりと笑う。
「ああ、確かに腹減ったな」
ネルソンが思い出したように言い、ノリシュも頷く。
「そういえば夕食食べてないものね」
「そうだ、キュリメの感想も聞いてないんだった」
アルマークは言った。
「早く帰ろう」
「それはそれとして、アルマーク」
ネルソンがアルマークをじろりと見る。
「お前、一体モルフィスに何をしたんだよ」
「そう、私も聞きたかった」
ノリシュもそう言って頷く。
「ものすごく怯えてたよ。モルフィスって、いつも肩で風切って偉そうにしてるのに」
「さて」
アルマークは首をひねった。
「何だったかな。よく覚えてないな」
「私は実はその話、演奏会のあとに聞いてたんだけど」
ウェンディが言う。
「詳しくは言わないほうがいいのかな」
「まあ、想像はつくよね、なんとなく」
モーゲンが言い、レイドーが頷いた。
「うん。きっとモルフィスは出会ってしまったんだね」
そう言って、アルマークの澄ました横顔を見て微笑む。
「呪われた剣士アルマークに」




