叫び
ネルソンの攻撃が勢いを増すのを見て、客席のフィッケが感嘆の声を上げた。
「すげえな、あの立ち回り。一体あいつらどれくらい練習したんだよ」
そう言い終えるやいなや、両手を口に当てて、
「ネルソン頑張れー!」
と叫ぶ。
顔をしかめてうるさそうにしながら、アインは半ば独り言のように答える。
「あれは練習の成果ではないだろう」
舞台の上ではアルマークが左手をだらりと垂らしたまま、右手一本でネルソンの攻撃を捌き続けている。
徐々にネルソンの勢いに押されているように見えるが、その表情に変化はない。
「ネルソンの本気の攻撃を、全てきれいに受けているんだ。アルマークが」
しかしフィッケはネルソンへの声援に夢中で聞いていない。
「いけ! そこだ!」
「それに自分の攻撃も絶妙な力加減でネルソンが受けられるように」
「それだ、ネルソン!」
「ああ、うるさいな」
アインは首を振った。
「なんで僕の隣はいつもこいつなんだ」
「騎士ネルソン」
激しい攻撃を受け流しながら、アルマークが言った。
「刻む価値のある名だ」
そう言って、微笑む。
「ならば刻め」
ネルソンが剣にさらに力を込めた。
「我が剣とともに」
その渾身の一撃を、アルマークが流しきれずによろけたように見えた。
おおっ、と歓声が上がる。
「だが、惜しいな」
そう言ったアルマークの左手が動いた。
剣を両手で握った瞬間、アルマークの雰囲気が一変した。
ネルソンの追撃をアルマークが不十分な体勢で受けた、と見えた瞬間、弾き飛ばされるように後ずさったのはネルソンの方だった。
「ぐっ」
ネルソンが剣を構え直して目を見張る。
その眼前で、アルマークがゆっくりと体勢を立て直す。
「人はそう簡単に変われはせぬ」
アルマークの剣が影を深める。
「人の声に背を押され、支えられ」
アルマークは笑った。
「そんなものは一人で戦えぬ者の戯れ言だ」
今度はアルマークが床を蹴った。
初めてアルマークから先に仕掛ける、両手の一撃。
ものが違う、ということが誰の目にも一瞬で分かった。
今までの攻防が遊びででもあったかのような、速さと重さ。
かろうじて受けたはずのネルソンが、まるで受けた剣ごと身体を斬られでもしたかのようによろめいた。
そのまま追撃すれば、それで勝負はついたように見えた。
だがアルマークは立ち止まった。
よろめいて膝をつくネルソンを見下ろした。
そして、己の力を誇示するかのように剣を突き出す。
「見ろ」
アルマークは吼えた。
「これが見えるか」
ネルソンに叫んでいるようで、それはまるで別の何かに向けての叫びのようでもあった。
「俺は一人でも、こんなにも強い」
下級生の何人かが思わず耳を塞ぐような、凄絶な叫びだった。
先ほどまでネルソンの応援で熱狂していた観客席が、死んだように静まり返った。
「すげえな」
コルエンが呟く。
誰も彼もが、アルマークのその気迫に気圧されている中で、最初に声を上げたのは勇敢な侍女だった。
「ネルソン様は」
ノリシュが叫んだ。
「この国一番の勇士」
その声が震えていた。
それでもノリシュは絞り出すように叫んだ。
「勇敢な騎士ネルソン。あなたの尽きぬ勇気こそ、この王国の誇り。輝ける下界の宝石。どうか負けないでください。あなたはこの国の隅々までを明るく照らす光。あなたは」
「ノリシュ殿」
ネルソンがノリシュの言葉を遮った。
「その辺でよい」
穏やかな声だった。
「さすがに少々照れるのでな」
ネルソンはノリシュを安心させるように口元だけで笑ってみせた。
ゆっくりと立ち上がり、アルマークに向かい合う。
「子供が駄々をこねて泣いているのかと思ったぞ」
「なに」
アルマークが片眉を上げる。
「一人でも強い、か」
ネルソンは再び剣を構えた。
「だが、汝一人の力では、このネルソンは斬れぬ」
「面白い」
アルマークの顔が凶悪に歪む。
「ならば試してみようか」
そう叫びざま、一瞬で距離を詰めた。
その勢いのまま、ネルソンに剣を叩きつける。
受け止めたネルソンが大きくよろけた。
アルマークの追撃がそこを襲う。
がつん、がつん、という鈍い音。
観客が思わず首をすくめ、目を背けるほどの攻撃。
しかしネルソンはそれを全てしっかりと受け止めた。
「どうした」
意外な表情で立ち止まったアルマークに、ネルソンが声を掛ける。
「斬れぬか。斬れぬだろう、このネルソンは汝だけの力では」
「ほざけ」
アルマークがまた斬りかかる。
だが、結果は同じだった。
全てかろうじて受けているように見えたネルソンだったが、アルマークに決定的な一撃を許さなかった。
「しぶといな」
ついにアルマークがそう呟いたとき、客席がざわめいた。
舞台の袖からゆっくりと裸足の女性が現れたのだ。
舞台の雰囲気をまたも塗り替える、死闘の場面に似合わぬ非現実的な美しさ。
「アルマーク」
ウェンディが呼びかけた。
悲しみに満ちた声だった。
「もうやめて」
「ウェンディさん」
気付いたノリシュが息を呑む。
「そうか、霧が晴れたからあなたもここまで来ることができたのね」
「聞こえるか、剣士アルマーク」
ネルソンが呼びかけた。
「あの声が」
だがアルマークは不快そうに顔をしかめた。
「何を言っている」
「アルマーク」
ウェンディがもう一度呼びかけた。
「お願い。もうこんな悲しいことはやめて」
「聞こえぬのか。自分の恋人の声が」
ネルソンの言葉にアルマークが目を見開く。
「恋人だと」
「美しい女性だ。あんなに悲しそうな顔をして。見ろ、汝の背後にいる」
アルマークは弾かれたように振り向くが、その視線は宙をさまよう。
「誰もおらぬではないか」
その言葉に、ウェンディが悲しそうにうつむく。
「剣では勝てぬと見て俺をたばかるか、騎士よ」
アルマークはそう叫んでネルソンに向き直った。
「往生際の悪い」
「その女性の名はウェンディ」
ネルソンは言った。
「自らの死を、汝が己のせいだと悔やんで、魔女の呪いに堕ちたことを悲しんでいる」
アルマークが動きを止める。
「今こそ彼女の言葉を伝えよう。聞け」
ネルソンは剣を下ろした。
「彼女はこう言っていた。私の死はあなたのせいではない。もうこんな悲しいことはやめてほしい。それは魔女との契約などではなく、呪いだと」
「黙れ」
アルマークがネルソンの言葉を振り払うように自分の前で剣を振った。
「口からでまかせを」
「アルマーク」
ウェンディの悲痛な叫び。
だがアルマークは振り向かない。
「見えぬのか、あの哀れな姿が」
ネルソンが言った。
「聞こえぬのか、あの悲痛な叫びが」
「黙れ」
アルマークはもう一度叫んだ。
「俺には何も見えぬ。何も聞こえぬ」
その声に、ウェンディと同じ悲痛な響きが混じる。
「見えぬなら、聞こえぬなら、そんなものはないのと変わらぬ」
「霧は晴れたのだ」
ネルソンは声を励ました。
「汝の心の霧も、晴らすときが来たのだ」
「黙れと言っている」
アルマークが感情を露わにネルソンに飛びかかった。
「アルマーク」
ウェンディが叫んで顔を手で覆う。
アルマークの一撃を、ネルソンがしっかりと受け止めた。
「女を泣かすな!」
ネルソンの一喝に、アルマークが一瞬気圧されたように後ずさった。
二人の背後で、ノリシュが両手を広げた。
「ウェンディさん、私と一緒に伝えよう。あなたの魂に、私の身体を貸す」
その言葉に、ウェンディがはっと顔を上げた。
涙が宝石のように散る。
「一緒に伝えよう」
ノリシュがそう言って力強く頷く。
「目を開け。耳を澄ませ」
ネルソンが言う。
「汝は強き剣士だろう」
「もう黙れ、騎士よ」
アルマークは叫んだ。
大きく剣を振りかぶってネルソンに飛びかかる。
影が渦を巻いた。
その一撃はさらに重くなっていた。
さしものネルソンもこらえきれずに膝を折る。
「お前は喋りすぎだ」
アルマークが叫んでもう一度剣を叩きつける。
受けたネルソンがたまらず膝をついたその時だった。
「アルマーク!」
ノリシュの叫び。
そこに、もう一人の女性の声が重なった。
アルマークが目を見開いて動きを止める。
「もうやめて!」
アルマークが信じられないという表情で振り返る。
その目が、確かにノリシュの背後のウェンディを捉えた。
口が動く。
ウェンディ、と。
だが、声にならなかった。
「許せ」
ネルソンが膝をついたままで剣を突き出した。
光が弾ける。
決着。
観客の目に、ネルソンの剣が確かにアルマークの胸を貫いたように見えた。




