北の風
翌日、いい天気の休日にもかかわらず、我慢してベッドで横になって静養していたアルマークの部屋を誰かがノックした。
「はい」
ドアを開けてみると、ウェンディが教科書を何冊も持って立っていた。
「アルマーク君、今日はずっと部屋にいなきゃならないって言ってたでしょ。だったらせっかくだから、授業の復習とかどうかなーって思って」
「え……いいのかい。ウェンディだってせっかくの休日じゃないか」
アルマークは驚いて尋ねたが、ウェンディは、手を振って、いいのいいの、と繰り返した。
結局、ウェンディの厚意に甘えて、勉強をじっくりと見てもらうことになった。
二人で寮の談話室に場所を移し、勉強を始める。
さすがにクラスでも成績優秀な彼女だけあって、何を聞いてもほとんどのことをすらすらと答えてくれる。アルマークは途中から、ウェンディが優秀なのか、それとも自分の質問の程度が低すぎるのか、分からなくなるほどだった。
二人で食堂で昼を食べ、再び勉強を開始する。
夕方までウェンディは根気づよくアルマークの勉強に付き合ってくれた。
教科書をしまい、残った時間、少し雑談をする。
ウェンディは学校のことを色々と教えてくれたが、ふと話題が途切れた時、アルマークはウェンディに、どうしてここまで自分に親切にしてくれるのか、尋ねた。ただの隣の席のクラスメイトにしてくれるには過分な親切に思えたのだ。
聞かれてウェンディは困ったような顔でしばらく言いよどんだ。
やがて、意を決したように
「アルマーク君、今のクラス、どう思う?」
と尋ねてきた。
「どうって……」
「姓のある子とない子で、ばらばらでしょ」
「ああ……」
彼女の言っている意味が分かった。
今のクラスに、ウェンディの言い方を借りれば「姓のある子」、つまり貴族の子弟は四人。ウェンディとトルクとレイラ、それにウォリスだ。
ほかの学生は、トルクの取り巻きの二人も含めて全員が「姓のない子」、つまり平民だ。
「1組と3組は、姓のある子の数が半分くらい。だから、トルクは自分が平民のクラスに入れられたようで気に入らないみたい」
「でも、この学院って」
貴族とか平民とか関係ないんだろ、とアルマークは尋ねた。正規に入れないのは北の傭兵の子供くらいのものだ。
「うん。関係ない。もちろん学校から一歩外に出れば色々あるけど、学校の中では先生たちも決して差別しないし、私もそうすべきだと思ってる。でも、それが面白くない人もいるの。姓のある子は、姓のない子よりも優秀なんだって。姓のある子達だけの学校にすべきだって。そう思う人も」
「……確かに、今のクラスでも成績が優秀なのはその四人だもんな」
アルマークは頷いた。
素養の差なのか、プライドの差なのか、貴族の子弟のほうが優秀だという説を裏付けてしまっている。
ウェンディは頷き、悔しそうに唇を噛んだ。
「特にトルクがそういう傾向が強くて。彼は昔から言葉もすごく強いから……。姓のない子達は実際、萎縮して、姓のある子達の顔色を伺ってしまってるし。私はそれがいやで。魔法の力の前には身分なんて何の意味もないのに。だからクラスを変えたくて。ずっとそう思ってた。けど、自分では何もできなかった。でもね、この間アルマーク君が初めて入ってきたとき……」
ウェンディはくすりと笑った。
「あなた、初めてこの学院に来たのに、知り合いも誰もいないのに、魔法だって全く使えないのに、ちっとも萎縮してなかった。ちっとも不安そうじゃなかった。覚えてる? 自信満々の顔で、まっすぐな目で、ぐるりと教室中を見回して、そして私と目が合ったこと」
「ああ……」
ウェンディと目が合って、笑いかけてもらったことは覚えていた。
「私、あの時思ったの。すごい子が来たって。もしかしたらこの子がクラスの状況を変えてくれるんじゃないかって」
私の勝手な思い込み、と言ってウェンディは 恥ずかしそうに顔を伏せた。その目に涙がにじんでいた。
「だから少しでも力になって、早くクラスに溶け込んでほしかったの。……変な話しちゃったね」
ああ、トルクの悪口みたいになっちゃった。彼、ああ見えていいところもあるんだよ、とウェンディはうつむいたまま、早口で言った。
確かに変な話、というか、アルマークには今のクラスを変えるつもりなど毛頭なかった。
そもそも自分が授業に着いていくだけで精一杯だったからだ。
だが、今顔を赤くしてうつむいているウェンディを見て、アルマークに突然今まで感じたことのない感情がよぎった。
ごく一瞬だったが、アルマークは胸に切ないうずきのようなものを感じ、戸惑った。
彼はあわててすぐにそれを自らのよく知るやや近い感情……感謝の気持ちに置き換えた。
この子には今日まで色々と面倒を見てもらってきた。僕はこの子に恩がある。恩は返さなきゃならない。
恩。
そのやや大げさな言葉に、アルマークは不意に懐かしさを感じた。
アルマークの体に、北の大地の冷たい風が吹き抜けた気がした。
『受けた恩も返せねえなら傭兵なんてやめちまえ』
いつか父が言っていた。傭兵は恩義を大事にする。裏切りは常に死と直結するからだ。
ウェンディの涙を見て、アルマークの心にここ何日も忘れかけていた北の傭兵の荒々しい義侠心が蘇ってきた。
『戦ってのははじめが肝心なんだ』
父の声がする。女を泣かせるような奴に舐められたままでいるな。相手を調子づかせる前に、まず一発ひっぱたいてやれ。その言葉に、心の中で頷く。
「ウェンディ、明日は確か、武術の授業があったよね」
「えっ」
急に関係ない話をされて、ウェンディは戸惑った顔で頷いた。
「うん、あるよ」
「そうか」
アルマークはなにか思い付いた様子だった。
「アルマーク君は武術の授業、初めてだったよね」
今はアルマーク君と呼ばないでくれ、ウェンディ。体にかつて使いなれた猛々しい力がみなぎってくるのを感じながら、アルマークは思った。
「僕のことアルマークって呼んでくれていいよ。そのほうが」
昔を思い出すから。
アルマークが不意に浮かべた荒々しい笑みに、ウェンディは何か見てはいけないものを見たような気がして思わず目を逸らした。
「今日のお礼は明日するよ」
もういつもの穏やかな笑顔に戻り、アルマークはウェンディにそう言った。




