王宮
暗転すると同時に、裏方総出で舞台の背景を片付けていく。
長く続いた森の場面も終わりだ。
劇はこれから再びアモル王の宮殿に戻る。
ウォリスに光の出し方を叱られて、しょんぼりと背景を片付けていたアルマークの肩を、誰かが叩いた。
振り向いて相手の顔を確認したアルマークは、笑顔を見せる。
「お疲れ様、ネルソン」
「おう」
ネルソンは汗まみれの顔で屈託なく笑った。
「アルマークこそ、お疲れ」
「すごかったよ、最後までずっと。さすが主役だ」
「お前の演技のほうがすごかったよ」
「何がさ」
アルマークは笑う。
背景の木を引っ張って袖に戻りながら、アルマークはネルソンに囁く。
「こっちはもう出番のない僕らがやるから、君は裏で休みなよ。ずっと出ずっぱりだったじゃないか」
「ああ、そうさせてもらうぜ。さすがに疲れた」
それでもやりきった笑顔で満足そうに頷くネルソンに、袖からピルマンが声をかけた。
「騎士ネルソン、いい死に様だったよ」
「うるせえよ」
ネルソンが苦笑いする。
「他に言い方あるだろうが」
「あと何て言えばいいのかな」
ピルマンは自分の手の中で、持っていたラッパをくるりと回す。
「ま、一休みだね。僕が呼ぶまで裏で休んでなって」
「あいよ」
「そうだね。最後まで気を抜かず、騎士として」
アルマークの言葉を、ネルソンは苦笑いして遮る。
「分かってるって。ピルマン、お前だってもう出番だろうが。そのラッパ置いてこい」
「はいはい」
ネルソンとピルマンが去っていくのと入れ替わりで、頬を上気させたセラハがアルマークに駆け寄ってきた。
「ああ、セラハ。お疲れ様、うわっ」
セラハがものも言わずに抱きついてきたので、アルマークは思わず後ろによろめく。
「セラハ?」
「よかった。終わった」
セラハはアルマークの肩に顔をうずめて、言った。
「終わったよ、アルマーク」
抱きつくその腕が震えていた。
「見てた? 私、最後まで魔女だったでしょ?」
「うん。見てたよ」
アルマークはセラハの背中を優しく叩く。
「さすがセラハだ。さすがは僕を従える魔女だった」
「頑張ったの。頑張って、やりきった」
セラハが顔をうずめる肩がじわりと湿ってくるのが分かり、アルマークは声を励ます。
「お客さんはみんな君を怖がっていた。最高の悪役だったよ」
「うん。考えていたこと、練習したこと、全部出し切ったもの」
セラハがくぐもった声で答える。
「でも、今は少し寂しいの。なんでだろう」
「それはそうさ」
アルマークは頷く。
「僕だってそうだよ。自分の中の一部が、今日、その物語を終えたんだからね」
「そうか」
少しの沈黙。
「うん、そうだね」
セラハが、ようやくアルマークの肩から顔を上げた。
「でも、魔女セラハの物語が終われたのは、アルマークのおかげだよ。ありがとう」
「僕のおかげなんかじゃないさ」
アルマークは首を振った。
「全部、君の努力の成果じゃないか」
それから、アルマークは再び明かりの灯った舞台に目をやる。
「さあ、僕たち全員の物語をしっかり終わらせよう」
「うん」
セラハが頷く。
その顔に笑顔が戻るのを見て、アルマークはもう一度優しく背中を叩いた。
アモル王の宮殿。
玉座に座るアモル王と、脇に控えるレイラ王妃、リルティ王女。
先ほどまでの霧の森での激しい戦闘場面からうって変わり、舞台は荘厳な雰囲気に包まれていた。
ノリシュが恭しく黒鋭石を差し出すと、アモル王は玉座から立ち上がり、自ら歩み寄ってそれを手に取った。
「そうか。ネルソンが」
「はい」
ノリシュが頷く。
「最後にこの石を私にくださいました」
アモル王は石を手に、目を閉じ天を仰いだが、やがて目を開くとノリシュの肩に手を置いた。
「大儀であった」
ノリシュは感情をこらえるように深々と頭を下げる。
アモル王はその姿を痛ましそうに見やった後、石に目を戻した。
しばらく石をしげしげと眺めてから、自らも胸元から鎖に付けられた石を取り出す。
ほとんど同じ形の、まるで双子のような黒鋭石。
「幼少の折、馬で森の泉まで遠出をしたことがあった」
アモル王はノリシュに語りかけた。
「余もやんちゃざかりでな。供の者を皆置いてけぼりにして泉に一番乗りしたはいいが、ほとりで足を滑らせて溺れかけた。その時に不思議な少女に助けられたのだ」
アモル王は懐かしむように話す。
「供の者たちが追いついてくるまでの間、その少女と一緒に遊んだのだ。実に楽しかった。再会を約してこの石を分け合ったが、それっきり出会うことは叶わなんだ。幼き日の美しい思い出よ」
そう言って、遠い目をして微笑んだあとで、ふと真顔に戻る。
「しかし、なぜ森の魔女がこの石を」
「さあ、なぜでございましょうか」
ノリシュはうつむいたままで答えた。
「どこぞで拾ったのやもしれませぬ」
「うむ……そうかもしれぬな」
アモル王は思いを振り払うように小さく首を振る。
それから、ゆっくりと二つの石の割れ目を嵌め合わせた。
石は一瞬光を放つと、澄んだ音とともに砕け散った。
アルマークは舞台袖からその場面を見ていた。
最後の練習のときもそうだった。この石が砕ける演出を見ると、奇妙な懐かしさがあった。
「さ、行ってくる」
そう言ってピルマンが隣に立つ。
「ああ。ピルマン、しっかりね」
アルマークは微笑んだ。
「おお」
石が砕け散るのを見て、アモル王が目を見開いた。
粉々になった石に、一瞬だけ悲しそうな目をした後で振り返る。
「これで呪いが解けたのか。レイラに笑顔が戻ったのか」
そう言ってレイラの顔を覗き込むように見る。
「レイラよ、心持ちはどうじゃ」
しかしレイラは、眉を寄せ、少し困った顔で首を振る。
「急にそう申されましても」
「笑えるようになったか」
「分かりませぬ」
レイラはまた首を振る。
「もう何年も笑っておりませんでしたので、笑い方を忘れてしまいました」
「だがそなたが笑わねば、呪いが解けたかどうか分からぬ」
アモル王は言った。
「ネルソンとノリシュが命懸けで持ち帰ってくれた石ぞ」
「はい。それは重々分かっております」
レイラの顔に、ちら、と辛そうな表情が浮かぶ。
「ですが」
「おそれながら、王」
ノリシュが声を上げた。
「そのように急いては、王妃様も笑うに笑えませぬ」
「む、そうか」
アモル王はばつの悪そうな顔をすると、再び玉座に腰を下ろした。
「もっともなことだ。レイラよ、すまぬ」
「いいえ。申し訳ありませぬ」
レイラが目を伏せ、リルティが気遣わしげにその肩に手を置く。
そこへ、大臣のピルマンが大慌てで駆け込んできた。
「王、アモル王。大変でございます、一大事でございます」
「何事じゃ、騒々しい」
アモル王が顔をしかめる。
「まさか、もうデミガル王が来たわけでもあるまい」
「そのまさかでございます」
ピルマンは腕を振り回した。
「デミガル王の一行が、まもなく到着を」
「ばかな」
アモル王が玉座の肘掛けを叩く。
「昨日、国境を越えたと報告があったばかりではないか。あと三日はかかろうものを」
「おそらく馬を飛ばしに飛ばして」
ピルマンが忌々しげに言う。
「我々にろくに準備の暇も与えぬようにと」
「なんと。どこまでも卑劣」
アモル王は立ち上がった。
「おのれ。おめおめとその手に乗るかよ」
王が、普段は穏やかなその顔を怒りに歪める。
「宴の準備だ。時間はないが、ぬかるな。デミガル王たちに戦の口実を与えてなるものか」
「ははっ」
ピルマンとノリシュが走って退出していく。
「レイラ」
アモル王は王妃を振り向いた。
「ネルソンとノリシュは見事にやり遂げた。我らは我らの為すべきことを為そうぞ」
「はい」
レイラは頷くが、その表情はまだ変わらない。
アモル王が足音も荒く退出すると、リルティがレイラの手を取った。
「母上、大丈夫です。いざとなったら、私が」
「ありがとう、リルティ」
レイラは答えた。
「でも、心配は要りません。私も自分の役目を理解しています」
その切れ長の目が、まるでまだ見ぬデミガル王を見据えるかのように客席の向こうに向けられた。
「民のため、為すべきことを為せずして、何が王妃か」
レイラの独白とともに、暗転。




