出番を終えて
人気のない舞台裏。
軽く汗を拭いたアルマークは、天井を見上げて、ふう、と息をついた。
表での物音がまるで別の世界のことのように聞こえる。
劇はこれからが佳境だ。
だがとにかく、自分の出番は終わった。
アルマークはそう考えて、ひとり頷いた。
自分のやるべきことはやった、という実感はあった。
最後のウェンディとの別れの場面も、呪われた剣士アルマークと素の自分とが入り混じって複雑な感情ではあったが、練習のときと比べると遥かにいい場面になったということは分かった。
何よりも、ウェンディと心が通じ合ったという感覚。
それは、ウェンディに距離を置かれるようになって以来、久しく感じることのできなかった、アルマークにとってはこの南での生活の象徴といってもいい感覚だった。
「アルマーク」
声をかけられて、振り向く。
自分と同じように出番を終えたウェンディが立っていた。
「お疲れ様」
そう言って頬を赤く上気させて微笑むウェンディは、もうどこからどう見ても亡霊には見えない。
「ウェンディこそ。お疲れ様」
二人でなんとなく見つめ合い、しかし言うべき言葉も見付からず、笑い合う。
「良かったよね、私達の場面」
ウェンディが確かめるように言った。
「お客さんもたくさん泣いてくれたし。私はすごく良かったと思う」
そう言って、アルマークを見る。
「アルマークは、どう思った?」
「僕もすごく良かったと思う」
アルマークは頷いた。
「練習では、最後に君が消えていくのがいつも悲しくて仕方なかったんだけど」
そう言うと、ウェンディは目を瞬かせる。
「そうなの?」
「うん」
アルマークは頷く。
「でも、今日は悲しくなかった」
そう言って微笑んだ。
「剣士アルマークが、これからもウェンディと一緒にいられるって分かったから」
その言葉に、ウェンディは顔を赤くしてうつむく。
「私もそう思ったよ」
そう言って上目遣いにアルマークを見る。
「最後に、ついてきてくれって言ってもらえたから」
「ああ、あれ」
アルマークは嬉しそうに頷く。
「トルクが教えてくれたんだ」
「え?」
ウェンディが怪訝そうな顔をした。
「トルク?」
「うん。話せば長くなるんだけど」
アルマークが頭を掻いたとき、表の舞台のほうから歓声が聞こえてきた。
「ああ、僕たちも手伝いに行かないと」
「うん」
ウェンディが頷く。
「あとは演出をしっかりやりましょう」
連れ立って袖へと戻るとき、アルマークはふと思い出してウェンディを振り返った。
「そうだ、忘れないうちにウェンディに伝えておきたいことがあったんだ」
「えっ」
ウェンディが足を止める。
「何?」
「笑わないでほしいんだけど」
アルマークがそう言って真剣な顔をしたので、ウェンディも笑顔を引っ込めて頷く。
「うん」
「舞台で、君に名前を最初に呼ばれたとき」
アルマークは恥ずかしそうに言った。
「聞こえないふりをするのがすごく大変だったんだ。君の声を聞いただけで泣きそうになったよ」
ウェンディは一瞬きょとんとした後で、噴き出す。
「何かと思ったら」
「あ、やっぱり笑う」
「違うの」
ウェンディは手を振る。
「これは、そういう笑いじゃなくて」
顔を赤くしているアルマークに、ウェンディは笑顔で頷いた。
「でも、私も同じだよ。私が呼んでもアルマークが振り向いてくれなくて、悲しかった」
それから、真顔で付け加える。
「泣きそうになったわ」
「ありがとう」
アルマークは真剣な顔のままで言った。
「もう僕らの出番は終わったから、次からは、呼ばれたらきちんと振り向くよ。どんなに遠くからでも、君の声が聞こえたら聞こえないふりなんか絶対にしない」
ウェンディがまた噴き出したのを見て、アルマークはますます顔を赤くした。
「ほら、また笑うじゃないか」
「違うの。本当に」
ウェンディは笑いながら、そっと涙を拭った。
「これはそういうのじゃないの」
二人が袖に戻ると、舞台ではネルソンとセラハの戦いが始まっていた。
アルマークたちはこの場面の演出担当ではないが、ここはセラハの派手な魔法が飛び出す大変な場面だ。
「ウォリス」
アルマークは、杖を手に舞台を見つめているクラス委員に声をかけた。
「何か手伝うよ」
「ああ」
ウォリスはちらりとアルマークに目をやる。
「いい演技だった。さすがだな」
「ありがとう」
ウォリスはすぐに舞台に目を戻すと、言った。
「ネルソンの話は聞いたか」
「ネルソン? ネルソンがどうかしたのかい」
「聞いていないならいい」
ウォリスは首を振る。
「何かあれば声をかける。近くにいてくれ」
「分かった」
アルマークは頷く。
ウェンディはレイラに声を掛けて杖を構えている。
どうやら何か手伝えることがあったようだ。
「ああ、そういえば」
ウォリスが思い出したように言う。
「ネルソンとセラハの戦いは、練習とは少し内容が変わっているからな」
「え?」
「君とウェンディが来ないかも知れない、となったときに、急遽ネルソンとセラハの戦いの場面を膨らませたんだ。セラハの意見を大幅に取り入れたんだが、それがなかなか良かったのでな。本番もそちらで行くことにした」
「へえ」
アルマークは舞台に目をやる。
「演出の方はそこまで練る時間がなかったから、突然君の力を借りることがあるかもしれない。頼むぞ」
「分かった」
アルマークは頷いた。
あとは、みんなでこの劇を成功させることだけ考えればいい。
そう考えて、舞台の三人を見る。
頑張れ、ネルソン、ノリシュ。
頑張れ、セラハ。
「魔女、覚悟!」
そう叫んで斬りかかったネルソンの眼前で、セラハが突如姿を消した。
「む」
その瞬間、舞台がネルソンの周囲を残して暗転する。
「魔女め、逃げたか。だがこの程度の暗闇」
そう言ってネルソンは、周囲を照らそうと剣を高く掲げた。
だが、周囲は暗いままだ。
それもそのはず、剣の刀身から精霊王の加護たる七色の光が消えていた。
「なんと、これは」
ネルソンが眉をひそめる。
「ノリシュ殿、無事か」
振り向いて闇の中にそう呼びかけるが、ノリシュの返事はない。
「この魔法はちと厄介ぞ」
ネルソンがそう言ったときだった。
「騎士ネルソンよ」
不意に、セラハでもノリシュでもない、男の声が響いた。
それを聞いた瞬間、ネルソンが弾かれたように膝をつく。
跪くネルソンの前に、声の主がゆっくりと姿を現した。
レイドー演じるアモル王だった。




