乾杯
二人が寮の談話室に着くと、もうほとんどのクラスメイトが集まっていた。
アルマークは室内を見回す。
姿が見えないのは、父を港に送っていったネルソンと、それから、もう一人。
「ノリシュがいないね」
アルマークの言葉に、ウェンディが首を傾げる。
「本当だね」
「珍しいね。こういう集まりではいつも一番に張り切って動く子なのに」
「うん」
ウェンディは顔を曇らせる。
「何かあったのかな」
「二人ともやっと来たね」
干し果物の皿を両手に持ったレイドーが通りがかりに声をかけてきた。
「アルマーク、ずいぶんたくさん買ったんだね」
アルマークが両手に抱えた食べ物を見て、目を丸くする。
「ああ、これは」
アルマークは言いかけるが、ウェンディが恥ずかしそうにしているのに気付いて、慌てて取り繕う。
「劇で結構動いたからね。お腹が空いて」
「君がそんなに食べるのも珍しいな」
レイドーは微笑んで頷く。
「食べ物は真ん中のテーブルに置いてくれ。みんなで好きなものを取って食べるんだってさ」
「分かった」
アルマークは頷き、レイドーに尋ねる。
「ノリシュの姿が見えないみたいだけど」
「ああ」
レイドーはさわやかに笑う。
「港に行ったよ」
「港に?」
「ネルソンのお父さんを見送りに行くって言ってた。きちんと挨拶できなかったからって」
「へえ」
アルマークは思わずウェンディと顔を見合わせる。
「そうか。それならきっとネルソンのお父さんも喜ぶよ」
アルマークは、目を細めるネルソンの父の顔を思い浮かべた。
きっと、遠路はるばる来た甲斐があった、と言うことだろう。
「よかったね」
ウェンディも隣で微笑む。
「でも、すごいところまで話が進んじゃいそう」
「うん。それはあり得るね」
アルマークが持ってきた食べ物をテーブルに並べ、ウェンディと並んで近くの椅子に腰を下ろした時、ウォリスが中央に歩み出た。
「大体揃ったようだな」
ウォリスはみんなの顔を見回して、言う。
「主役の二人、ネルソンとノリシュは少し遅れるそうだ。まあ、主役は遅れて登場するという言葉もあるからな。功労者の二人にはゆっくりと来てもらうとしよう。ちなみに僕は一番にここに到着した。実は出番が一番少なかったからな」
ウォリスの言葉にみんながどう反応していいか微妙な顔をすると、ウォリスは気にする様子もなく続けた。
「中央のテーブルの食事はみんなで買ってきてくれたものだが、まあ自由に食べてくれ。大体は味の匠モーゲンのアドバイスに従って購入したそうだから間違いないだろう」
その言葉に、モーゲンが力強く頷く。
「瑪瑙牛の肉団子は一人3つまでだよ。数に限りがあるから、おいしいからって食べ過ぎないでね」
「ありがとう、モーゲン。それは大事なことだ」
ウォリスは冷静に頷く。
「自分たちの演技がどうだったか気になる者は、原作者のキュリメに尋ねてくれ。キュリメはそのために客席でみんなの演技についての感想を書き留めてくれていたんだからな」
キュリメは紙片の束を手に恥ずかしそうに笑う。
「ちゃんと全員分書いたから、安心してね」
おお、と歓声が上がる。
「とはいえ、キュリメに質問するのはある程度お腹が膨れてからにしてやってくれ。全員が順番に聞きに行ったら、キュリメは何も食べる時間がないからな」
みんなが笑顔で頷く。
いつもならこの辺でネルソンが、分かってるから早く食おうぜ、などと声を上げてノリシュがそれを混ぜっ返すことで明るい笑いが生まれるのだが、今日はそれがない。
ネルソンの声がいつもこのクラスに活気を与えてくれていたんだな、ということにアルマークは今更ながらに気付かされる。
最初に一歩踏み出すやつが偉い。
いつも誰よりも先に元気な声を張り上げるネルソン。
あれは、本当にお父さんの言葉を体現していたんだな。
そんなネルソンの真っ直ぐさが、本人がここにいない分、余計にアルマークには眩しく感じられた。
ウォリスも、ネルソンの賑やかな声がないことに若干やりづらさを感じたようで、苦笑いする。
「やはりこういう席にはネルソンが要るな」
そう言ったあとで、気を取り直したように右手に持ったコップを掲げた。
「とはいえ、まずは食べよう。みんな、コップを掲げてくれ」
アルマークたちは、特別に食堂で出してもらったという温かいミルクの入ったコップをめいめいで掲げる。
「今日は本当にみんなご苦労だった。投票の結果は分からないが、それとは全く関係なく僕はこのクラスの劇が最高だったと信じる。君たちを誇りに思う」
ウォリスはそう言って口元を緩めると、コップをひときわ高く掲げた。
「乾杯」
「乾杯!」
それぞれに笑顔でコップを合わせる。
アルマークは隣のウェンディとコップを合わせたあと、近くのレイドーやピルマンともコップを合わせた。
「お疲れ様」
お互いに笑顔でそう労い合うのが、アルマークにはとても新鮮に感じられた。
別のテーブルでは、レイラやガレイン、あのトルクですら、穏やかな笑顔でコップを合わせている。
武術大会では優勝もしたが、あのときはクラス全員が選手として出ていたわけではなかったし、闇に襲われた影響もあってアルマークは早々に部屋に引き上げて寝てしまった。だから、こういう感覚とは無縁だった。
しかし今日は、全員が劇に参加し、最後までやり切ることができた。
それはもちろん一人ひとりの努力の成果だけれど、何よりもまずはキュリメの台本のおかげだった。
「こうやってみんなで労い合えるのは」
アルマークはウェンディに言う。
「キュリメが全員を劇に出してくれたからだね。武術大会みたいに、補欠の子も負けた子もいない」
「うん。そうだね。本当にキュリメはすごい」
ウェンディは笑顔で頷く。
「でもそれを言うなら」
ウェンディはいたずらっぽく笑うと、向こうのテーブルで足を組んでキュリメと話しているウォリスを見た。
「キュリメに台本を任せたウォリスのおかげってことになるのかな」
「そうか」
アルマークも頷いてウォリスを見た。
確かに一番最初に、手を挙げてもいないキュリメを台本役に指名したのはウォリスだった。
「そういえばそうだった。さすがは我らがクラス委員だね」
「それ、本人に言ってあげたほうがいいわ」
ウェンディは微笑んだ。
「そういうこと、言ってほしいらしいから」
「ウォリスならできて当たり前だとみんな思ってるからね」
アルマークはそう言いながら、今朝、医務室に顔を出してくれたウォリスを思い出していた。
クラスのみんなへの的確な指示。
アルマークとウェンディが劇に出られなかったときのための善後策。
ウォリスには、クラス委員として果たすべき事柄が、明確に見えていた。
ウォリスは優秀だ。
人を率いること、人を動かすことに迷いも躊躇いもない。
それは、彼に流れる血のなせる業なのだろうか。
だが、そう断じてしまうのはウォリスに失礼な気がした。
賢くなって、偉くなって、何人もの人間を動かすようになれ。
レイズの言葉が脳裏に蘇る。
このウォリスの姿勢や態度が、僕の目指す姿なのだろうか。
今は、まだ分からない。
アルマークは思った。
今はもう少し、仲間たちとの時間を楽しもう。
「さあ、食べよう」
勢いよくミルクを飲み干してモーゲンが立ち上がった。
それを合図に、みんながわっと立ち上がる。
「あっ」
ウェンディも慌てて立ち上がった。
「私も行ってくるね」
「うん」
アルマークは温かいミルクをゆっくりと口に含んだ。
「僕も後で行くよ」
中央のテーブルに集まっていく仲間たちを眺めながら、アルマークはなんだかひどく満ち足りた気分になっていた。




