騎士の帰還
「さあ」
袖の暗闇で、ウォリスが言った。
「いよいよ最後だ。出ない人間はしっかり演出を頼むぞ」
それから、戻ってきたトルクに目をやる。
「トルク、よかったぞ」
そう言って、不思議そうに付け加えた。
「だが、なんで泣いたんだ」
「うるせえ」
トルクは顔をしかめて答える。
そこを、背景の片付けで通りかかったアルマークが声を掛けた。
「トルク、お疲れ様。演技も演奏もすごく良かったよ」
「うるせえうるせえ」
トルクは面倒そうに首を振る。
舞台裏から戻ってきたネルソンが、トルクの顔を見るなりにやりと笑った。
「聞いたぜ、トルク。泣いたんだって?」
「うるせえうるせえうるせえ」
トルクは苛立たしげに言った。
「殺すぞ」
「は? なんで俺だけ殺されるんだよ」
ネルソンが眉を寄せる。
「やれるもんならやってみろや」
「おう。上等だ」
睨み合う二人を、ノリシュが引き離す。
「はいはい、殺し合いは劇が全部終わってから二人きりでゆっくりやってちょうだい。邪魔にならないところでね」
ちっ、と舌打ちしてトルクがネルソンに背を向ける。
「ここまでこぎつけたんだ。最後にとちるんじゃねえぞ」
その言葉に、ネルソンは笑顔で言い返す。
「うるせえ。お前こそ、おかしな即興の演出入れてくるんじゃねえぞ」
「あんたもいつまでもつまんないこと言ってないで」
ノリシュがネルソンの背中を叩いた。
「しっかりしてよ。最後まで」
「お、おう」
ネルソンが頷く。
「お前もな。泣くんじゃねえぞ」
「誰が」
ノリシュが拳を振り上げた時、舞台の準備が整った。
アルマークとウェンディが連れ立って袖へ駆け戻ってくる。
「ネルソン、ノリシュ」
アルマークがすれ違いざまに声を掛ける。
「頑張って」
「おう」
ネルソンが頷く。
「お前らも仲良く演出しろよ」
「余計なこと言わないのよ」
ノリシュが振り上げていた拳を振り下ろした。
アモル王の宮殿。
レイラ王妃の侍女ノリシュは、王の御前にかしこまっていた。
「ノリシュ」
アモル王が呼びかける。
「デミガル王の一行は国境を越えたそうだ」
「それは」
ノリシュは顔を上げて微笑んだ。
「よろしゅうございました」
「そなたのおかげぞ」
アモル王は穏やかに言う。
「そなたとネルソンのおかげで、レイラは笑顔を取り戻すことができた。それにより、この国は救われた」
ネルソンの名を聞いて、ノリシュの顔が少し曇る。
「私などは、何も」
そう言って首を振る。
「ネルソン様が、全てやってくださいました。体を張って、命をかけて」
その表情に、アモル王はレイラ王妃と顔を見合わせる。
「ノリシュよ」
アモル王は言った。
「余は、無力な王じゃ」
その言葉に、ノリシュが驚いて顔を上げる。
「何をおっしゃいます」
「いいのだ。自分でも分かっている」
アモル王は穏やかに首を振った。
「王としての才覚は、あのデミガル王のほうが遥かに上だろう」
そう言って、ノリシュを見る。
「だから、余にできるのは、人を信じ、任せることだけ」
「人を信じ……」
「そうだ」
アモル王は頷く。
「余は焦り、うろたえ、無様な姿も見せる。だが、人を信じ、託すこと。それにかけては、デミガル王でも余には勝てぬ」
そう言って、微笑む。
「余は、信じて託した。騎士ネルソンとそなたの勇気に。レイラの笑顔に。リルティの歌に」
アモル王はレイラを振り向き、レイラはそれに応えるように微笑む。
「そして余は、信じ、託す者を誤ったことはない」
「人を信じ、託すこと」
レイラが、まだ腑に落ちない顔をしているノリシュに言葉を添えた。
「それもまた、王の資質。アモル王は王の役目を果たしたのですよ」
「さあ、こいつの出番だ」
袖で、もう窮屈な大臣の衣装を脱ぎ捨てていたピルマンがラッパを口に当てた。
「いくよ」
王の間に、高らかにラッパの音が鳴り響いた。
驚いたようにノリシュが顔を上げる。
「この音は」
そう言ってから、驚いているのが自分だけであることに気付く。
王も王妃も、落ち着き払っていた。
「王様、この音は」
「うむ。来たか」
アモル王は頷く。
「そろそろであろうと思っていた」
そして、ノリシュに微笑む。
「言ったであろう。余は信じるものを誤らぬと」
その台詞の間も、ラッパは高らかに鳴り続ける。
「騎士ネルソンは、そなたにまた会おうと言ったのであろう。ならば、必ず帰ってくる。あれはそういう男よ」
ノリシュは立ち上がり、王に何か言おうとしたが、言葉にならない。
「城門の兵に命じておいたのだ。この国一の勇士が戻ったならば、その時はラッパを吹き鳴らせ、と」
そして、大きく手を振る。
「行くが良い、ノリシュ。騎士の帰還の出迎えには、淑女こそが相応しかろう」
弾かれたように、ノリシュは駆け出した。
アモル王は、その様子を見送った後、レイラと顔を見合わせて笑った。
王と王妃の姿が舞台から消え、ノリシュは息を切らしながら舞台の中央に立った。
ラッパの音が、ひときわ高く鳴り響いて、止んだ。
袖から、ゆっくりと三人の男が歩いてくる。
傷ついた一人の男を、二人が両側から肩を貸すようにして歩いてくる。
モーゲンと、バイヤーだった。
そして、二人に挟まれてその真ん中で笑っているのは。
「ネルソン様!」
ノリシュが叫んだ。
その声に気付き、ネルソンが微笑んで剣を抜く。
高く掲げた剣が七色に光を放った。
「戻ったぞ、ノリシュ殿」
明るくそう声を返す。
「闇を切り払うのに手間取ってしまってな。魔女の執念、まことに恐るべし」
そう言って、剣を鞘に収める。
「闇を払うだけで精一杯で、動けなくなっていたところを、この二人に助けてもらったのだ」
「まさかとは思ったんだけどさ」
モーゲンが言う。
「この精霊さんと味覚狩りに行ったら、騎士さんが倒れてるもんだから。びっくりしたよ」
「おいらは、ほんとは森から出ちゃいけないんだけど」
バイヤーが口を挟む。
「今日は特別だ。ネルソンのためだからな」
「そういうわけだ」
ネルソンは笑顔でそう言うと、ノリシュの前に立った。
モーゲンとバイヤーはその両脇からそっと離れる。
名前を呼んだきり、何も言えなくなったノリシュが未だに信じられないという顔でネルソンを見る。
「ノリシュ殿」
ネルソンは笑った。
太陽のような笑顔。そこには一点の曇りもない。
「騎士ネルソン、帰ってまいった。王のため、王妃のため、そして」
ノリシュの目が、たちまち潤んでいく。
「そなたのために」
ノリシュは何も言わずにネルソンに抱きついた。
その瞬間、再びラッパが高らかに鳴り響いた。
舞台の背景に無数の鳥が舞い上がる。
鳥は舞台の上空で、七色の光に変化し、講堂から客席までを覆っていく。
裏方を総動員した、最後の演出。
ノリシュが、ネルソンの腕の中で顔を上げた。
「おかえりなさいませ」
ノリシュが言った。その頬に涙が伝う。
「おかえりなさいませ、私の騎士様」
ネルソンが笑顔で頷く。
肘でつつき合いながらそれを見守るモーゲンとバイヤー。
そこに、ゆっくりと幕が下りてきた。
袖で、顔を真っ赤にしてピルマンがラッパを吹き鳴らす。
そのラッパの最後の響きとともに、幕が下りきった。
鳴り止まない拍手。
2組の劇「笑わない王妃」は終わった。




